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『性欲と肉体のナイトゲーム』  作者: こうた
第一章 2020年春――恋愛活動、プレイボール!

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17/71

第17話 恋愛強化計画、再始動!

 七月最初の日曜日。


 大阪の食堂「まる福」に、ドリーム・エース・ナインの男たちが集まっていた。


 午後二時。


 昼食のピークを過ぎた店内には、テレビの音と食器の触れ合う音が響いている。


 窓際のテーブルを占領した十二人は、相変わらず騒がしかった。


「おい、森川。お前、また唐揚げ定食の大盛りか」


 田村剛が呆れた声を出した。


「何が悪いねん。体を作るためや」


「お前、先週の練習で十分も走られへんかったやろ」


「あれは気温の問題や」


「今日は涼しいぞ」


「湿度が高い」


「便利な体やな!」


 藤井直樹が笑った。


 森川信也は不満そうに水を飲んだ。


 その隣では、石田雄二がすでに定食を半分ほど食べ終えている。


「石田、お前も人のこと言えへんやろ」


「俺はええねん」


「何がええねん」


「食べることは人生の喜びや」


「野球は?」


「人生の喜びの一つや」


「一つなんかい!」


 笑い声が上がる。


 健太も笑っていた。


 いつもどおりの光景だった。


 しかし、今日の集まりには、野球以外の目的がある。


 田村がテーブルの上にノートを置いた。


「ほな、そろそろ本題に入るぞ」


「本題って何や?」


 中村拓郎が尋ねた。


「お前、グループチャット読んでへんのか」


「読んだけど、腹減って内容忘れた」


「お前は食欲以外の記憶容量が少なすぎるやろ」


 田村は咳払いをした。


「前に決めた恋愛強化計画。覚えてるな?」


「おお!」


 松田浩一が声を上げた。


「今年中に全員、女性と食事に行くんやったな!」


「そうや。無理に恋人を作るんやない。まずは、女性と自然に話して、相手を知るところから始める」


 田村はノートを開いた。


「ルールも確認する。相手が嫌がることをしない。返事を急かさない。断られたら受け入れる。相手の気持ちを勝手に決めつけない」


「最後のやつ、健太に向けて言うてるやろ」


 中村がニヤニヤしながら言った。


「何で俺やねん!」


「いや、お前は昔から、女性が笑っただけで結婚式まで想像するからな」


「そこまでしてへんわ!」


「新婚旅行の行き先まで考えてたやろ」


「それは……ちょっとだけや!」


「考えとるやないか!」


 全員が笑った。


 健太は顔をしかめた。


 反論したい気持ちはあったが、完全には否定できない。


 以前なら、笑われたことに腹を立てていただろう。


 しかし、最近は、自分の欠点を指摘されることにも、少しずつ慣れてきた。


 もちろん、面白くはない。


 それでも、言われたことが間違っていないなら、考えてみる価値はある。


「まあ、俺も気をつけるわ」


 健太が言うと、中村は一瞬だけ意外そうな顔をした。


「……何や。素直やな。熱でもあるんか?」


「お前なあ!」


 健太はテーブルを叩いた。


「せっかく反省してんのに、何でそうなるねん!」


「いや、成長したと思って感動してんねん」


「絶対うそやろ!」


 再び笑い声が広がった。


     *


 食事が終わり、田村が一人ずつ現状を聞くことになった。


「まず俺からや」


 田村は腕を組んだ。


「俺は、職場の知り合いに一人、食事に誘ってみたい人がおる」


「おお!」


 松田が身を乗り出した。


「名前は?」


「それは言わん」


「何でやねん!」


「相手のプライバシーや」


「急に真面目やな」


「当たり前やろ。まだ本人に誘ってもいないのに、ここで名前を出す必要はない」


 田村は少し照れたように咳払いをした。


「ただ、いきなり二人きりで誘うんやなくて、まずは仕事の話から普通に会話してみるつもりや」


「それでええんちゃうか」


 藤井がうなずいた。


「相手がどういう人か知ることから始めたらええ」


「よし。次、中村」


「俺は、パチンコ屋の店員さんがちょっと気になる」


「やめとけ」


 山本和也が即答した。


「何でやねん!」


「お前、店員さんが笑ってくれたら、自分だけ特別扱いされてると思うタイプやろ」


「……」


「しかも、お前、パチンコに負けたら機嫌悪なるやん。相手に迷惑かける未来しか見えへん」


「お前、データ分析の精度高すぎるやろ!」


 中村は頭を抱えた。


「ほな、どうしたらええねん」


「まず、自分の生活を整えろ。金の管理をして、負けたからって他人に当たらんようにする。恋愛はその後でも遅くない」


「うっ……」


 中村は言葉を失った。


 誰も笑わなかった。


 冗談のように聞こえる話だったが、実際には大切な問題だった。


