第27話 静眠
直弥の限界はもうすぐそこだ。
病室の椅子に浅く腰かけ、足を大きく広げたまま天井を睨む。
「あぁぁ……」
魂が抜けたような声が落ちた。
気が抜けない毎日を過ごしていると、こうやって自分で気が抜ける瞬間を作らなければ持たない。
目の下のクマがさっさと脱走してくれるのを願うばかりだ。
サラリとレースのカーテンが揺れるが、天気は曇り。雨は降らないらしいが、風が強い。
遠くでクラクションが鳴る音が、病室内に逃げ込んでくる。静寂しかない、部屋の中で点滴の規則的な落下だけが、目を引いた。
軽いノック音が聞こえ、返事をする気もなくいると、そのままドアが開く。
「愛する人と、感動の再会を果たした人とは思えない態度だね」
「……なんでぇ、ワンコロか」
成美が端に置いてあった椅子を持ってくる。背もたれを前し、ベッドに向かいながら座る。
ニヤつく顔には大きなガーゼが貼られていて、はみ出た部分が青く変色していた。
「再会の感想は?」
茶化す成美の言動に、直弥は天井を見上げたまま、また小さく唸る。
「泣けば満足か?」
「強がり方が雑だね」
この二人の接点は少ないが、こうやって軽口を叩ける程度には。
「真織、まだ口きいてくれないの?」
成美が別方向から仕掛けると、初めて直弥の体がびくついた。
先程まで投げ出していた体を小さくし、両手で顔を覆ってメソメソしだした。
「……めげそう……」
「うわ、ガチだ」
うぐぅっと、先ほどまでとは別の唸り声をあげて、直弥は複雑な心境を吐露する。
「怒り方が俺そっくりなんだよ……言い返せねぇ……」
「黒澤の血が覚醒してるから、圧がえげつないだろうな」
「あの子はパパの子だもんっ!」
「子離れしろよオッサン」
これはいつまで経っても終わらないな、と成美は小さく笑って、ベッドに視線を向けた。
「……変わんないね、真理さん」
眠る横顔は穏やかだ。
絃は真理を崇拝していただけあって、健康管理だけは徹底的だったそうだ。
改めて真理を診察してくれた医者が言うには、なぜ目を覚まさないのかがわからない状況だという。
直弥も顔をあげて、真理を見る。
「お前、あんま会ってねぇだろ」
「数える程度。でも強烈だったよ」
「どう強烈だ」
「頭悪そうな顔して、全部見てる感じ」
「悪そうじゃねぇ。悪い」
「何にも考えてなさそうで、人を見てる」
「ホントに、ナンも考えてねぇぞコイツ」
「……アンタ、本当にこの人の事好きなの?」
ボロクソに言う直弥の言葉があまりにも辛辣で、褒める言葉が思わず途切れる。
直弥はガシガシと頭を掻きながら、大きくため息をついて。
「お前も勘違いしてるが、コイツ普通の女だよ。頭悪いし、ひとのこと振り回すし、運動神経も悪い。取り柄と言ったら、顔と家柄だけだぞ」
絃が聞いたら怒るだろうな、という単語をこれでもかと並べる。
実際、直弥からみた真理はそうなのだろう。
だから真理はこの人を傍に置いたのだ。
たった一人、ただの“女”として見てくれたから。
「でも――人は集まる。変なのも含めて」
直弥の視線が、ほんの少し柔らぐ。
その視線が、言葉に乗せない愛を語っていることはすぐに分かった。
少しだけ間を置いて、成美が思い出したように笑いながら告げる。
「異母とはいえ、これが姉かって思ったもんな。俺、ちょっと怖かった」
「……は?」
「強すぎた――黒澤の血が。だから、不幸をも引き寄せた」
直弥は鼻で笑う。
「分かんなくていいんだよ。あれは」
「だから変なのが心酔するんだよ」
「……最たるが絃か」
思い出しただけでドッと疲れが押し寄せる。
真理が自身の価値を過小評価した。無意識に狂信者を増やし続けたのが、不幸の始まりだ。
成美が肩をすくめる。
「ちなみに、真織ちゃんの本当の父親って、結局わかんないまま?」
「聞くなって顔してた。踏み込ませなかった」
「血は黒澤なのに?」
一緒に過ごしていた頃に、一度だけ聞いたことがあった。
あの時だけだ、直弥が真理を恐ろしいと感じたのは。
肯定も否定も何一つせず。静かに笑みを浮かべ。
相手が好きか嫌いかもわからないまま。
ただ直弥が思うのは――決して嫌いな相手ではなかったという理解。
「……真理が選んだなら、それでいい」
さわさわと、またレースカーテンが揺れる。
ふと、直弥が急に横目で成美を睨む。
コイツと会う機会もなかなかない。聞きたいこと、言いたいことは今のうちだと話題を急転換させる。
「……つーか、お前だろ? うちの組になんかしたの」
話題の方向転換に、成美はギクリと肩を揺らした。
「いやぁ……なんかしたっていうか? むしろ、なんもしてないっていうか?」
「タイミング良すぎだろ」
「燻ってんなぁとは思ってた。お香は足したかもしれない」
「足してんじゃねぇかよ」
「微量。どうせ時間の問題」
組の方もようやくひと段落ついたが、真織を優先していたこともあって、まだまだ事後処理が残っている。一度は引退した身なので、そろそろ、と引き際を見極めているが、親父がなかなか許してくれない。
「上に気に入られるって、いいことばかりじゃねぇなぁ」
「それは同意」
「あ。親族会議、全員強制だってな」
「らしいね」
「お前は、本当に自分じゃなくてよかったのか?」
「俺? ……俺は、黒澤の子だけど、黒澤じゃないからさ」
「お前が一番、真人に似てるのに?」
成美は一瞬だけ瞬きをした。
「……冗談だろ?」
少し笑う。
「俺の父親は、ゲイの拓美だけだよ」
「ゲイは言わなくていいだろ……プライバシーだぞ」
「世の中には色んな父親がいるわけですよ」
「もう一人の方は大丈夫なのか?」
「アンタの娘が何枚も上手だった。諦めもつくだろ」
直弥はふっと息を吐く。
「黒澤の財は人、か」
「真理さん、よく言ってたね」
直弥は真理を見つめる。
「……ま、なんにせよここまで来た」
「この先も色々あるとは思うけど。あの子、見た目真理さんなのに中身あんただし」
「当たり前だ。俺が育てた」
「はいはい、自慢自慢」
直弥が立ち上がる。
「そろそろ行くか。人気者は困るねぇ」
「娘からは不人気だけどね」
「……ぐすっ……パパ、そろそろ限界」
「うっわ、ダサ」
「うるせぇ」
成美は最後に真理を見て、小さく呟く。
「起きたら最初の一言、賭ける?」
直弥は鼻で笑う。
「賭けになんねぇよ」
二人同時に。
『今日のごはん、なに?』
静かな病室に、笑いが落ちた。




