表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
25/31

第25話 崩落

縁側に干された梅は、少し皺を寄せている。水分が抜けはじめていた。

指先で確認するが、まだ硬い。


素足で踏み石の上に立ち上がる。


砂の感覚と、踏み石の冷たさ。うんっと背伸びをすると、世界が少しだけ揺れた気がした。


「――答えは決まったか」


背中に問いかけられた声に振り返ると、いつの間にいたのか絃が縁側に立ち、一段下にいる真織を冷たく見下ろす。


いつだって――この人は“上”に立ちたがる。


その境界線を越える勇気を持たない者に対する答えは一つ。


「ぜーったい、いやっ!」


鼻息荒く答えた真織に、絃は歯ぎしりするほど顔を歪めた。


「ふざけてるのか……?」

「ふざけたこと言ってるのそっちじゃん」


くだらない、と言い捨てる真緒は、絃が口を挟むことを許さず続けて。


「私、あんたみたいなの何て言うか知ってるよ」


腰に手を当て、大きく息を吸って。


「くそオヤジっていうんだよっ!」


絃は、絶句した。


視線が揺れる。


呼吸の仕方を忘れた。


――思考が停止する。


今まで言われたことがなかったのだろう。


真織からすると、この男は井の中の蛙だ。


黒澤を大海と勘違いした大馬鹿者である。


ふぅっと息を吐いて、空気を壊したのは真織だ。


柔和な雰囲気に包まれることに、絃の毛穴がゾワリと開きだす。


畳み掛けるように真織が尋ねた。


「緒凛が、弟達をどれだけ大切にしているのか知っている?」


「黒澤先生が、どれだけ生徒に慕われてるか知ってる?」


「夢兎さんが、どれだけ優しいか知ってる?」


「たかちが、どれだけ人気者か知ってる?」


「蝶くんが、どれだけ兄さんを信じてるか知ってる?」


たった一度の食事会で、あんなに温かい“家族”が、そこにあったのに。


父親として、何一つ知らない。


「全部経験ないくせに、全部知ったかしてんの、イタいわ」


無条件で自分を愛してくれる子供たくさんいるのに、目を向けなかったのは他でもない絃だ。


愛されたいと願うばかりの、ないものねだり。


「愛したこともないくせに――愛を語んなよキモ親父」


近くでヘリコプターの羽音が聞こえた――。



 ◇◆◇



「……まおー? 迎えに来たぞー?」


唐突な第三者の声に、空気が飛散した。


ひょうひょうとしながら、片手をあげてひらひらと寄ってくる男に、真織は驚き振り返り。


「おそいっ!!」


ブチ切れた。


流石に面食らったのは他でもない、迎えに来た男――直弥だ。


「…あの、まおちゃん? 久々にパパに会ってそれはないんじゃない? 結構ここまでたどり着くの大変だったんだよ?」


慌てて歩み寄りながら、あわあわと言い訳をする直弥に、真織は詰め寄って遠慮なく胸倉をつかむ。


「そもそもこっちはねっ!」

「まぉ……ぐるじっ……」

「アンタが借金作らなければ! こんなことに巻き込まれずに! 済んだんだよっ!!」


そう言って突き飛ばすように胸倉から手を離せば、ゲホゲホと咽ながらそれでもヘラリと笑う。


「いやぁ、借金とかまぁ、別にこう、今する話じゃないっていうか……」

「ああん?」

「あ、ごめんなさい……」


情けない直弥の姿に、絃はようやく呼吸ができた。


睨みつけ、まだ折れぬ心で牙を立てる。


「……なぜここが分かった」


真理が倒れる直前まで、傍にいることを許された男。

絃にとって、もう一人の“許せない存在”だ。


真織に見せた情けない父親としてではなく、闇に生きてきた男の顔を見せて。


「人は金より嘘をつく。だが――恐怖と恩義には弱い」


黒澤の中で生きてきた人間には、思いつきもしない手だ。


バタバタと黒いスーツの男たちが家を包囲する。


黒澤の者ではない――人相が人の道を外れている。


絃に向け構えられた銃口の数が、直弥が信頼されている数を語る。


それでもなお睨み続ける絃は、くくっと笑って真織を見た。


「お前、知っているのか? 自分の父親が何なのか」


直弥だって、これだけのことをしておいて、自分の出生を話さないつもりはない。

