第64話 応援に来る本当の理由
五月八日、土曜日。
大野健太は、草野球チーム「ドリーム・エース・ナイン」の練習に参加していた。
グラウンドには、五月の風が吹いている。
キャッチボールを終えた健太は、ベンチに戻ってスマートフォンを確認した。
つかさとつばさに送った試合日程の連絡。
その返事が、昨夜届いていた。
つかさからは、
『その日は今のところ予定が空いています。姉妹で相談してみますね』
つばさからは、
『その日なら行けそうです! 姉と予定を確認して、また連絡します!』
二人とも、まだ確定ではない。
それなのに健太は、頭の中で観客席に座る二人の姿を想像していた。
自分がヒットを打つ。
つばさが笑顔で拍手する。
つかさが、普段は見せないような表情でこちらを見つめる。
「……何をニヤニヤしてるんだ?」
背後から声をかけられ、健太は飛び上がった。
チームの捕手、田村剛だった。
「いや、別に」
「その顔で別にって言われてもな」
田村は健太の隣に腰を下ろした。
「例の双子か?」
「何で分かるんだよ」
「お前が練習中にスマホを見る理由なんて、だいたい分かる」
健太は不満そうに口を尖らせた。
「今回は、ちゃんと冷静だぞ。二人とも来るかどうか分からないし、来たとしても、それだけで俺に興味があるとは限らない」
「おお。少しは学んだな」
「だろ?」
「で、どっちが本命なんだ?」
「……まだ分からない」
田村は笑った。
「その答えが本当なら、今回は少し期待できるかもしれないな」
「どういう意味だよ」
「お前、相手を知る前に好きになって、相手が自分の想像と違うと勝手に落ち込むだろ。まずは二人がどういう人なのか知ることだ」
健太は黙ってうなずいた。
頭では理解している。
問題は、実際に女性と接すると、気持ちが先走ってしまうことだった。
*
五月九日、日曜日。
午前十時過ぎ。
健太のスマートフォンに、つかさからメッセージが届いた。
『妹と相談しました。二人で試合を見に行けそうです。何時ごろに行けばいいですか?』
健太は、思わず声を上げた。
「来るのか!」
自宅のリビングで新聞を読んでいた父親の正一が顔を上げた。
「何が来るんだ?」
「いや、野球の……いや、何でもない」
健太は咳払いをした。
すぐに返信を考える。
『ありがとう! 試合は午前十時開始だから、少し前に来てもらえれば大丈夫です。無理はしないでくださいね』
送信してから、健太は文章を見直した。
余計なことは書いていない。
押しつけてもいない。
自分としては、上出来だった。
ほどなくして、つばさからもメッセージが届いた。
『姉と一緒に行きます! 野球の試合をちゃんと見るのは久しぶりなので楽しみです』
健太は笑顔になった。
だが、ふと疑問が浮かんだ。
二人は、どうして来てくれるのだろう。
自分のことを知りたいからなのか。
それとも、本当に野球が見たいだけなのか。
いや、そもそも木村を通じて知り合ったのだから、知人の試合を見に行くのは不自然ではない。
健太はスマートフォンを置いた。
今は、理由を決めつける必要はない。
来てくれるなら、普通に感謝すればいい。
それで十分だった。
……少なくとも、そのときまでは。
*
五月十五日、土曜日。
試合当日。
午前九時四十分。
健太はグラウンドの入口を何度も確認していた。
「大野、集中しろ!」
森川信也が、マウンド付近から叫んだ。
「まだ試合前だろ!」
「試合前からソワソワしてる奴が、いいプレーできるか!」
「お前は自分の投球練習に集中しろよ!」
健太が言い返すと、周囲の仲間たちが笑った。
そのとき、入口の向こうから二人の女性が歩いてきた。
つかさとつばさだった。
つかさは淡いブルーのブラウスに白いカーディガン。
つばさは明るい黄色のトップスに、動きやすそうなパンツを合わせていた。
二人は顔を見合わせながら、グラウンドを見回している。
健太は慌てて駆け寄った。
「来てくれたんだ。ありがとう!」
「こんにちは。今日はよろしくお願いします」
つかさが微笑む。
「お邪魔します! 思ったより本格的ですね」
つばさはグラウンドを見渡していた。
健太は二人をチームメイトに紹介した。
田村は丁寧に挨拶し、森川は妙に張り切って野球の魅力を説明し始めた。
「草野球といっても、真剣にやってるからね。俺なんか、昔はエースとして――」
