第46話 友達の一言で、俺の恋愛作戦は崩れ始めた
二〇二一年二月六日、土曜日。
大野健太は、スマートフォンの画面を見つめていた。
ゆみから届いたメッセージ。
『来週、友達も一緒なんだけど、みんなで飲まない?』
また会える。
それは素直に嬉しかった。
しかし、前回は二人きりだった。今回は友達も一緒だという。
健太の頭の中では、二つの考えがぶつかっていた。
一つは、ゆみが自分と会いたいと思ってくれているのだから、少なくとも嫌われてはいないという考え。
もう一つは、二人きりではなく友達も呼ぶということは、自分を恋愛対象として見ていないのではないかという考えだった。
「……どっちなんや」
考えても答えは出ない。
健太は、前回の失敗を繰り返さないよう、余計な駆け引きをしないことにした。
『いいですね。ぜひ参加します!』
送信すると、すぐに返信が届いた。
『やった! じゃあ来週の土曜日ね!』
その後、集合時間と店の場所が送られてきた。
健太はスマートフォンを机に置いた。
今度は、ゆみの友達とも話してみよう。
彼女が普段どんな人たちと過ごしているのかを知れば、ゆみのことも少し分かるかもしれない。
そう考えた。
ただし、心の奥には別の期待があった。
友達に紹介するということは、何か意味があるのではないか。
そんな考えを、完全には捨てきれなかった。
*
二月十三日、土曜日。
午後七時。
待ち合わせの居酒屋に到着した健太を、ゆみが手を振って迎えた。
「大野さん、こっち!」
彼女は明るい色のニットに短めのコートを合わせていた。
今日は前回よりも化粧が華やかに見える。
健太は一瞬だけ目を奪われたが、慌てて視線を戻した。
「こんばんは。今日はよろしく」
「うん! こっちは友達のあかね。こっちは美穂」
紹介された二人の女性は、ゆみと同じくらいの年齢だった。
あかねは落ち着いた雰囲気で、よく周囲を観察している。美穂は明るく、初対面の相手にも遠慮なく話しかけるタイプだった。
「大野さんって、ゆみの知り合いなんですよね?」
美穂が尋ねた。
「そう。仕事関係の知り合いから紹介してもらって」
「へえ。ゆみが男の人と二人で飲みに行ったって言ってたから、どんな人かなと思って」
健太の心臓が跳ねた。
男の人と二人で飲みに行った。
ゆみは友達に、自分との食事について話していたらしい。
それが何を意味するのかは分からない。
それでも、少しだけ嬉しかった。
「いや、普通の人間ですよ」
健太が照れ笑いすると、美穂は声を上げて笑った。
「何それ! 謙虚!」
「大野さん、こう見えて野球をずっとやってるんだよ」
ゆみが話を広げてくれた。
健太は高校時代のことや、今も草野球を続けていることを話した。
美穂は興味深そうに聞き、あかねもときどき質問をしてくれた。
会話は順調だった。
健太は、前回よりも自然に話せている自分に気づいた。
女性三人の前で緊張しないわけではない。
それでも、以前のように何を話せばいいか分からず黙り込むことはなかった。
料理が運ばれ、乾杯を済ませると、ゆみが健太に尋ねた。
「大野さんって、休みの日は何してるの?」
「草野球がなければ、家でゆっくりしてることが多いかな」
「もったいない! もっと遊べばいいのに」
「そう言われてもなあ」
「今度、みんなでドライブでも行こうよ。私、運転するの好きだし」
健太は、彼女の言葉に笑顔でうなずいた。
「いいな、それ」
今度は、みんなで。
その言葉を、健太はきちんと聞いていた。
けれど、彼女と出かける機会が増えることは、やはり嬉しかった。
*
飲み会が始まって一時間ほど経ったころ。
美穂が、突然こんなことを言い出した。
「そういえば、ゆみってさ、男の人に勘違いされること多くない?」
「ちょっと、何それ!」
ゆみが笑いながら抗議した。
「だって、誰にでも優しいじゃん。前も、知り合いの男の人に毎日連絡されて困ってたでしょ」
「あれは、連絡が多すぎたの!」
「ほらね」
美穂は健太に視線を向けた。
「大野さんも気をつけたほうがいいですよ。ゆみ、距離が近いんで」
「もう、やめてよ!」
ゆみは頬を膨らませた。
その仕草がかわいらしく見えて、健太は思わず笑ってしまった。
しかし、胸の内では、別のことを考えていた。
自分も勘違いしているのだろうか。
ゆみが笑ってくれたこと。
二人で食事をしてくれたこと。
また会おうと言ってくれたこと。
それらを、自分に都合よく解釈しているだけなのだろうか。
美穂が続けた。
「ゆみは友達としては最高なんですけどね。恋愛になると、本人も結構自由だから」
「それ、褒めてないよね?」
「褒めてる褒めてる!」
三人が笑った。
健太も笑顔を作った。
だが、その笑顔の裏側では、胸が少しずつ重くなっていた。
ゆみが悪いわけではない。
誰にでも親しく接することは、悪いことではない。
自分が勝手に期待しているのなら、その責任は自分にもある。
それは分かっていた。
