第63話 最初に届いたメッセージ
五月二日、日曜日。
午前九時十五分。
大野健太は、布団の中でスマートフォンを握りしめていた。
画面には、昨日交換したばかりの連絡先が表示されている。
つかさ。
つばさ。
たった二つの名前が並んでいるだけなのに、健太には特別なものに見えた。
「……どっちに送る?」
昨日、別れ際に二人から連絡先を教えてもらった。
理由は、草野球の試合日程を知らせるため。それ以上でも、それ以下でもない。
頭では分かっていた。
だが、いざメッセージを送ろうとすると、妙に緊張する。
つかさに送れば、落ち着いた雰囲気の彼女ともっと話せるかもしれない。
つばさに送れば、野球の話題から仲良くなれるかもしれない。
そんな考えが浮かんでは消える。
「いや、試合の連絡なんだから、両方に送ればいいだろ……」
健太は自分に言い聞かせ、まずはグループで連絡する方法を考えた。
しかし、三人のグループはまだ作っていない。
個別に送るなら、内容を変えたほうがいいのだろうか。
つかさには丁寧に。
つばさには明るく。
相手に合わせること自体は悪くない。だが、健太は文章を何度も書き直すうちに、ただの日程連絡を恋愛の作戦に変え始めていた。
結局、送ったのは次の文章だった。
『昨日はありがとうございました。草野球の試合日程が決まったら、また連絡します。よかったら木村さんも含めて、みんなで見に来てください』
送信。
健太はスマートフォンを伏せた。
「よし。これでいい」
ところが、三分もしないうちに画面を確認した。
返信はない。
五分後、もう一度確認する。
やはりない。
「日曜日だし、まだ寝てるかもしれないしな」
自分に言い訳をして、スマートフォンを机に置いた。
そのとき、通知音が鳴った。
健太は反射的に画面をつかんだ。
届いたのは、つばさからだった。
『こちらこそ、ありがとうございました! 野球の日程、楽しみにしてますね!』
最後には、笑顔の絵文字がついていた。
「おおっ……!」
思わず声が出た。
健太は布団から起き上がり、文章を何度も読み直した。
楽しみにしている。
それは、試合を楽しみにしているという意味だ。
分かっている。
それでも、わざわざ自分に返信してくれたことが嬉しかった。
『ありがとう! 日程が決まったら連絡するね』
そう返すと、健太はしばらく画面を眺めた。
会話はそこで終わった。
だが、健太の気分は午前中いっぱい明るかった。
昼過ぎ、今度はつかさから返信が来た。
『ご連絡ありがとうございます。予定が合えば、ぜひみんなで見に行きたいです』
こちらは絵文字もなく、落ち着いた文章だった。
健太は二つの返信を見比べた。
つばさは明るい。
つかさは丁寧。
そして、また余計な分析を始めた。
――つばさは、誰にでも明るいタイプなのかもしれない。
――つかさは、慎重だからこそ、言葉を選んでいるのかもしれない。
――いや、俺に対してだけ丁寧なのか?
「……何を考えてるんだ、俺は」
健太はスマートフォンを置いた。
先月まで、彼は佐々木という男性を好きな女性の相談相手になっていた。
相手の言葉を都合よく解釈し、期待を膨らませ、最後には傷ついた。
その経験を、もう忘れたのか。
健太は机の引き出しから、小さなノートを取り出した。
そこには、自分への戒めが書いてある。
『相手の親切は、恋愛の証拠ではない』
その一文を見て、健太は苦笑した。
「また同じことを繰り返すところだったな」
そう呟いたものの、心のどこかには、二人と仲良くなれるかもしれないという期待が残っていた。
それを無理に消す必要はない。
期待することと、期待を相手に押しつけることは違う。
健太はそう考えることにした。
*
その日の夕方、木村から電話がかかってきた。
「おう、大野さん。二人に連絡した?」
「したよ。試合の日程が決まったら知らせるって」
「それだけ?」
「それだけって何だよ」
「いや、余計なこと書いてないかと思って」
「書いてないわ!」
健太は少しムキになった。
電話の向こうで木村が笑う。
「ならいい。二人とも、普通に返信してくれたんだろ?」
「ああ。つばささんは明るい感じで、つかささんは丁寧な感じだった」
「へえ。それで、どっちが気になる?」
健太は黙った。
正直に言えば、二人とも気になっている。
ただし、それは恋愛感情というより、可能性を想像している段階だった。
「……まだ分からない」
「珍しいな。いつもなら、もう片方の返信を待ちながら結婚生活まで考えてるのに」
「お前、俺を何だと思ってるんだよ!」
「勘違いしやすい男」
即答だった。
健太は反論しかけたが、言葉が出なかった。
「でもさ、大野さん。今回は二人とも、最初からお前を恋愛対象として紹介されたわけじゃない。知り合いとして会ったんだ。だから、焦らず普通に付き合っていけばいい」
「分かってる」
「それと、双子だからって、二人をセットで考えるなよ。つかささんはつかささん、つばささんはつばささんだ。それぞれ別の人間なんだから」
その言葉に、健太は少し考え込んだ。
自分は、双子という珍しさに浮かれていたのかもしれない。
二人を知りたいと思いながら、実際には自分の恋愛の可能性ばかり見ていた。
「……そうだな。ちゃんと一人ずつ話してみるよ」
「その調子」
電話が終わったあと、健太はカレンダーを見た。
次の草野球の試合は、五月中旬の予定だった。
まだ日程は確定していない。
二人が本当に見に来るかも分からない。
それでも、健太は少しだけ楽しみになっていた。
試合に来てくれれば嬉しい。
来られなくても、それだけで落ち込む必要はない。
そう思える自分が、ほんの少しだけ成長した気がした。
しかし、その夜。
健太はつかさとつばさのプロフィール写真を交互に見ていた。
顔は似ている。
笑顔も似ている。
けれど、つばさの写真には明るい雰囲気があり、つかさの写真には落ち着いた印象があった。
「……やっぱり、どっちもいいな」
口にした瞬間、健太は自分の額を軽く叩いた。
「だから、まだ何も始まってないだろ!」
部屋に響いた声を聞き、母親の美代子が廊下から尋ねた。
「健太? 何を騒いでるの?」
「いや、何でもない!」
慌ててスマートフォンを伏せる。
三十六歳の男が、母親に聞かれるのを恐れながら、女性二人のプロフィールを見比べている。
その現実に、健太は少し恥ずかしくなった。
それでも、胸の奥には小さな期待が残っていた。
今度こそ、相手をよく知ろう。
勝手に答えを決めつけず、相手の気持ちを尊重しよう。
そう決意した健太は、スマートフォンを充電器につないだ。
翌週、木村から草野球の試合日程が確定したと連絡が入る。
そして、つかさとつばさの返事によって、健太は早くも自分の期待を試されることになる。
二人が見に来る理由は、健太が想像しているものとは少し違っていた。




