檸檬の夢2
次の日の夜、仕事を終えたサラはようやく作業に取りかかった。机の上には、一日かけて乾燥させた薬草が並んでいる。
加密列、香水薄荷、浜茄子、薫衣草など。どれも安眠効果があることを知られている薬草だ。
紅茶に混ぜるなら、どれがいいか…。
さんざん悩んだあげく、今回は香水薄荷を使うことにした。異国ではレモンバームと呼ばれる薬草は、その名の通り爽やかな檸檬の香りがするのが特徴だ。まだ暑くて寝苦しい夜もあるので、これが最適だとサラは判断した。
あとは、これに魔法をかけて効果を高め、紅茶の味を損なわない適度な量を考えるだけだ。
やはり、薬草に関する作業は楽しい。
サラは時間を忘れて作業に没頭してしまい、ようやく満足する物ができたときには外はうっすらと明るくなっていた。そのため、次の日は眠い目を擦りながら仕事をすることになってしまった。
もちろん、その夜はいつもより深く眠ることができたのは言うまでもない。
前の晩に夜更かしするのもいいかな、と思った。しかし、まともな夜更かしの手段がどうしても思い付かず、断念する。
こうして、今週もコハクと会う休日がやってきた。
その日は朝からとても良く晴れていたので、サラはコハクに提案して布団を干すことにした。陽当たりの良い室内に布団を運び、硝子越しに陽をあてる。毛布やシーツを洗濯し、風通しの良い場所に干していく。
ふかふかの布団も効果があるのではないかと思ったからだ。
寝具の手入れは、孤児院にいたころによくやっていたから、さほど大変なことではないのだが、大きなものや重いものはすべてコハクが運んでくれたので、むしろ楽をしてしまったような気がする。
「次は何をお手伝いしますか?」
穏やかな微笑みを向けられて、本来の目的を隠していることに少しだけうしろめたい気持ちになってしまう。
「お家のことは終わりました。雨も降らないでしょうから、お散歩しましょう」
昼間、太陽の日差しを浴びておくのもよいと聞いたことがある。
「今日はずいぶん積極的ですね。何かありましたか?」
「いいえ。何でもありません」
不思議そうに見つめるコハクから目を逸らして、サラは外出の準備をはじめた。少し不自然だったかと反省する。
優しいコハクは、サラの目的を知ったら寝たふりをして誤魔化すに違いない。それでは結局何も変わらないのだ。
夜になり、いつものようにふたりで作った夕食を食べ、順番に入浴を済ませる。
サラはコハクが風呂に行っている間に湯を沸かし、茶器の中に持参した茶葉を入れておく。
これで準備は整った。
「コハクさま、お茶が入りました」
「ありがとうございます」
就寝前は、普段なら本を読んだり繕い物をしたりと思い思いに過ごすことが多い。サラは、書類を手に難しそうな顔をしているコハクに、湯気の出る器を差し出した。
「いい香りですね」
「いつも同じ紅茶では飽きてしまうと思って、香草を混ぜてみました」
嘘ではないが、薬草と言うと怪しまれそうな気がした。
「美味しいです」
器に口をつけたコハクは、サラの大好きな優しい笑みを浮かべた。その言葉に安堵して、サラも紅茶を口に含む。
甘すぎない爽やかな香りが広がり、我ながら上出来だと満足する。しかし、今日の紅茶は美味しいだけでは意味がないのだ。
効果が出るまでには、しばらく時間がかかる。とりあえず持参した本を読んで時間を潰すことにした。
夜が更けてきた。
読書を終えたサラは、離れたところから彼の様子を探ることにした。
コハクは難しい顔に戻り、書類に何か書き込んでいた。その横顔に変化はないように見える。
やっぱりうまくいかなかったか、とサラが心の中でため息をついたとき、コハクは唐突に書類を片付けて立ち上がった。
「少し早いけれど、今日はもう休みますね」
「どうかなさいましたか?」
心臓の鼓動が早くなった。それでもサラは平静を装う。
「今週は遠出もあったからか、いつもより疲れているようです。貴女はどうなさいますか?」
「わたしも、ご一緒します」
腕を掴んで答えると、コハクはサラの肩を抱いて微笑んだ。
「よかった。貴女がいてくださる方が、よく眠れるのですよ」
その言葉が、いつも以上に嬉しく感じた。
陽の光をたっぷり含んだ布団は軽くて温かく、微かに石鹸の香りが残る毛布も柔らかくて気持ちがいい。
「貴女の仰る通りにして良かったです」
「気持ちいいですね」
「ええ」
寝台に横になったコハクは、どことなく艶やかな笑みを浮かべた。心なしかまぶたが重そうに見える。
コハクは横になったまま毛布の端を上げ、サラはその隙間にもぐりこむ。胸元に顔を寄せると、コハクはいつものように額に口付けた。
「おやすみなさい」
「おやすみ、サラ」
甘い声が囁く。
そして、いつものようにサラを抱き締めて、コハクは目を閉じる。
規則正しい心臓の鼓動が聞こえ、それは子守唄のようにサラの眠気を誘ってきた。怪しまれないように自分も薬草入りの紅茶を飲んだのがいけなかったのか。
とにかく、ここで眠るわけにはいかない。サラは必死に目を開けて、睡魔と戦っていた。
枕元の時計が一周したころを見計らって、サラは腕の中から抜け出すことにした。
音を立てないように、寝台を揺らさないように、そっと。
肩に巻き付いていた腕をゆっくりと下ろし、サラはようやく脱出に成功した。
いつもならここで目を覚ましたコハクに抱き締められるのだが…。
恐る恐る顔を覗きこむと、コハクは最初と同じ姿勢のまま、気持ち良さそうに眠っていた。
…うまくいったのだろうか。
それを確かめるため、コハクの頬を軽くつついてみる。
反応はない。
いや、もしかしたら演技かもしれない。
今度は頬を強く押してみる。
それでもコハクは穏やかな顔で目を閉じたままだ。
「やった」
思わず声が出た。
事がうまく運んだ達成感よりも、これで安心して一緒にいられるという喜びがサラの胸を占めていた。
サラはもう一度、コハクの頬に触れた。
寝顔であっても、作り物のような美しさは変わらない。
サラはうっすらと開いているコハクの唇に、吸い寄せられるように唇を重ねた。
甘くて酸っぱい、檸檬の香りがした。
その唇がわずかに動いたような気がして、サラは慌てて唇を離し、身構える。
しかし、コハクの唇はそれ以上動くことはなく、サラはほっと胸を撫で下ろした。
めったにない機会だからと、もう一度唇を重ねてみる。
当たり前だが、その口付けは応えられることのない一方的なもので、急に虚しさと寂しさが胸に込みあげてきた。
大きなあくびが出た。
そろそろ限界だ。サラは布団に潜り込み、コハクの体に寄り添った。
いつもならすぐに抱き締めてくれるのに…。
サラはその寂しさを掻き消すように、コハクの腕に抱きついた。
「大好きです」
眠っているコハクに、サラの言葉は届かない。それでも体が触れあっているだけで、胸の奥が暖かいもので満たされていく。
ふかふかの布団や良い香りの紅茶よりも、コハクが側にいることが、サラがいちばん安心して眠れる要因なのかもしれない。
「ずっとお側にいさせてください」
聞こえなくてもかまわない。ただ、声に出して言いたかった。
再び大きなあくびが出た。
睡魔に抵抗することなく、サラはすぐに眠りにつく。意識が途切れる寸前、優しい腕に抱き締められたような気がした。
やっぱり、ここがいちばん落ち着く場所だ。




