第62話 名前を間違えた男
「えっと……つかささんと、つばささん、ですよね?」
大野健太は、カフェのテーブルを挟んで座る二人の女性を交互に見た。
顔は驚くほどよく似ている。
髪型も長さも大きく違わない。服装には多少の違いがあるが、少し目を離しただけで、どちらがどちらなのか分からなくなりそうだった。
「そうですよ。私は姉のつかさです」
左側の女性が、柔らかく微笑んだ。
「私は妹のつばさ。よろしくお願いします!」
右側の女性は、明るい声で頭を下げた。
「よろしくお願いします!」
健太も慌てて頭を下げる。
隣に座る木村亮が、面白そうに健太を見ていた。
「大野さん、緊張してる?」
「そりゃするだろ。こんな美人の双子と話すなんて、普通ないからな」
言ってから、健太はしまったと思った。
初対面の女性二人に、いきなり美人だなどと言う必要はあっただろうか。
しかし、つばさは気にした様子もなく笑った。
「ありがとうございます。でも、双子ってだけで珍しがられるの、けっこう多いんですよ」
「そうなんだ。やっぱり、間違えられたりする?」
「します、します。特に初対面の人には」
つかさが苦笑する。
「ただ、何度か会えば分かると思いますよ」
その言葉を聞いて、健太の胸が少し弾んだ。
何度か会えば。
つまり、また会う可能性があるということだ。
もちろん、つかさは単に一般論を話しただけかもしれない。
それでも健太の頭は、都合のいい方向へ動き始めていた。
――何度か会えば、俺のことも分かってくれる。
――もしかしたら、そのうち二人のどちらかと……。
「大野さん?」
「はいっ!」
つばさに呼ばれ、健太は背筋を伸ばした。
「さっきから、ずっと考え込んでますけど、何か難しいことでも聞きました?」
「いや、全然! ちょっと、二人を見分けるコツを考えてただけで」
「コツですか?」
つかさが首をかしげる。
健太は慌てて答えた。
「ほら、姉妹でも性格は違うだろ? 話していれば分かると思って」
「それはそうですね」
つかさは穏やかにうなずいた。
「私たち、性格はけっこう違いますから」
「私は姉より、ずっと行動派です!」
つばさが胸を張る。
「つかさは慎重で、私は思い立ったらすぐ動くタイプ。買い物に行っても、姉は何軒も回って比較するんです。私は気に入ったらすぐ買っちゃう」
「それで、後から後悔することもあるでしょう?」
「あるけど、買わなかった後悔よりマシ!」
二人が笑う。
健太もつられて笑った。
会話は思っていたより自然に続いた。
仕事の話になり、健太は自動車部品工場で働いていることを説明した。木村が話を振ってくれたおかげで、夜勤や職場の苦労についても話せた。
野球の話題になると、健太は少しだけ胸を張った。
「高校の頃は強いチームにいたんだ。レギュラーにはなれなかったけど、今も草野球を続けてる」
「えっ、野球やってるんですか?」
反応したのは、つばさだった。
「私、スポーツ観戦が好きなんです。ルールは詳しくないですけど」
「そうなんだ! だったら今度、試合を見に来る?」
口にした瞬間、健太の心臓が跳ねた。
初対面で誘うのは早かったかもしれない。
しかし、つばさは少し考えてから答えた。
「予定が合えば、友達と一緒に見に行ってみたいです」
「友達と……」
「はい。みんなで行ったほうが楽しそうですし」
健太は一瞬だけ落胆した。
だが、すぐに自分を戒めた。
みんなで行きたいという希望を、そのまま受け取ればいい。自分と二人きりで会いたいという意味に変換する必要はない。
「もちろん。うちは草野球だから、気楽に見られるよ」
そう答えると、つばさは笑顔でうなずいた。
その横で、つかさが健太に尋ねた。
「大野さんは、野球以外だと何が好きなんですか?」
「え?」
健太は少し驚いた。
