↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
『性欲と肉体のナイトゲーム』  作者: こうた
第2章 2020年夏――恋愛作戦会議、開幕

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
34/71

第34話 終電間際の誘いに、俺は勝手な期待を抱いた

 九月の終わり。


 仕事を終えた大野健太は、駅前の居酒屋でドリーム・エース・ナインの仲間たちと飲んでいた。


 正確には、飲んでいたのは仲間たちで、健太はウーロン茶だった。


 酒を飲めば気が大きくなる。昔、それで失敗した経験もある。今夜は余計なことを口にしないためにも、飲まないと決めていた。


「なあ、健太。最近、女の人と二人で飯食ったか?」


 石田雄二が、焼き鳥を頬張りながら尋ねた。


「……ない」


「ボランティアで会ってる佐藤さんは?」


「普通に話すだけや」


「連絡先は?」


「聞いたけど、交換してもらえへんかった」


 健太が答えると、中村拓郎が身を乗り出した。


「そこで諦めたらあかんやろ。押して押して押しまくれ!」


「いや、藤井は相手の意思を尊重しろって言うてたぞ」


「お前、どっちやねん!」


 田村剛の突っ込みに、テーブルが笑いに包まれた。


 藤井直樹だけは笑わなかった。


「一回断られたことを、何度も聞いていい理由にしたらあかん。相手が交換したくないなら、それで終わりや」


「分かってるわ」


 健太は答えた。


 分かっているつもりだった。


 ただ、頭では理解していても、胸の中には小さな期待が残っている。


 次に会えば、何かが変わるかもしれない。


 もう少し格好よくなれば。


 もう少し面白い話ができれば。


 いつか相手の気持ちが、自分に向くかもしれない。


 そんな考えを捨てきれずにいた。


     *


 午後九時を過ぎたころ、健太のスマートフォンに通知が届いた。


 地域ボランティアの連絡グループだった。


『次回の清掃活動は、十月四日の日曜日です。参加できる方は返信をお願いします』


 その下に、佐藤真紀から個別のメッセージが届いた。


『大野さん、前回はありがとうございました。次の活動、参加されますか?』


 健太は画面を見つめた。


 心臓が一度、大きく跳ねた。


 彼女から個別に連絡が来た。


 それだけで、店内の騒がしい声が遠のいた気がした。


「どないしたん?」


 山本和也が画面をのぞこうとする。


「なんでもない!」


 健太は慌ててスマートフォンを伏せた。


「その反応、なんでもない奴の反応ちゃうやろ」


「うるさいわ!」


 仲間たちの追及をかわしながら、健太は返信を考えた。


『参加します。佐藤さんも来られますか?』


 打ち込んでから、消した。


 馴れ馴れしいだろうか。


 ならば、こうか。


『参加します。よろしくお願いします』


 それでは素っ気ない気もした。


 結局、最初の文章に戻して送信した。


 数分後、返信が届いた。


『はい、参加する予定です! 当日はよろしくお願いします』


 最後に、笑顔の絵文字が一つ。


 健太はスマートフォンを握りしめた。


 たったそれだけのやり取りだった。


 けれど、頭の中では勝手に物語が始まっていた。


 清掃活動の帰りに二人きりになる。


 近くのカフェに誘う。


 夕暮れの窓際で向かい合い、普段は聞けない話をする。


 彼女が少し照れたように笑う。


 そして、帰り際に連絡先を交換する。


 ――いや、待て。


 健太は頭を振った。


 まだ何も起きていない。


 彼女は、次の活動について確認しただけだ。


 それ以上でも、それ以下でもない。


 そう自分に言い聞かせた。


 しかし、胸の奥に灯った期待は消えなかった。


     *


 十月四日。


 朝から曇り空だった。


 集合場所に着いた健太は、軍手をはめながら真紀を探した。


 彼女は少し離れた場所で、若い男性ボランティアと話していた。


 男性は二十代後半くらいだろうか。清潔感のある服装で、話し方も自然だった。


「この前教えてもらった店、行ってみたんですよ」


「本当ですか? どうでした?」


「おすすめのケーキ、すごくおいしかったです」


 二人は楽しそうに笑った。