それでも、期待が膨らんだ後で現実を突きつけられると、思った以上に痛かった。
*
午後九時過ぎ。
話題は恋愛へと移っていた。
「大野さんは、どんな女性がタイプなんですか?」
あかねに聞かれ、健太は困った。
女性と付き合った経験がない。
そのため、好きなタイプを聞かれても、実際の恋愛経験から答えられることが少ない。
「そうやな……一緒にいて楽しい人かな」
「それ、みんな言うやつ!」
美穂が笑った。
「じゃあ、見た目は?」
「見た目?」
「かわいい系とか、きれい系とか」
健太は、ゆみをちらりと見た。
明るくて、華やかで、笑顔が似合う女性。
まさに、彼が魅力を感じるタイプだった。
「……明るい人は、いいなと思う」
「へえー!」
美穂が大げさに声を上げた。
「ゆみ、聞いた?」
「何で私を見るの!」
ゆみが笑う。
健太は、顔が熱くなった。
今の答えは、ゆみに向けたものだと気づかれただろうか。
気づかれていたら、どう思われるのだろう。
彼女は困っているだろうか。
それとも、少しは意識してくれるだろうか。
また考え始めてしまった。
そんな健太に、あかねが穏やかな声で言った。
「でも、好きなタイプって、実際に付き合ってみると変わったりしますよね」
「そうなんですか?」
「うん。最初は見た目が好みでも、話が合わなかったら続かないし。逆に、最初は何とも思ってなかった人が気になったりもするし」
健太は、その言葉を心に留めた。
恋愛は、条件を満たせば成立するものではない。
見た目、年齢、収入、会話の技術。
そうした要素を一つずつ積み上げれば、必ず誰かに選ばれるというわけではないのだろう。
では、自分に何ができるのか。
まだ分からなかった。
ただ、目の前にいる相手を、恋人になれるかどうかだけで判断するのは違う気がした。
*
午後十時半。
飲み会は、お開きになった。
駅までの道を、四人で歩く。
ゆみは、あかねと美穂に挟まれ、楽しそうに話していた。
健太は少し後ろを歩きながら、その様子を眺めた。
彼女には、彼女の生活がある。
自分の知らない友達がいて、自分の知らない思い出があり、自分の知らない時間を過ごしている。
それは当たり前のことだった。
ゆみは、健太に出会う前から、ゆみとして生きてきたのだ。
その生活の中に、自分が入れるかどうかは、まだ分からない。
駅に着くと、ゆみが振り返った。
「大野さん、今日はありがとう! また遊ぼうね!」
「うん。こちらこそ、ありがとう」
「次はドライブかな?」
「そうやな。楽しみにしてる」
健太は笑って答えた。
今度は、余計な意味を付け足さなかった。
ゆみは手を振り、友達と一緒に改札へ向かっていった。
健太は、その背中を見送りながら、少しだけ寂しさを感じた。
だが、同時に、今日の飲み会が楽しかったことも確かだった。
彼女と二人きりではなかった。
それでも、ゆみの友達と話せたし、自分自身も以前より自然に振る舞えた。
恋愛が進まなかったからといって、今日の時間が無駄になるわけではない。
そう考えられたのは、ほんの少しの成長だった。
*
帰宅後。
健太はノートを開いた。
『ゆみは誰にでも親しみやすい。友達も大切にしている。自分が特別だと決めつけない』
そこまで書き、ペンを止めた。
その下に、もう一行付け足す。
『でも、好きになり始めている自分の気持ちまで、なかったことにしなくていい』
健太は、その文章を読み返した。
相手の気持ちが分からないからといって、自分の気持ちを否定する必要はない。
好きなら、好きでいい。
ただし、その気持ちを相手が受け入れる義務はない。
自分が好きだから、相手も好きであるべきだ。
自分が優しくしたから、相手も応えてくれるべきだ。
そう考えた瞬間、恋愛は相手への要求に変わってしまう。
健太は、まだその境界線を何度も踏み越えそうになっていた。
スマートフォンを見る。
ゆみから新しいメッセージは届いていない。
以前なら、何も連絡がないことを不安に感じ、何か話題を探してメッセージを送っていたかもしれない。
だが、今日は送らなかった。
明日になれば、また仕事がある。
草野球の練習もある。
自分の生活を続けながら、ゆみと知り合っていけばいい。
健太はスマートフォンを伏せ、明日の準備を始めた。
そのころ、ゆみは自宅で、友人の美穂から届いたメッセージを読んでいた。
『大野さん、ゆみのこと気になってるんじゃない?』
ゆみは少し考えてから返信した。
『どうだろうね。話しやすい人だとは思うよ』
『付き合うのは?』
『まだ分からないかな。知り合ったばかりだし』
送信して、ゆみはスマートフォンを置いた。
健太は、彼女を好きになり始めていた。
しかし、ゆみはまだ、彼を恋人として考えてはいなかった。
二人の間にあるのは、同じ時間を楽しく過ごせるという、小さな共通点だけだった。
それが恋愛に変わるのか。
それとも、友人としての関係に落ち着くのか。
今の時点では、誰にも分からなかった。




