第19話 始動
会いたいと願えば会えるわけではない。
黒澤家当主というのは、会いに行くまでの過程が非常に長いと聞く。
親族でさえなかなか会えないのは、影響力の問題だ。
真人は自分が人に与える影響力を知っている。そして、その結果がどんなことになるかも。だからこそ人との接触を最小限にしている。
今の真織にはそれがなんとなく、わかる。
だからと言えばいいのか、真織は彼に会いに行く方法を理解していた。
緒凛に外出の許可を、珍しく自ら申し出た。
提案されるでもなく、自分の足で。緒凛は何も聞かなかった。代わりに秘書の同行を条件に許可を出す。なにも聞かない優しさに、また泣きそうになったのは内緒だ。
翌日、秘書に場所を指定して車を出してもらう。
昔の真織なら、それすら申し訳なさで委縮するが、背筋を伸ばして後部座席に座る。
到着したのは小さな庭を持った日本家屋。
真織が父親と住んでいたアパートの、すぐ近く。
そして――幼い頃から何度も足を運んだ場所。
いつも通りの場所。でも、今は少し違う。
黒いスーツを着た男性が、石門の前に一人。
私に付いてこようとした秘書の足を止めた。静止された秘書は珍しく焦ったように、制した男性と私を交互に見る。
振り返った私は声色を変えないまま静かに告げた。
「榊さん。ごめんなさい。ここで待っていて下さい」
「……しかし」
何か言いたげで、けれどこの秘書の男性も敏い人だ。
「大丈夫。私は――逃げません」
それは自分に言い聞かせるように。
秘書も私のまっすぐな視線にほんの少しだけ思案し、わかりましたと。
「こちらで待たせていただきます」
そう言って、こちらに背を向けて、男性の隣に立ったのは少し笑った。
負けず嫌いだ。
真織の足は石門から玄関に向かわず庭先へ。
ここの庭先には大きな枇杷の木がある。毎年、たわわに実る枇杷を、収穫するのも真織の役目だった。
その枇杷の木の下にも、今日はスーツ姿の男性がもう一人。気配を消して、ただそこに立つ。
少し荒れた庭の奥で、背を丸めて雑草を抜く人がいる。
つばの広い大きな麦わら帽子を被って、黙々と作業を続けるその人の隣に座り込み、近くにあった雑草をブチッと抜いた。
「……軍手がそこにある」
使いなさい、ということだろう。
近くに用意されていた新品の軍手を装着して、再び隣に座り込むと、ブチ、ブチ、と雑草を抜き始めた。
「足、悪いんじゃなかったの?」
「動けるうちは、動く」
「今まで動かなかったクセに」
「動く必要が、なかったからな」
その場の雑草が減っていく。
二人で少しだけ場所を移動しながら、土が見える範囲を広げていく。
ブチ。
ブチッ。
「考えたか」
「うん」
互いに作業を止めないまま。互いに顔を見合わせないまま、答え合わせが始まった。
「座るよ」
短い言葉。
けれど、その中に含まれているものは、重い。
真人は、すぐには返事をしなかった。
「理由を聞いても?」
抜いた草を集めながら問う。
試す声ではない。
確かめるための問い。
真織は、少しだけ迷った。その気持ちを誤魔化すように前を向いて草をむしる。ブチ。
「守りたい人がいるの」
その言葉に、作業していた真人の手が初めて止まった。わずかに目を細め、すぐに作業を再開する。
「黒澤のため、ではないのか」
「嫌だよ」
ハッキリとした否定に、真人の指先がピクリと反応した。
「結果的にそうなるなら、いいよ。でも……」
ブチッ。
手の中で、草の根がちぎれた。
「最初から“家のため”なら、私は座らない」
ブチ。
千切れた根を掘り起こすように。
「私には、全部足りない。立場も知識も、何一つ誇れるものがない」
ブチッ。
「それでも、選ぶよ」
トントン。根についた土を落としながら。
「今まで沢山の大人が私を守ってくれていた」
ブチッ。
「今度は、私が――」
なにを、誰をも、今はまだ言わないけれど。
草むしりの匂いが、真織は好きだ。
この家の匂いも。
知らなかった。
孤独を選びながら、何も言わず、見守り続けてくれていた事を。
でも、知っている。
この人は、ただ不器用で、優しい。
幼い頃から知る真人も、本家で出会った真人も――変わらない。
いつの間にか作業の手が止まった真人は、長い沈黙のあと、ゆっくりと立ち上がった。
「失うものも多い」
「……草むしりでお小遣いくれる、おじいちゃんとか?」
「守られない」
「うん」
真人は、真織の前に向かい立つ。
見下ろす視線は、威圧ではない。
量るための目。
真織も見上げる。逆光で麦わら帽子の下は見えにくい。
「それでも?」
その眼差しはわからないが、多分きっと。いつも通り。
真織も立ち上がり、真正面に立つ。
「うん」
力強く、迷いなく。
しばらくして、真人は小さく息を吐きながら軍手を外した。枇杷の木の下にいた男性が、音もなく近づき、汚れた軍手を受け取る。
真織も立ち上がって軍手を外して、その人に任せながら、両手をおわん型にして真人に差し出した。
「さ。お小遣い頂戴」
いつも通りの仕草。
いつも通りのがめつさ。
でも、真人はその両手に視線を落とし、指先に土のついた手で、こしゃくな真織の手を払い落とす。
「黒澤をくれてやる」
反射的に「いらない」と言いそうになったのは、内緒だが。
「財布をデカくしておけ――準備を始める」
それだけだった。
だが、それは。
――一族を動かす、合図だった。
その瞬間、黒澤家の歯車は――噛み合い始めていた。