 健太の胸に、鈍い痛みが走る。


 自分の知らない会話。


 自分の知らない店。


 自分の知らない真紀の笑顔。


 頭の中に、嫌な想像が浮かんだ。


 付き合っているのだろうか。


 いや、単なる友達かもしれない。


 そもそも、自分には関係のないことだ。


「大野さん、おはようございます!」


 真紀が気づいて手を振った。


「お、おはようございます」


「今日も来てくださったんですね。助かります」


 彼女はいつもどおりの笑顔だった。


 健太は、その笑顔に救われた気がした。


 だが同時に、期待してしまう自分もいた。


 彼女は自分が来たことを喜んでいる。


 だから、自分は特別なのではないか。


 その考えが頭をよぎった瞬間、健太は慌てて作業に集中した。


 ゴミ袋を持ち、歩道のごみを拾い、植え込みの周辺を清掃する。


 真紀とは何度か言葉を交わしたが、二人きりになる機会はなかった。


 活動が終わるころには、空から小さな雨粒が落ち始めていた。


「皆さん、今日はありがとうございました!」


 真紀が参加者に頭を下げた。


 そのあと、彼女は健太のところへやってきた。


「大野さん、また次回も来られそうですか?」


「はい。予定が合えば」


「よかった。大野さん、こういう作業を丁寧にしてくださるから」


 また、褒められた。


 健太の胸が熱くなる。


 今なら、誘えるかもしれない。


 活動の帰りに、お茶でもどうですか。


 その一言を言うだけだ。


 だが、口を開いた瞬間、彼女が困った顔をする光景が浮かんだ。


 もし断られたら。


 もし、今までの関係まで気まずくなったら。


 結局、健太は言葉を飲み込んだ。


「ありがとうございます。また来ます」


「はい、よろしくお願いします!」


 真紀は笑顔で会釈し、先ほどの男性のもとへ戻っていった。


 健太は、その背中を見送った。


 また、何もできなかった。


     *


 帰宅途中、健太は駅のホームでスマートフォンを取り出した。


 検索欄に入力する。


『女性から自然に食事に誘ってもらう方法』


 検索結果には、さまざまな記事が並んでいた。


 自信を持て。


 余裕を見せろ。


 相手の話をよく聞け。


 清潔感を大切にしろ。


 どれも間違いではないように思えた。


 しかし、読み進めるほど、分からなくなった。


 自信を持つことと、相手の気持ちを無視することは違う。


 余裕を見せることと、好意を隠して駆け引きすることも違う。


 相手の話をよく聞いたからといって、恋人になれるわけではない。


 記事の最後には、こう書かれていた。


『恋愛に絶対の正解はありません』


「……そんなこと、分かってるわ」


 健太は小さくつぶやいた。


 分かっている。


 それでも、正解が欲しかった。


 失敗しない方法が欲しかった。


 断られずに済む言葉が欲しかった。


 自分の努力が、確実に報われる仕組みが欲しかった。


 電車がホームに滑り込んできた。


 健太はスマートフォンをポケットにしまい、乗り込んだ。


 窓に映った自分の顔は、思っていたより疲れていた。


 三十五歳。


 仕事もしている。


 友人もいる。


 草野球を続けている。


 それなのに、恋愛のことになると、自分だけが取り残されている気がした。


 誰かに選ばれたい。


 誰かに必要とされたい。


 誰かと手をつないで、帰り道を歩いてみたい。


 その願い自体は、悪いことではないはずだ。


 ただ、その願いが強くなりすぎると、相手の気持ちより、自分の期待を優先してしまう。


 健太はまだ、そのことを本当の意味では理解していなかった。


 スマートフォンが震えた。


 ドリーム・エース・ナインのグループチャットだった。


『次の試合、十月十八日で決定! 全員参加な!』


 田村からの連絡に、仲間たちが次々と返信している。


 健太も短く返した。


『了解!』


 恋愛では何も進まなかった。


 それでも、次の試合はある。


 仲間たちと笑える場所は、まだ残っている。


 健太は窓の外を見た。


 次こそは。


 今度こそは。


 そう思いながら、彼はまた、答えのない夜へと帰っていった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。