つかさから質問してくれた。
自分に興味を持ってくれているのだろうか。
いや、会話を続けるための質問かもしれない。
「映画とか、音楽とかかな。最近は運動不足を解消するために、走るようにもしてる」
「いいですね。私も運動しなきゃと思ってるんですけど、なかなか続かなくて」
「分かるよ。俺も、何度もサボりそうになるから」
二人はしばらく、運動を続ける難しさについて話した。
健太は、つかさとの会話にも居心地のよさを感じ始めていた。
明るく話題を広げるつばさ。
相手の話を落ち着いて聞くつかさ。
同じ顔なのに、話してみると確かに違いがあった。
そして健太は、ある考えにたどり着いた。
――つばささんは、野球に興味がある。
――つかささんは、俺自身に興味があるのかもしれない。
そこで、また妄想が始まった。
二人とも感じがいい。
片方は趣味を通じて仲良くなれるかもしれない。もう片方とは、落ち着いて話せる関係になれるかもしれない。
そんな都合のいい未来を、健太は頭の中で並べていた。
もちろん、二人はまだ、ただの初対面の相手だ。
つかさが健太に質問したのは、彼のことを知るための普通の会話だった。
つばさが野球に興味を示したのも、単純にスポーツが好きだからだった。
そこに恋愛感情があるかどうかは、二人にしか分からない。
昼前、四人はカフェを出た。
「今日はありがとうございました。楽しかったです」
つかさが丁寧にお礼を言う。
「大野さん、野球の試合の日が決まったら教えてくださいね」
つばさも笑顔で続けた。
「うん、分かった。木村から連絡するよ」
健太がそう答えると、木村がすかさず口を挟んだ。
「いや、大野さんから直接聞けばいいじゃん。連絡先、交換したら?」
健太は一瞬、固まった。
自分から聞いていいのだろうか。
相手が困るのではないか。
そう考えていると、つかさが言った。
「私は大丈夫ですよ。みんなで野球を見に行く話もありますし」
つばさもスマートフォンを取り出した。
「私もいいですよ。試合の予定が分かったら教えてください」
健太は二人と連絡先を交換した。
それだけのことなのに、胸の奥が熱くなった。
別れ際、つかさが手を振った。
「またお会いしましょう」
「またね、大野さん!」
つばさも明るく手を振る。
二人の姿が人混みに消えるまで見送ってから、健太は深く息を吐いた。
「どうだった?」
木村が尋ねる。
「……二人とも、いい人だった」
「そうだな」
「俺、どっちと相性がいいと思う?」
木村は数秒、健太の顔を見つめた。
そして、ため息をついた。
「お前さ。まだ会って一時間ちょっとだぞ」
「分かってるよ」
「本当に?」
健太は答えられなかった。
木村は責めるような口調ではなく、静かに続けた。
「二人とも、お前と話してくれた。それは事実だ。でも、相性がいいかとか、恋愛対象として見られてるかは、これからだろ」
「……そうだな」
「急いで答えを出すなよ。相手を知る前に、頭の中で恋人にするな」
その言葉は、以前にも聞いたことがある気がした。
健太は苦笑した。
「俺、全然成長してないな」
「いや、前ならもう結婚式まで考えてたんじゃないか?」
「さすがにそこまでは……」
そう言いながら、健太はスマートフォンを見た。
画面には、二人の名前が並んでいる。
つかささん。つばささん。
まだ何も始まっていない。
それなのに、心はもう先へ進もうとしていた。
健太はスマートフォンをポケットにしまった。
今度こそ、相手の気持ちを勝手に決めつけない。
そう自分に言い聞かせながらも、帰り道、彼の頭の中では二人との未来が交互に描かれていた。
双子の姉と妹。
似ているようで、違う二人。
そして、まだ何も知らない男。
健太の妄想は、今日も静かに始まっていた。