「森川、話が長いぞ!」
田村が止める。
つばさが楽しそうに笑い、つかさも口元を緩めた。
健太はその様子を見ながら、少し安心した。
二人はチームの雰囲気にも自然になじんでいる。
自分だけに特別な関心があるわけではないかもしれない。
しかし、それでもいい。
そう考えられたのは、以前より少し成長した証拠だった。
試合が始まると、健太は三塁手として守備についた。
初回、相手打者の打球が三遊間へ飛ぶ。
健太は一歩目を踏み出し、低い姿勢で打球を捕った。
素早く一塁へ送球。
アウト。
「ナイスプレー!」
ベンチから仲間の声が飛ぶ。
観客席を見ると、つばさが拍手していた。
つかさも笑顔でこちらを見ている。
健太の胸が熱くなった。
――見てくれている。
そう思った瞬間、以前の癖が顔を出す。
二人の拍手は、自分に向けられた特別なものなのではないか。
だが、すぐに別の考えが浮かんだ。
今のプレーを見て拍手してくれた。
それ以上の意味があるかどうかは、分からない。
健太は帽子のつばに触れ、軽く会釈して守備位置へ戻った。
*
試合は三回まで進んだ。
健太は打席に立ったものの、二打席続けて凡退した。
三打席目。
相手投手の投げた球を振り抜くと、打球はライト前へ転がった。
ヒットだった。
一塁へ到達した健太は、思わず観客席を見た。
つばさが大きく手を振っている。
つかさも拍手していた。
「よし……!」
健太は小さく拳を握った。
試合は接戦の末、ドリーム・エース・ナインが勝利した。
試合後、健太は二人のところへ向かった。
「今日はありがとう。楽しめた?」
「はい。守備も打撃も、思ったより迫力がありました」
つかさが答える。
「私、あのヒットがよかったです! あれ、気持ちよかったでしょう?」
つばさが笑った。
「まあ、打てたのは嬉しかったよ」
健太は照れくさくなった。
すると、つかさがバッグからスマートフォンを取り出した。
「実は、今日来たかった理由がもう一つあるんです」
健太の心臓が跳ねた。
「理由?」
「はい。妹が最近、運動不足を気にしていて。何か始められるものがないか、探していたんです」
「ちょっと、お姉ちゃん!」
つばさが慌てて口を挟む。
「別に隠してないでしょう?」
「そうだけど、今ここで言わなくても!」
二人のやり取りに、健太は目を瞬かせた。
つかさは続けた。
「それで、草野球の雰囲気を見てみたかったんです。私は付き添いですけど、実際に見てみたら楽しそうでした」
「なるほど……」
健太の胸の中で、何かが静かに落ち着いた。
二人は自分に会うためだけに来たわけではない。
つばさが運動を始めるきっかけを探していて、つかさが一緒に来てくれた。
その目的の中に、自分の存在も少しは含まれていたかもしれない。
しかし、中心にあったのは別の理由だった。
「そっか。だったら、うちの練習を見学してもいいよ。無理に参加する必要はないし、見ているだけでも大丈夫だから」
健太がそう言うと、つばさは目を輝かせた。
「本当ですか? それなら、もう少し考えてみたいです!」
「ありがとうございます。妹がやってみたいと言うなら、私も一緒に考えます」
つかさも微笑んだ。
健太は嬉しかった。
自分に恋愛感情があるかどうかは分からない。
けれど、自分の好きな野球が、誰かの新しい一歩につながるかもしれない。
それは、恋愛とは別の嬉しさだった。
帰り際、つばさが振り返った。
「大野さん、また練習を見に行ってもいいですか?」
「もちろん。いつでも連絡して」
「ありがとうございます!」
二人は並んで歩いていった。
健太は、その背中を見送りながら思った。
今度こそ、焦らずにいこう。
彼女たちが何を求めているのか、本人たちの言葉を聞きながら知っていけばいい。
そう決意した健太のスマートフォンに、数分後、つばさからメッセージが届いた。
『今日はありがとうございました! 実は、もう一つ聞きたいことがあるんですけど……』
健太は画面を見つめた。
その一文だけで、胸が高鳴る。
そして、また自分に言い聞かせた。
――落ち着け。まだ何も分からない。
しかし、続くメッセージを読んだ瞬間、健太は思わず背筋を伸ばすことになる。
つばさが聞きたかったのは、野球のことでも、運動のことでもなかった。