 誰かと付き合うということは、自分の都合だけで生活するわけにはいかなくなるということでもある。


 お金の使い方。


 時間の使い方。


 感情の扱い方。


 それらを変える気がないまま、恋人だけを求めても、うまくいくとは限らない。


「……分かった。まず、家計簿つけるわ」


 中村は珍しく真面目な顔で答えた。


「ただし、三日坊主になる可能性はある」


「自分で言うな!」


     *


 続いて、森川の番になった。


「俺は、昔の知り合いに連絡してみようと思う」


「女性か?」


 田村が尋ねた。


「そうや。高校時代に同じクラスやった女性がおる」


「連絡先は知ってるんか?」


「知ってる。何年か前に同窓会で交換した」


「最後に連絡したのは?」


「……三年前」


「何て送るつもりや?」


「久しぶり。元気にしてるか? 俺、昔よりええ男になったで、って」


 全員が一斉に首を振った。


「やめとけ!」


「何でやねん!」


 森川が声を上げた。


 藤井が説明した。


「いきなり自分を売り込まんでええやろ。まずは久しぶりに連絡することを伝えて、相手が返事をしてくれるかどうかを見る。返事がなければ、それ以上は送らん」


「それだけでええんか?」


「それだけでええんや。相手が話したいと思えば、会話は続く。続かへんかったら、それも一つの答えや」


「……難しいな」


「難しく考えすぎや」


 藤井は笑った。


「野球でいうたら、初球からホームランを狙わんでもええってことや」


「俺はホームランを狙う男や!」


「お前、最近バットに当たってへんやろ!」


 田村のツッコミに、森川は黙り込んだ。


     *


 話は、少しずつ進んでいった。


 松田は服装を見直すと言った。


 山本は恋愛について分析するのを一度やめ、実際に人と会話してみることにした。


 石田は食事の量を減らすと宣言したが、全員から「まずは間食を減らせ」と指摘された。


 小林大輔は、高校時代の知り合いに連絡する前に、昔の武勇伝を語る癖を直すと約束した。


 岡本修は、過去に女性から断られたとき、相手の見る目がないと決めつけていたことを認めた。


「断られたら、腹立つやろ」


 岡本は、テーブルの木目を見ながら言った。


「自分なりに頑張ったつもりやったら、余計にな」


「そら、落ち込むことはあるやろな」


 藤井が答えた。


「でも、相手が断る理由まで、こっちが決める必要はない。相性かもしれんし、恋愛する気がないのかもしれん。理由を教えてくれへんこともある」


「それでも、納得できんときは?」


「納得できん気持ちが残ることと、相手に答えを要求することは別や」


 岡本は、しばらく黙っていた。


「……次からは、断られたら一回で引くわ」


「それでええ」


 藤井はうなずいた。


 健太は、仲間たちの話を聞きながら、少し不思議な気持ちになっていた。


 自分だけが恋愛で悩んでいると思っていた。


 経験がないのは自分だけ。


 女性と自然に話せないのも自分だけ。


 自分だけが、何か大切なものを持たずに大人になってしまった。


 そう思っていた。


 しかし、仲間たちも、それぞれ問題を抱えている。


 恋愛経験があっても、相手の気持ちが分からない。


 女性と話せても、長く関係を続けられない。


 結婚したいと思っていても、自分の生活を変えられない。


 誰かを好きになっても、断られるのが怖くて行動できない。


 経験があれば、すべてが分かるわけではない。


 むしろ、経験したからこそ、自分の未熟さに気づくこともあるのだろう。


「ほな、最後は健太やな」


 田村の声で、健太は顔を上げた。


「俺か」


「お前は、どうする?」


 全員の視線が集まった。


 健太は少し迷った。


 病院で会った看護師のなおみ。


 薬局で会う理沙。


 地域の買い物支援で知り合った真紀。


 気になる女性はいる。


 しかし、自分が相手のことを知っているかと聞かれれば、ほとんど知らない。


 それに、気になっていることと、実際に恋愛関係になりたいと思うことが、同じなのかも分からなかった。


「……俺は、まず普通に会話できるようになりたい」


 健太は言った。


「普通に?」


 中村が聞き返した。


「せや。女性と話したら、すぐに好かれようとしてまう。何か面白いことを言わなあかんとか、ええ男やと思われなあかんとか、そういうことばっかり考えてる」


 健太は、少し恥ずかしくなった。


「けど、そういうことを考えすぎるから、相手の話をちゃんと聞けへんのやと思う。まずは、相手の話を聞く。自分のことも少しずつ話す。そこから始めたい」


 藤井が笑った。


「ええやん」


「ほんまか?」


「うん。ただし、一つだけ気をつけろよ」


「何や?」


「相手の話を聞くことを、相手に好かれるための作戦にせんことや」


 健太は、口を閉じた。


「……それは、難しいな」


「難しいと思うで。俺かて、完全にはできてへん」


 藤井は肩をすくめた。


