第18話 確信
テレビ電話の向こう側は、今日も陽気だ。
『Alooohaaaa!! My baby booooy!!』
『あ、しぃちゃん久しぶり。キャシーがしぃちゃんに会いたがって』
『あぁぁん! しぃちゃんっ! ネンネしてたの? ママの膝枕は? 子守歌はいらな――』
「うるせぇ……」
『まってしぃちゃん!? 今、ママのこと、うるさいって言った!? うるさいって!? やだっ! 反抗期! パパ!! 聞いてっ! しぃちゃんが反――』
『キャシー落ち着いて。日本はまだ明け方だよ。しぃちゃんごめんね。キャシー酔ってるから、また落ち着いたら連絡する』
『えええっ! 待ってよ! まだしぃちゃんとお話しした――』
ブチンッと急に沈黙が落ちた。
寝不足の脳に叩き込まれたのは、世界で一番愛情深くて、世界で一番うるさい目覚ましだった。
頭に響くのは昨日の酒か、親の声かはわからない。ガシガシと頭部をかきながら、フラフラと立ち上がると棚に足の小指をぶつけて悶絶する。
「……っ!! ……しばらくぜってぇ電話しねぇ……」
明るく陽気な母親を嫌いなわけではないが、徹夜明けには過剰摂取だ。
それでも、この騒がしさに何度救われたかわからない。
どうせ、次に鳴れば出る。
時刻を確認すると、自分が思っていたよりも随分早かったが、いかんせん目が覚めてしまった。
ベランダに立ち、淡く色づき始めた街を見下ろしながら、ぐぐっと背伸びして。
「……まぁ、今日も頑張りますかぁ」
◇◆◇
緒凛の邸宅敷地内に存在する別宅は成美のお気に入りだ。
古びた外観から人を寄せ付けず、しかし中は温かみのある書斎だ。
様々な場所への出入りを自由にさせてもらっている成美だが、ここが自分の居場所になっている。
誰も来ないし、誰にも見られない。
黒澤財閥の中で、唯一“役割を求められない場所”。
成美がここを気に入っている事を、家主である緒凛も知っている。緒凛は成美の存在を警戒しているが、意外と自由にさせてくれている。
居場所を探した経験があるからこその、優しさだ。
成美はソファに腰を下ろし、煙草を咥えていた。吸うわけでもなく、火も点けない。
ただ、指に挟んでいるだけだ。
いつもは棒付きキャンディを転がしているが、今日はこっち。
「……ほんと、容赦ないね」
成美は、天井を仰いで呟いた。
最近の黒澤は、確実に変わった。数字がどうとか、会議が増えたとか、そういう話じゃない。
人の目が、未来を見始めている。
当主の背中を見る目じゃない。
その先――“次”を見る目だ。
「止まらないわけだ」
誰に言うでもなく、成美は独り言のように続ける。
一度、流れができたら終わりだ。
正しさも、情も、個人の事情も関係ない。
黒澤という家は、“必要と判断したものを、座らせる”。
それだけ。
そして今、必要とされているのは――あの娘だ。
成美は、頭の中で真織の姿を思い浮かべた。
怯えているようで、逃げない。
折れそうで、折れない。
誰かの言葉に流されるようで、最後は自分で選ぶ。
あれはもう――
「覚悟しちゃってる顔だ」
成美は、あの時の真織の目を思い出す。
打診の場で、何も知らされないまま立っていた姿には、恐怖が、あった。迷いも、あった。
でも――拒否はなかった。
あれは、まだ言葉にならない決意だった。
成美は、少しだけ口元を歪める。
「選ばれたんじゃない――選ぶ気だ」
それが分かるから、怖い。
あの子が決意を言葉にした瞬間、もう誰にも止められない。
絃は、きっと動く。もっと静かに、もっと汚く。
でも、それも含めてだ。
「……逃げ道、用意したつもりだったんだけどな」
成美は脳裏に今朝の騒がしさを思い出して苦笑した。
ぎぃっと古びた扉が鳴った。
来訪を告げる錆びついた音に、成美はソファに座ったまま振り返る。
「よっ」
「……こんにちは」
軽い挨拶に、静かな返答。
二人の距離感であれば充分だ。
何も言わないまま成美をジッと見つめる真織の視線に、おや? と気が付く。
「……雰囲気……? いや、顔が変わった?」
「え?」
ふとした気づきをまっすぐに告げると、真織は自分の頬に手を当てる。不思議そうに、でも何となく納得したような。
もう一度、視線が絡み合った瞬間――ゾクリと背筋に冷たいものが走った。
――覚醒している。
自覚があるか無自覚かはわからないが、以前の真織になかったものを感じ取る。
「……前は“連れて行かれる顔”だった」
ポツリと成美が事実を告げる。
成美が次に続ける言葉を真織はただ黙って待ち続ける。
「今は――」
成美は、言葉を切る。
「座りに行く顔だ」
真織は、何も言わなかった。
否定もしない。
その沈黙で、成美は確信する。
――ああ。
――この子、もう決めてる。
無自覚ではない。今はもう、わかっている顔だ。
これはもう、止まらない。
「いつ、言うつもり?」
成美が聞くと、真織は少しだけ視線を伏せた。
「……まだ」
「だろうね」
成美は軽く肩をすくめる。
「今言ったら、覚悟じゃなくて“反射”になる」
「わかってんじゃん」
真織は賢い。それでいて敏い。
「君は、ちゃんと選びたいんだろ」
真織は、小さく頷いた。成美は、少しだけ真面目な顔になる。
「君は一人じゃ決めない――だから強い」
それだけ言って、成美はうぅーんと背伸びをして立ち上がる。
真織の横をすり抜けてこの場を後にする前。背中越しに。
「タイミングは、君が決めな」
だって当主は――真人は逃げない。
別宅から出ると、さわさわと木漏れ日が成美の青い瞳を瞬かせる。
掌で日差しを避けながら、大きくため息を漏らした。
「あーもーやってらんねぇ」
もう――全部が動いている。
一族も。絃も。
そして――真織自身も。
「……自由になるってのは」
成美は、誰にも聞こえない声で呟く。
「選ぶことから、逃げないってことなんだよ」
その言葉は、真織へ向けたものでもあり、自分自身へのものでもあった。




