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『性欲と肉体のナイトゲーム』  作者: こうた
第2章 2020年夏――恋愛作戦会議、開幕

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第27話 童貞男たちの恋愛講義、正解を知る者は誰もいない

 日曜日の午後二時。


 大阪市内のファミリーレストランに、俺たちドリーム・エース・ナインのメンバーが集まっていた。


 十二人の男たち。


 年齢は三十四歳から三十七歳。


 全員が高校時代に野球をしていた。


 そして、現在の共通点はもう一つある。


 人生が思いどおりに進んでいるとは、あまり言えないことだ。


 仕事、金、健康、家族。


 それぞれ悩みはある。


 恋愛についても同じだった。


 結婚している者はほとんどいない。恋人がいる者も少ない。過去に交際経験がある者も、恋愛がうまくいっているとは限らない。


 それでも、男たちは恋愛を語りたがる。


 なぜなら、自分が経験していないことについて語るのは、実際に経験するより簡単だからだ。


「ほな、今回のテーマを発表します」


 チーム代表の田村剛が、メニューを机に置いた。


「人の気持ちを理解するとは、どういうことか」


「何や、急に哲学みたいになったな」


 森川信也が笑った。


「もっと簡単でええやろ。女が好きなら、好きって言う。それで終わりや」


「それで終わるなら、世の中に失恋する男はおらんやろ」


 藤井直樹が即座に返した。


「いや、断られても押すんや!」


「お前、前に連絡先を聞いて断られた女性に、三回も聞き直した話を自慢してたよな」


「結果的に嫌われたけどな」


「自分で答え言うてるやないか!」


 石田雄二の突っ込みに、テーブルが笑いに包まれた。


 俺も笑った。


 だが、今日の俺は、いつものように笑って終わるつもりはなかった。


 さちこ先生と話して、考えたことがある。


 人の気持ちを理解するとは、相手の考えを完璧に当てることではない。


 相手が何を考えているのか分からないときに、勝手な答えを作らず、本人の話を聞くことなのかもしれない。


「なあ、みんな」


 俺は口を開いた。


「今まで、女性に親切にされたとき、どう思ってた?」


「そら、脈ありやろ」


 森川が即答した。


「早いな!」


「だって、興味のない男に親切にする必要ないやん」


「職場の人にも、店員にも、親切にする人はおるやろ」


「それは仕事や」


「ほな、仕事以外で親切にされたら、全部恋愛感情なんか?」


 森川は黙った。


 数秒後、腕を組んで言った。


「……全部とは言わん」


「やろ?」


「でも、可能性はある!」


「可能性の話をしてるんちゃうねん!」


 また笑いが起こった。


 ただ、森川の考えは、決して特別なものではないと思った。


 俺も同じように考えていた時期がある。


 いや、今だって完全に抜け出せたわけではない。


 女性が笑ってくれると、うれしい。


 名前を覚えてくれていると、特別な存在になれた気がする。


 自分の話を聞いてくれると、もっと話したいと思う。


 そうした感情が生まれること自体は、自然なのだろう。


 問題は、その感情を相手の気持ちだと勘違いすることだ。


「俺も、前はそう思ってた」


 俺は正直に言った。


「女性が優しくしてくれたら、自分に気があるんちゃうかって。けど、今考えたら、ただ親切にしてくれただけかもしれん」


「何や、健太。急に成長したみたいなこと言うやん」


 中村拓郎がからかう。


「成長したかどうかは分からん。でも、自分がそう思いたかっただけかもしれんって、考えるようになったんや」


 藤井が頷いた。


「それは大事やな。相手が何を考えてるか分からんとき、自分の願望を答えにしたらあかん」


「でも、何もせんかったら恋愛なんて始まらんやろ?」


 西村徹が口を挟んだ。


「そこが難しいねん」


 俺は答えた。


「好意があるかどうか分からんから、何もできん。でも、何もしなかったら、何も分からんままや」


「じゃあ、聞いたらええんちゃう?」


 それまで黙っていた山本和也が言った。


「何を?」


「相手がどう思ってるか」


「いきなり『俺のこと好きですか』って聞くんか?」


「……それは、状況によるやろ」


「山本、お前、データ分析の前に人間の勉強せえ!」


 田村が突っ込んだ。


 山本は眼鏡を直した。


「いや、でも、相手の気持ちを推測するより、直接確認した方が情報の精度は高いやろ」


「情報の精度って言い方が、もう恋愛に向いてへんねん」


 藤井が笑った。


 俺たちはまた笑った。


 しかし、山本の言葉にも一理あった。


 もちろん、どんな場面でも直接尋ねればいいわけではない。


 相手が答えにくい状況もある。


 関係性やタイミングもある。


 ただ、想像だけで結論を出すより、相手の言葉を聞く方が確かなことは多いだろう。


「俺はな」


 藤井がコーヒーを飲んでから話し始めた。