けれど絃の口から告げられるのはまた違う。


直弥が制するよりも先に、絃が鬼の首を取ったように笑った。


「コイツはお前の本当の父親じゃない。お前を欺き続けた男だ」

「……え? 知ってるよ?」


何を今さら、といった口調で真織が言う。

それに驚いたのは直弥も同じだ。


「この前、言ったじゃん。“思い出した”って」


真織が思い出したのは、襲われた事件だけではない。


幼少期――真織は直弥を「なーたん」と呼んでいた。

それは父親の愛称ではなく、父親じゃないと知っていたからそう呼んでいた。


本当の父親は知らない。


事実はどうであれ、真織にとって直弥が父親だ。


頭を撫でてくれたのも、抱きしめてくれたのも、愛してくれたのも。


――そして。


一時期、もう一人の家族だった「りんちゃん」と呼んだ優しいお兄ちゃん。


「え? 血の繋がりとか気にするタイプ? ごめん、あんま気になんなかった」


アッサリ告げた真織の態度に。


絃の中で、何かが音もなく崩れた。



 ◇◆◇



向けられた銃口が煙を吹くことはなかった。


既に無抵抗となった絃は、軽い拘束の上で直弥の部下らしき人達に囲まれている。


腕を組んで庭先に佇んでいた直弥の下に、部下の一人が駆け寄ってきて。


「確認しました。家の中に眠っている女性が一人」


その言葉に、直弥は目を閉じる。


静かに息を吐いて目を開けると、静かに部下へと指示する。


「黒澤のワンコロに連絡しろ。連中が来るまで動かすな。待機しとけ」

「うっす」


喧騒を聞きつけて近所の人が集まってきている。


いくら散居村とはいえ、近場の空き地にヘリコプターが止まっているのだ。

何事かと集まるのも無理はない。


そんな中、直弥は縁側に座って頬を膨らます真織に歩み寄って、頬をツンッと突けば。


「触んないで」

「あー……まおちゃん?」


直弥が真織の事をまおちゃんと呼ぶときは、機嫌を取る時だ。

主に、借金を重ねた時に発揮されるその呼称に、真織の機嫌はますます悪くなる。


「あのー、一応、結構大ごとになっててさ。さっさとここから退去した方がいいかな、って思うんだよね? ヘリがダメなら車もあるから、好きな方選んでいいし」

「交通手段に怒ってるわけじゃないんだけど?」


ギロリ、とにらむ真織にますます委縮する。


結果として、直弥が今まで黙っていた事が全部、真織にバレたのだ。


裏社会の人間という事実も、芋ずる式に借金生活が嘘だったことも。


真織にとって、血の繋がりを否定されるよりも、借金が嘘だった方が怒りポイントだったらしい。


「……羅刹が、娘に負けてる……」


部下の一人がポツリと呟いたのを聞き取った直弥がギロリと睨む。


「今、何か言ったか?」


低い声に、空気が凍る。


「い、いえっ」


視線が一斉に逸れ、誰もが無言で持ち場へ散っていく。


直弥は小さく舌打ちをした。


「……その名前で呼ぶなって言ってるだろ」

「……羅刹ね」


ギクリと直弥の肩が跳ねた。

恐る恐る振り返ると、真織が腕を組み、ふっと鼻で笑った。


「まおちゃん、あの……まだ怒ってる?」

「……飽きれてんのよっ! クソオヤジが!」


そう言って真織が立ち上がり、スタスタと玄関先へ向かう。


まだ混乱の中にいる部下達の合間を抜けようとすると、モーゼのようにぱっくりと道が開く。


「まってまって、パパ迎えにきたんだけど? 置いてかないで」


二人は絃に振り返ることもなく、喧嘩をしながら通り過ぎていく。


一瞬、真織がピタリと振り返ったのは、直弥に向けて。


「ほら、帰るよ」


そう言ってまた早足で歩みを進める真織の後ろを、直弥は嬉しそうについて行った。


二人の姿をぼんやりと見送っていた絃がふと顔を上げた。


人が集まる野次馬の中から、家を管理していた老婆が顔をのぞかせる。

真織と直弥はすでに遠くに用意されていた車に乗り込んでいるところで。


老婆は、直弥の部下に囲まれた絃を見て、穏やかに笑った。


「帰るがけ? 気をつけてね。仲良くするんよ」


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