第80話 子どもがいる女性
二〇二一年八月二十三日、月曜日。
健太は、出勤前からスマートフォンを気にしていた。
婚活アプリで知り合った佐藤まみ。
三十七歳。
旅行と料理が好きで、プロフィール写真には柔らかな笑顔が写っていた。
昨夜も少しだけメッセージを交わした。
『健太さんは、野球以外に趣味はありますか?』
『旅行が好きです。最近はなかなか行けていませんが、温泉に行ったり、観光地を巡ったりするのが好きです』
『いいですね。私も温泉が好きです』
会話は自然に続いていた。
健太は久しぶりに、女性とのやり取りを楽しんでいた。
しかし、気になることが一つあった。
まみのプロフィールに書かれていた言葉。
『結婚歴あり。子ども一人』
健太は、その部分を何度も読み返していた。
*
八月二十四日、火曜日。
午後九時。
まみからメッセージが届いた。
『健太さん、プロフィールに書いてあることなんですが、先にお話ししておきたいことがあります』
健太は、すぐに返信した。
『はい。何でしょう?』
『私は離婚歴があって、六歳の息子がいます。今は私と二人で暮らしています』
健太はスマートフォンを見つめた。
六歳の息子。
自分と同じ年頃の子どもだ。
『そうなんですね。話してくれてありがとうございます』
少しして、まみから返事が届いた。
『子どもがいることを気にする方もいると思います。健太さんがどう考えるかは分かりませんが、隠しておきたくなかったので』
健太は迷った。
子どもがいる女性と交際する。
それは、自分が今まで想像していた恋愛とは違う。
自分だけの気持ちで進められるものではない。
『正直、経験がないので分からないことも多いです。でも、子どもがいることだけで相手を判断したくはありません』
送信した。
まみから返事が来た。
『ありがとうございます。そう言ってもらえると嬉しいです』
健太は、少し安心した。
*
八月二十六日、木曜日。
仕事の休憩時間。
健太は、木村に相談していた。
「なあ、木村」
「何?」
「子どもがいる女性と付き合うって、どう思う?」
木村は少し驚いた。
「急にどうした?」
「婚活アプリで知り合った人がいてさ。三十七歳で、六歳の子どもがいるらしい」
「そうなんだ」
「俺、どう考えたらいいのか分からなくて」
木村は、少し考えてから答えた。
「子どもがいることを含めて、その人の人生なんじゃないか」
「うん」
「でも、子どもがいるからといって、すぐに父親になろうと考える必要もないだろ。まずは相手のことを知ることだよ」
「そうだよな」
「それに、相手も子どものことを大切にしているはずだから、そこは尊重しないとな」
健太はうなずいた。
木村は続けた。
「子どもに会わせるかどうかも、母親が慎重に決めることだ。焦って距離を縮めようとしない方がいい」
「分かった」
健太は、少し気持ちが整理できた。
*
八月二十八日、土曜日。
午後三時。
健太とまみは、初めて直接会うことになった。
場所は駅前のカフェ。
健太は約束の十五分前に到着していた。
落ち着かない。
女性と二人で会う。
それだけでも緊張するのに、今回は相手に子どもがいる。
何を話せばいいのか分からなかった。
「健太さんですか?」
声をかけられた。
振り返ると、写真で見た女性が立っていた。
「はい。佐藤さんですか?」
「そうです。今日はありがとうございます」
「こちらこそ」
二人は店内に入り、窓際の席に座った。
まみは、写真よりも少し落ち着いた印象だった。
肩までの髪を整え、淡い色のブラウスを着ている。
「実際に会うと緊張しますね」
まみが笑った。
「俺もです。女性と二人で会うのは、かなり久しぶりなので」
「そうなんですか?」
「はい。恋愛経験がほとんどなくて」
「正直に話してくれるんですね」
「隠しても仕方ないので」
二人は、仕事や休日の過ごし方について話した。
まみは事務職で働いている。
休日は息子と公園に行ったり、料理を作ったりすることが多いという。
「子どもさんは、もう六歳なんですよね」
「はい。来年、小学生です」
「そうですか。元気な時期ですね」
「本当に。毎日大変ですけど、楽しいですよ」
まみの表情が柔らかくなった。
その顔を見て、健太は思った。
この人にとって、息子は何より大切な存在なのだろう。
*
一時間ほど経った頃、まみがカップを置いた。
「健太さんに、聞いておきたいことがあります」
「何ですか?」
「子どもがいる女性と付き合うことについて、どう考えていますか?」
健太は少し考えた。
「正直、まだ分からないことが多いです。自分に子育ての経験もありませんし」
「そうですよね」
「でも、まみさんと話をすることは楽しいです。だから、まずはお互いのことを知っていけたらと思っています」
まみは、静かにうなずいた。
「ありがとうございます。でも、私は恋人を探すことだけを考えているわけではありません」
「はい」
「息子がいるので、誰かと付き合うことには慎重になります。私だけの気持ちで決められないこともあります」
「分かります」
「それでも、私自身も一人の女性として、誰かと一緒に過ごしたいと思うことはあります」
健太は、その言葉を聞いていた。
母親であることと、一人の女性であること。
どちらか一方だけではない。
まみには、まみの人生がある。
「健太さんは、結婚を考えていますか?」
「はい。いつかは結婚したいと思っています」
「そうなんですね」
「ただ、今まで恋愛経験がないので、まずは相手のことを知るところからだと思っています」
まみは微笑んだ。
「その考え方なら、ゆっくり話していけそうですね」
*
午後四時半。
店を出た二人は、駅前で別れることになった。
「今日はありがとうございました」
「こちらこそ。楽しかったです」
「またお話しできたら嬉しいです」
「私もです」
連絡先を交換し、二人は別れた。
健太は帰り道、スマートフォンを何度も確認した。
期待しすぎるな。
そう自分に言い聞かせる。
それでも、久しぶりに次の約束につながりそうな出会いだった。
*
その夜。
まみからメッセージが届いた。
『今日はありがとうございました。健太さんと話せて楽しかったです』
『こちらこそ、ありがとうございました。またお話しできたら嬉しいです』
『ぜひ。ただ、一つだけお願いがあります』
健太は画面を見つめた。
『息子のことは、まだ誰にも話していません。私が話すまでは、周囲には言わないでいただけますか?』
『もちろんです。約束します』
『ありがとうございます』
健太はスマートフォンを置いた。
新しい出会いが始まった。
しかし、そこには自分一人の気持ちだけでは進められない現実がある。
恋人がほしい。
誰かの一番になりたい。
その気持ちは変わらない。
だが、もしこの女性と関係を築いていくなら、自分の希望だけを優先するわけにはいかない。
健太は、まだその重さを十分には理解していなかった。
そして、まみとの次の約束が、健太に初めて「恋愛と家族」の意味を考えさせることになる。