「昔、付き合ってた女性に言われたことがあるんや。『直樹は優しいけど、私の話を聞いてない』って」


「お前、話を聞いてへんかったんか?」


 石田が尋ねた。


「聞いてるつもりやった。仕事で疲れたって言われたら、元気づけようとした。悩んでるって言われたら、解決方法を考えた。会いたいって言われたら、会う時間を作った」


「それ、ええことやん」


 森川が言った。


「でも、彼女が欲しかったのは、いつも解決策やったわけちゃうねん。ただ話を聞いてほしいときもあったし、一人で休みたいときもあった」


 藤井は少し笑った。


「俺は、彼女のために頑張ってるつもりやった。でも、いつの間にか、自分が頑張ってることを分かってほしくなってたんやと思う」


 テーブルが静かになった。


「俺はこんだけしてるのに、何で分かってくれへんねん、ってな」


 藤井は続けた。


「けど、相手からしたら、頼んでもないことまで頑張られても困ることがある。もちろん、全部がそうやったわけやないけどな」


 俺は、先日の父とのやり取りを思い出した。


 心配している。


 役に立ちたい。


 必要とされたい。


 そういう気持ちの中に、自分のための感情が混じっていた。


 それを認めるのは、少し苦しかった。


 自分の親切を、純粋なものだと思っていたからだ。


「じゃあ、優しくせん方がええんか?」


 森川が尋ねた。


「極端やな」


 藤井は苦笑した。


「優しくするのはええことやと思うで。ただ、優しくしたからって、相手に何かを返してもらえると思ったらあかんのや」


「何も返してもらえへんかったら、損やん」


 中村が言った。


「恋愛を損得勘定で考えてる時点で、しんどいやろ」


「でも、男ばっかり金を出したり、時間を使ったりするのは不公平ちゃうんか?」


 中村の声には、いつもの冗談とは違う響きがあった。


 藤井はすぐには答えなかった。


「それは、別の話やと思う。どっちか一方だけが我慢する関係なら、続けるのは難しいやろ。自分が何を望んでるかも、相手に伝えなあかん」


「……なるほどな」


 中村はコーヒーを飲んだ。


 俺は、恋愛というものが少しずつ複雑に見えてきた。


 優しくするだけでは足りない。


 相手のことを考えるだけでも足りない。


 自分の気持ちを押し殺すのも違う。


 では、どうすればいいのか。


 答えは一つではないのだろう。


     *


「ところで、健太」


 石田が俺に話を振った。


「お前、最近よく話に出てくる女医さん、どんな人なん?」


「何でその話になるねん!」


「四十二歳で、はっきりものを言う人なんやろ?」


「そうやけど」


「お前、そういう女性が好みなんか?」


 俺は少し考えた。


「……分からん」


「分からんのかい!」


「いや、ほんまに分からんねん。尊敬してるとは思う。でも、それが恋愛感情かどうかは分からん」


 以前なら、そんな答えは情けないと思っていた。


 女性に興味を持ったら、好きなのかどうか、すぐに結論を出そうとしていた。


 だが、今は無理に決める必要はないと思えた。


 相手をもっと知ってから、自分の気持ちがどう変わるかを考えればいい。


 そもそも、さちこ先生は医師だ。


 俺が勝手に好意を抱いたからといって、彼女がそれに応える義務などない。


 患者の家族に親切にすることと、個人的に親しくなりたいと思うことは別だ。


「健太、お前、えらい慎重になったな」


 田村が言った。


「前は女性と少し話しただけで、何かあったんちゃうかって騒いでたのに」


「自分でも、そう思うわ」


「ほな、今はどうしたいんや?」


 俺は考えた。


「まずは、自分が相手のことをどう思ってるのか、ちゃんと考えたい。それから、相手が嫌がらん範囲で普通に話せたらええと思う」


「普通に話す、か」


 藤井が頷いた。


「それが意外と難しいんやけどな」


「お前、経験者やろ!」


「経験者でも失敗するって、何回言わせんねん!」


 笑いが起こった。


 だが、そのとき俺は、ふと別の女性のことを思い出した。


 地域のボランティアで出会った佐藤真紀さん。


 彼女と話したとき、俺は無理に自分をよく見せようとはしなかった。


 もっとも、内心では、少しでも好印象を持ってもらいたいと思っていた。


 その気持ちまで消えたわけではない。


 ただ、彼女が俺に好意を持っているかどうかを、勝手に決めつけることはしたくなかった。


 また会える機会があれば、話をしてみたい。


 それで十分なのかもしれない。


「なあ、みんな」


 俺は口を開いた。


「もし、女性に好意を伝えて断られたら、どうする?」


「諦める!」


 井上雅人が答えた。


「俺は、相手に迷惑をかけたくないからな」


「いや、でも、一回断られただけで諦めるんか?」


 森川が口を挟んだ。


「状況によるやろ」


 藤井が言った。


「相手がはっきり断ったなら、基本的にはその答えを尊重する。曖昧な返事なら、無理に迫らず、相手が考える時間を持てるようにする。どっちにしても、相手の意思を無視して押し続けるのは違う」


