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『性欲と肉体のナイトゲーム』  作者: こうた
第3章 ギャル運転手と勘違い男

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第57話 「今度、二人で会うんだ」彼女の報告に笑顔で返した

 二〇二一年三月三十日、火曜日。


 午後八時十五分。


 仕事を終えて帰宅した俺は、風呂から上がり、冷蔵庫から麦茶を取り出した。


 明日も仕事だ。


 食事を済ませて、早めに寝る。


 そんな当たり前の生活を送ろうとしていた。


 スマートフォンが震えた。


 画面には、ゆみの名前が表示されていた。


『大野さん、こんばんは! 今日もお仕事お疲れさま!』


 たった一行。


 それだけで、疲れが少し軽くなる。


『お疲れさま。ゆみも仕事だった?』


『うん! 今日はちょっと忙しかったよー』


 そこから、仕事の話や、最近見たテレビ番組の話が続いた。


 特別な話題ではない。


 それでも、俺は楽しかった。


 以前なら、彼女からメッセージが来るたびに、何か意味があるのではないかと考えていた。


 今日は違う。


 ただ、ゆみと会話をしている。


 その時間を楽しめばいい。


 そう思うようにしていた。


 ところが、午後九時前。


 ゆみから届いたメッセージを見て、俺の指が止まった。


『そういえば、佐々木さんと今度二人で会うことになったよ!』


 心臓が、一瞬だけ強く打った。


 とうとう来たか。


 そう思った。


 佐々木と二人で会う。


 それは、ゆみが以前から話していた予定なのだろう。


 俺が知らなかっただけで、二人の関係は少しずつ進んでいたのかもしれない。


 画面を見つめながら、返信を考える。


 おめでとう。


 よかったね。


 楽しんできて。


 どの言葉も、簡単に打てそうで、簡単には打てなかった。


 本当は、会わないでほしかった。


 俺と二人で会ってほしかった。


 彼女の中で、一番近い男性になりたかった。


 だが、そんな願いを伝えられる立場ではない。


 俺は、ゆっくりと文字を入力した。


『そうなんだ! よかったね。楽しんできて!』


 送信した。


 すぐに既読がついた。


『ありがとう! ちょっと緊張するけど、頑張ってくるね!』


 俺は画面を見たまま、動けなかった。


 頑張ってくる。


 ゆみは、佐々木との時間を大切にしたいのだ。


 俺とのメッセージのやり取りは、その報告をするためのものだった。


 彼女は俺を信頼してくれている。


 だから、こうして話してくれる。


 そう考えれば、ありがたいことなのかもしれない。


 しかし、俺は自分の心に問いかけた。


 俺は本当に、彼女の幸せを願っているのだろうか。


 それとも、彼女の幸せを願える男だと思われたいだけなのだろうか。


 答えは、どちらもだった。


 ゆみが幸せになってほしい。


 その気持ちは嘘ではない。


 でも、その隣にいるのが自分ではないことを考えると、苦しい。


 俺はスマートフォンをテーブルに置いた。


 今夜は、もう返信しなかった。


     *


 翌日の昼休み。


 会社の休憩室で弁当を食べていると、木村亮が向かいに座った。


「大野さん、最近どう?」


「どうって?」


「ゆみさん」


 俺は箸を止めた。


「……普通だよ」


「その顔は普通じゃないな」


「どんな顔だよ」


「何かあったんだろ?」


 木村は、俺がゆみを好きだと知っている。


 だからこそ、隠そうとしても無駄だった。


「佐々木って男と、二人で会うらしい」


「ああ、そうなんだ」


 木村は驚かなかった。


「知ってたのか?」


「いや、知らなかったよ」


「……そうか」


 俺は弁当の残りを口に運んだ。


 木村は、少し考えてから言った。


「大野さんは、どうしたいの?」


「どうって……」


「ゆみさんと付き合いたいんだろ?」


「そりゃ、そうだよ」


「じゃあ、どうしたいの?」


 同じ質問を繰り返された。


 俺は答えられなかった。


 ゆみと付き合いたい。


 それは間違いない。


 だが、そのために何をするのか。


 告白するのか。


 自分を磨くのか。


 距離を置くのか。


 それとも、今までどおり友人として接するのか。


 考えても、答えが出なかった。


「俺には、よく分からないんだよ」


 正直に答えた。


「ゆみが好きなのは佐々木って男だろ。俺が何かしたところで、変わらないんじゃないかって」


「そうかもしれないな」


 木村は、あっさり認めた。


「でも、何もしなければ付き合えないし、何かしたからって付き合えるわけでもない」


「……厳しいな」


「恋愛って、そういうもんじゃないの?」


 木村は苦笑した。


「ただ、気をつけたほうがいいと思うよ」


「何を?」


「相手に選ばれるために、何でもすること」


 俺は黙った。


「優しくすれば好きになってくれる。相談に乗れば特別になれる。自分を変えれば振り向いてくれる。そう考えて頑張り続けると、相手が応えてくれなかったとき、何で俺の努力を分かってくれないんだって思うようになる」


 木村の言葉が、胸に刺さった。


 俺は、ゆみの相談に乗った。


 彼女の話を聞いた。


 彼女が笑ってくれるとうれしかった。


 その一つ一つが、純粋な気持ちだけだったとは言い切れない。


 どこかで、期待していたのだ。


 こんなに話を聞いているのだから。


 こんなに気にかけているのだから。


 いつか、俺のことを好きになってくれるのではないか。


 そう思っていた。


「……俺、そんなふうに考えてたのかな」


「分からないよ。大野さんの気持ちは、大野さんにしか分からないから」


 木村は弁当箱を片づけた。


「でも、相手が何を返してくれるかじゃなくて、自分がどうしたいかも考えたほうがいいんじゃないかな」


 そう言って、休憩室を出ていった。


 俺は一人、残った弁当を食べた。


 味が、よく分からなかった。


     *


 その夜。


 帰宅した俺は、スマートフォンの連絡先を開いた。


 ゆみの名前がある。


 メッセージを送ろうと思えば、いつでも送れる。


 だが、何を話せばいいのか分からなかった。


 佐々木との予定を聞くのは、やめておこう。


 彼女が話したくなれば、話してくれるだろう。


 それ以上、無理に踏み込む必要はない。


 俺はスマートフォンを閉じた。


 そして、ノートを取り出した。


 最近、考えたことを書き留めるようにしている。


 仕事のこと。


 野球のこと。


 生活習慣のこと。


 そして、恋愛のこと。


 ペンを持ち、今日の出来事を書いた。


『ゆみが佐々木と二人で会う。応援したいと思う。でも、本当は嫌だ』


 そこまで書いて、手が止まった。


 続けて、もう一行。


『俺は、彼女に好かれたい。だが、彼女が俺を好きにならなかったとしても、俺が彼女を好きだった気持ちまで、間違いになるわけではない』


 書いてみると、少しだけ気持ちが整理された。


 それでも、嫉妬は消えない。


 明日、ゆみから連絡が来れば、きっと喜ぶだろう。


 佐々木との話を聞けば、また苦しくなるかもしれない。


 俺は、そんな自分をすぐに変えられそうになかった。


 それでも、相手の気持ちを自分の思いどおりにしようとすることだけは、やめたいと思った。


 ノートを閉じる。


 時計を見ると、午後十時を過ぎていた。


 明日も仕事だ。


 俺は明日の準備をして、布団に入った。


 ゆみの恋は、俺の知らないところで進んでいく。


 その事実は、変えられない。


 そして俺の恋は、まだ、どこにもたどり着いていなかった。

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