「けど、相手の話を聞きながら、ずっと『これをしたら好かれるやろか』って考えてたら、結局、自分のことしか見てへんことになるからな」


 健太は、ゆっくりとうなずいた。


 誰かに好かれたい。


 その気持ちを完全になくすことはできない。


 しかし、好かれることばかりを考えていると、相手を一人の人間として見る余裕がなくなってしまう。


 それは、これまで何度も経験してきたことだった。


「分かった。気をつけるわ」


「よし。ほな、健太の目標はそれやな」


 田村がノートに書き込んだ。


『大野健太――相手の話を聞き、自分のことも少しずつ話す』


「何か、学校の生活目標みたいやな」


 松田が笑った。


「お前は何やねん。『高い服を買う前に鏡を見る』か?」


「何で俺だけそんな目標やねん!」


 テーブルは、再び笑いに包まれた。


     *


 会議が終わり、男たちはそれぞれ帰り支度を始めた。


 店の外に出ると、蒸し暑い風が吹いていた。


 大阪の街は、少しずつ日常を取り戻そうとしていた。


 だが、感染症への不安は消えていない。


 人と会うことにも、食事に行くことにも、以前より慎重にならざるを得ない。


 恋愛を始めるには、決して簡単な時期ではなかった。


「なあ、健太」


 藤井が声をかけた。


「何や?」


「お前、気になる女性がおるんやろ?」


 健太は、一瞬、動きを止めた。


「……何で分かるねん」


「顔に出てるから」


「そんなに分かりやすいか?」


「分かりやすい。お前、女性の話になると急に黙るか、逆にしゃべりすぎるかのどっちかや」


「最悪やないか」


「まあな」


 藤井は笑った。


「ただ、誰かを気になること自体は悪いことちゃうで」


「……うん」


「相手がどんな人なのか知りたいと思うなら、その気持ちは大事にしたらええ。ただし、相手にも生活がある。こっちの都合で距離を縮めようとせんことや」


「分かってる」


「ほんまか?」


「……努力する」


「それでええ」


 藤井は、健太の肩を軽く叩いた。


「いきなり恋人を作ろうとせんでもええねん。まずは、誰かと話して、自分も相手も、少しずつ知っていけばええ」


 健太は、うなずいた。


 これまで、自分は恋愛を特別なものだと思いすぎていたのかもしれない。


 恋人ができれば、孤独が消える。


 女性に好かれれば、自分に価値があると証明できる。


 そんなふうに考えていた。


 けれど、誰かと知り合うことは、相手に自分の価値を認めてもらうための試験ではない。


 相手にも、その人自身の人生がある。


 自分と同じように、悩みもあれば、都合もある。


 それを忘れないこと。


 まずは、そこからだった。


     *


 帰宅後、健太は机に向かった。


 ノートを開き、今日の会議で決まった目標を書いた。


『相手の話を聞き、自分のことも少しずつ話す』


 その下に、もう一つ書き加えた。


『好かれるためだけに、相手を知ろうとしない』


 書き終えたとき、スマートフォンが震えた。


 地域の買い物支援活動のグループからだった。


 次回の活動日程についての連絡が入っている。


 健太は内容を確認した。


 次の土曜日、午前九時から。


 参加できる人は返信するように書かれていた。


 健太は、すぐに参加の返事を送った。


 以前、同じ活動で知り合った佐藤真紀の顔が浮かんだ。


 また会えるかもしれない。


 そう思うと、少しうれしかった。


 しかし、健太はそこで考えるのをやめた。


 真紀が参加するかどうかは分からない。


 会えたとしても、彼女が自分をどう思っているかは分からない。


 それでも、活動そのものには意味がある。


 誰かの役に立つこと。


 地域の人と関わること。


 そして、相手の事情を知ろうとすること。


 それらは、恋愛につながらなくても、無駄にはならない。


「……よし」


 健太はノートを閉じた。


 今年中に、女性と食事に行く。


 それが、ドリーム・エース・ナインの目標だった。


 だが、健太にとって本当に必要なのは、単に食事の約束を取りつけることではない。


 相手を知り、自分を知ってもらうこと。


 そして、相手が自分の望む答えをくれなかったとしても、その人を尊重できるようになること。


 それができるようになったとき、初めて誰かと向き合えるのかもしれない。


 もっとも――。


 健太は、まだ知らなかった。


 どれだけ真面目に考えていても、実際に女性を目の前にすると、頭の中で立てた計画など簡単に吹き飛んでしまうことを。


 そして、次に彼が出会う女性は、健太がこれまで出会ってきた女性とは、少し違うタイプの人間だった。


 年齢は四十二歳。


 職業は、医師。


 そして、誰に対しても遠慮なくものを言う、かなり気の強い女性だった。


 彼女の名前は、井川さちこ。


 健太の恋愛強化計画は、いよいよ想定外の方向へ転がり始めようとしていた。

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