「でも、それやったらチャンスを逃すこともあるやろ?」


「あるかもしれんな」


 藤井は認めた。


「ただ、チャンスを逃したくないからって、相手の嫌がることをしてええ理由にはならんやろ」


 森川は口を閉じた。


 俺はその言葉を胸に刻んだ。


 恋愛は、自分の望みをかなえるためだけのものではない。


 相手にも、望みがある。


 相手にも、選ぶ権利がある。


 その当たり前のことを、俺たちはようやく真剣に考え始めていた。


     *


 会議が終わるころには、テーブルの上に空のコーヒーカップと、食べ終えた皿が並んでいた。


 結局、誰も恋愛の正解を見つけることはできなかった。


 森川は相変わらず自信満々だったし、中村は恋愛にも損得勘定を持ち込んでいた。


 山本は相手の気持ちを分析しようとし、井上は相手に嫌われることを恐れていた。


 俺も同じだ。


 人に好かれたい。


 拒絶されたくない。


 できれば、傷つかずに恋愛をしたい。


 そんな都合のいい願いを、まだ心のどこかに持っていた。


「ほな、次回までの課題を決めようや」


 田村が言った。


「課題?」


「相手の話を最後まで聞く。自分の考えを押しつけない。できたら、実際にやってみる」


「何か、学校みたいやな」


 石田が笑った。


「三十五歳にもなって、宿題か」


「お前ら、勉強せな何も変わらんやろ」


 田村の言葉に、俺たちは黙った。


 確かにそうだった。


 今までと同じ考え方をして、今までと同じ行動をしていたら、結果も大きくは変わらない。


 恋人が欲しいと願うだけでは、恋人はできない。


 女性に好かれたいと願うだけでは、女性の気持ちは分からない。


 だからこそ、まずは自分にできることを変えていく必要がある。


 俺は立ち上がり、仲間たちに言った。


「俺、次のボランティアにも参加してみるわ」


「佐藤さんがおるからか?」


 藤井がニヤリと笑った。


「……それもある」


 正直に答えると、仲間たちが一斉に騒ぎ出した。


「おおっ、認めた!」


「ついに恋愛が動き出すんか!」


「健太、今度こそ連絡先を聞けよ!」


 俺は苦笑した。


「いや、まだそういう段階ちゃうから」


「ほな、どんな段階やねん!」


「俺にも分からん!」


 そう言うと、また笑いが起こった。


 分からないことを、分からないと言う。


 それも、俺にとっては小さな進歩だった。


     *


 帰り道、俺は一人で駅まで歩いた。


 八月の空は、まだ明るかった。


 スマートフォンを取り出すと、母からメッセージが届いていた。


『今日はお父さん、調子よかったみたい。ありがとう』


 俺は返信を打ちかけた。


『俺が付き添ったおかげやな』


 そんな言葉が頭に浮かんだ。


 もちろん、冗談だ。


 しかし、少し考えて、その文章を消した。


 父の調子がよかったのは、俺が付き添ったからとは限らない。


 父自身が薬の記録をつけ、医師に相談したからかもしれない。


 母が毎日気を配っていたからかもしれない。


 あるいは、いくつもの要因が重なった結果かもしれない。


 俺は、短く返信した。


『よかったな。父さんにも、記録を続けるように伝えといて』


 送信してから、少し笑った。


 以前の俺なら、もっと自分の働きを強調していたかもしれない。


 自分が役に立ったと思いたかったからだ。


 だが、人のために何かをすることは、自分の価値を証明するためだけのものではない。


 感謝されなくても、相手が望んでいることなら、手を貸せばいい。


 反対に、感謝されることを期待している自分に気づいたら、その気持ちも認めればいい。


 大切なのは、自分の気持ちをなかったことにするのではなく、それを相手に押しつけないことなのだろう。


 俺は空を見上げた。


 恋愛の正解は、まだ分からない。


 いや、正解というものが、本当にあるのかどうかも分からない。


 ただ一つ、分かったことがある。


 俺は今まで、恋愛を始める前から、相手に自分の望む答えを求めていたのかもしれない。


 自分を好きになってほしい。


 自分を認めてほしい。


 自分を必要としてほしい。


 その願いばかりが先に立ち、相手がどんな人なのかを知ろうとしていなかった。


 これからは、少しずつ変えていきたい。


 相手を知ること。


 自分を知ること。


 そして、相手が自分と違う考えを持っていても、その違いを受け入れること。


 簡単ではない。


 きっと、これからも失敗する。


 それでも、何も変えないまま年齢だけを重ねていくよりはいい。


 俺はスマートフォンをポケットにしまい、歩き始めた。


 そのとき、画面がもう一度光った。


 藤井からだった。


『そういや健太。次のボランティア、いつや?』


『来週の日曜日やと思う』


『頑張れよ。ただし、佐藤さんの気持ちを勝手に決めつけるなよ』


『分かってる』


 俺はそう返信した。


 しかし、心の中では、まだ一つだけ答えが出ていなかった。


 俺は佐藤真紀さんに会いたいのか。


 それとも、彼女に好かれる自分になりたいのか。


 その二つは、似ているようで違う。


 そして、俺が本当に向き合わなければならないのは、彼女の気持ちだけではない。


 自分の気持ちだった。

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