第110話 ゴルフ場で待っていた女性
2022年5月1日。
ゴールデンウィークの日曜日。
健太たちは、初めての本格的なゴルフコースに向かっていた。
参加者は、健太、田村、森川、石田、松田、山本、藤井の七人。
そして、今回一緒にラウンドすることになった小野寺みほと高橋りえの二人だった。
待ち合わせは朝の六時半。
健太は前日の夜から落ち着かなかった。
ゴルフウェアを準備し、必要なものを何度も確認する。
ボール、ティー、グローブ、タオル、飲み物。
まるで遠足の前日の子どものようだった。
「お前、そんなに緊張してるんか?」
電話越しに藤井が笑った。
「初めてやからな。何を持っていけばいいか分からん」
「忘れ物だけ確認しとけ。スコアなんか気にせんでええ」
「分かった」
翌朝、健太は予定より早くゴルフ場に到着した。
広い駐車場には、高級そうな車が何台も並んでいた。
クラブハウスは想像以上に立派だった。
「ここがゴルフ場か……」
健太は建物を見上げた。
普段の生活では、あまり訪れることのない場所だった。
やがて田村たちが到着し、みほとりえも姿を現した。
「おはようございます」
みほが挨拶する。
「おはようございます。今日はよろしくお願いします」
田村が答えた。
りえも笑顔で続けた。
「皆さん、今日は楽しみましょうね」
そのとき、駐車場の奥から一台の白い高級車が入ってきた。
車から降りてきたのは、三十代後半くらいの女性だった。
背が高く、姿勢がよい。
淡い色のゴルフウェアに身を包み、手には高級ブランドのバッグを持っている。
「りえさん、おはようございます」
女性はりえに声をかけた。
「おはよう。来てくれてありがとう」
「こちらこそ。久しぶりのラウンドだから楽しみ」
りえは健太たちに女性を紹介した。
「皆さん、こちらは藤原ななさんです。私のゴルフ仲間です」
「初めまして。藤原ななです。今日はよろしくお願いします」
ななは丁寧に頭を下げた。
「大野健太です。よろしくお願いします」
健太も挨拶を返した。
ななのゴルフバッグには、見たこともないメーカーのクラブが揃っていた。
松田が小声で健太に話しかける。
「おい、あのクラブ……」
「またクラブの話か?」
「いや、あれは本当に高いと思うで」
松田は目を輝かせていた。
クラブハウスに入り、受付を済ませる。
ロッカールームで着替えを済ませた後、全員が練習グリーンに集まった。
「まずはパターの練習をしましょう」
みほが提案した。
健太はパターを握り、ボールを転がした。
しかし、距離感がまったく分からない。
短すぎたり、強すぎたりする。
「難しいな……」
「最初はみんなそうですよ」
みほが笑った。
その隣では、ななが静かにパターを打っていた。
ボールは狙った方向へ転がり、カップの近くで止まった。
「上手ですね」
健太が声をかける。
「ありがとうございます。昔からゴルフが好きなんです」
「どれくらい続けているんですか?」
「十五年くらいでしょうか」
「十五年!」
健太は驚いた。
「長いですね」
「好きだから続けられたんだと思います」
ななは穏やかに答えた。
やがてスタート時間が近づいた。
今回の組み合わせは、田村、健太、みほ、なな。
もう一組は、森川、石田、松田、山本、藤井、りえとなった。
健太は初めてのティーショットを前に、緊張していた。
「力を抜いてくださいね」
みほが声をかける。
「はい」
健太はクラブを構えた。
深呼吸して、ゆっくりと振る。
しかし、ボールは大きく右へ飛んでいった。
「……あかん」
健太は苦笑した。
「大丈夫ですよ。最初はそんなものです」
ななが笑顔で言った。
田村も続けて打ったが、ボールはあまり飛ばなかった。
その一方、みほとななは安定したショットを見せた。
健太は、自分の実力との差を思い知らされた。
それでも、初めてのコースは楽しかった。
広い芝生、遠くに見える山々、澄んだ空気。
練習場とは違う景色が広がっていた。
途中、ななと二人きりになる場面があった。
田村が次のショットの準備をしている間、健太はボールの位置を確認していた。
「大野さんは、ゴルフを始めてどれくらいですか?」
ななが尋ねた。
「まだ一か月くらいです」
「それなら、今日は十分楽しめていると思いますよ」
「ありがとうございます。でも、皆さんと比べると全然ですね」
「比べなくていいんです。自分のペースで続けることが大切ですから」
ななは優しく微笑んだ。
健太は、その言葉に少し救われた気がした。
しかし、ななは健太に特別な関心を示しているわけではなかった。
誰に対しても丁寧で、落ち着いた態度で接しているだけだった。
昼休憩になり、全員がレストランに集まった。
松田は、ななのクラブについて質問を始めた。
「藤原さん、そのドライバーはどこのメーカーですか?」
「これですか? 海外メーカーのものです」
「やっぱり高いやつですよね?」
ななは少し笑った。
「安くはなかったですね。でも、自分に合っているので気に入っています」
「いいなあ。僕も欲しくなってきました」
「道具は焦って買わない方がいいですよ。自分に合うものを選んだ方がいいですから」
みほも頷いた。
「松田さんは、まず自分のスイングを安定させた方がいいと思います」
「耳が痛いなあ」
テーブルに笑いが起こった。
食事の後、健太はななに尋ねた。
「藤原さんは、普段どんなお仕事をされているんですか?」
「私は会社を経営しています」
「会社を?」
「小さな会社ですけどね」
健太は驚いた。
ななは、仕事について詳しく語ろうとはしなかった。
「仕事も忙しいですけど、休日はこうして好きなことをするようにしています」
「いいですね」
「大野さんも、仕事以外に楽しめることがあるのは大切ですよ」
健太は頷いた。
食事を終え、午後のラウンドが始まった。
健太は相変わらずミスを繰り返したが、少しずつコースの雰囲気にも慣れてきた。
そして、最後のホールを終えた頃には、全員が疲れ切っていた。
「いやあ、疲れたな!」
森川が声を上げた。
「お前、走り回ってたからやろ」
藤井が笑う。
健太はスコアカードを見た。
想像以上に悪い数字だった。
それでも、初めてのラウンドは楽しかった。
帰り際、ななが健太に声をかけた。
「今日はありがとうございました。また機会があればご一緒しましょう」
「こちらこそ、ありがとうございました」
ななは笑顔で会釈し、りえと一緒に駐車場へ向かった。
健太はその姿を見送った。
彼女たちは、ゴルフを通じて知り合った仲間だ。
今はそれ以上でも、それ以下でもない。
しかし、ななとの出会いは、健太の生活に新しい刺激を与えることになる。
彼女が経営する会社。
彼女が持つ高級なゴルフクラブ。
そして、彼女が普段過ごしている世界。
それらは、健太がこれまで知らなかったものばかりだった。




