お守りの石
街から帰ってきたサラはずっと機嫌が良かった。ヒスイと過ごした時間がよっぽど楽しかったのだろう。今日の出来事を笑顔で話すサラを見ていると、こちらまで嬉しくなる。
今日、コハクは久しぶりに一人の時間を過ごした。
以前は、ここには一人になるために来ていたのに、屋敷の所々に置かれたサラの私物が目に入る度に、彼女を思い出して寂しくなってしまった。
コハクにとっては、もう一人には戻れないことを身にしみて感じた一日だった。
「体調はいかがですか?」
「あの後、すぐに熱は下がりましたから、もう大丈夫です」
頬を染めてサラは答えた。今週はサラが城に来なかったから、会うのは一週間ぶりだ。
茶色の髪に触れ、口付ける。想像ではなく実物のサラがすぐ側にいることを実感し、コハクは幸せな気持ちに満たされる。
それは、会えない時間の孤独がすべて消え失せてしまうくらいの充実感だった。
コハクは夕食の片付けをするサラを、後ろから抱きしめた。
「急にどうなさったのですか」
「久しぶりにお会いできたのが嬉しくて」
柔らかい髪の毛が頬をくすぐる。首筋に口付けようとして、銀色の鎖に気が付いた。
「首飾り、つけてくださっているのですね」
「はい。お出掛けするときと、会いたいなって思ったときに…」
「それは嬉しいです」
「だからお仕事で汚れてしまいそうなとき以外は、ほとんど毎日つけています」
はにかんで答えるサラが愛しい。いますぐ体を重ねたいという欲求を、理性が押し留める。
しかし、夏の夜の始まりは、まだうっすらと明るくて…。
早く夜が更けてほしいという気持ちと、二人の時間はゆっくりと過ぎてほしいという矛盾した気持ちが交差する。
「そういえば、今日行ったお店で、お酒に合うというお菓子を買ってきました。ヒスイさまのおすすめです」
唐突に振り返ってサラが笑った。純粋なサラはコハクの葛藤など気付きもしないのだろう。
「では、少し早いですが湯を浴びてからいただきましょう。一緒に入りますか?」
「えっ」
「冗談ですよ」
一瞬で耳まで真っ赤になったサラの額に口付ける。
「コハクさまのいじわる」
ふてくされたようにつぶやいて、サラは背を向けた。
本当は冗談ではないのだが、訂正するのはやめておく。楽しみはまた次の機会にとっておこう。
入浴を済ませた後、いつもならサラが淹れてくれた紅茶を飲むところだが、今日は葡萄酒にした。
干した葡萄と香草が練り込まれた焼き菓子は、確かに葡萄酒によく合う。ヒスイもこんなものを嗜むようになったのかと感心する。
甘い葡萄酒ならサラも飲めるだろうか。
酒に酔った彼女を見てみたい。
そんな他愛もないことを考えて時間は過ぎていく。
「お待たせしました」
髪を拭きながらサラが戻ってきた。そして、遠慮がちにコハクの隣に座る。
ここでは自分の家のように過ごせばいいと言ったことがあるのだが、自分の家というのがわからないと一蹴されてしまった。コハクは、城で暮らし始めた頃に同じ事をマリアに言われ、困惑したのを思い出した。
自分達の間には、まだまだ埋めるべき溝が多く横たわっている。
隣に座ったサラは、長すぎる服の袖を折り曲げていた。押し付けるようにして着てもらった服から指先だけを出して、サラはコハクを見上げる。
「コハクさまにお渡ししたいものがあるのです」
サラは立ち上がり、部屋の隅に置いた鞄から何かを取り出した。戻ってくると、頬を染めて両手を差し出す。
コハクは、小さな手を包み込むようにしてそれを受け取った。
とても軽い。これは何だろう。
そっと手を開くと、薄紫色の細い紐が折り畳まれていた。細かく編まれた紐の端を摘まんで持ち上げると、両端に薄紫色の石が通されていることに気が付いた。その石には見覚えがある。
「まさか、司祭の石ですか」
コハクの問いに、サラは恥ずかしそうに頷いた。
「儀式用の杖を作るときに出た端材をいただいて加工しました。司祭の石はわたしの魔力しか増幅できませんが、コハクさまを守るための魔法を刻めば強いお守りが作れます」
服の裾を握りしめてサラが説明する。
「石だけは作ってあったのですが、身に付けていただける方法が思い付かなくて…。ヒスイさまにご相談したら、腕に巻けるものがいいのではないかと」
「ありがとうございます。これならいつでも貴女を近くに感じることができます」
「喜んでいただけてよかったです」
サラは心底ほっとした様子で、ソファーに座り込んだ。白い足があらわになり、コハクの胸を高鳴らせる。
「贈り物って、本当に難しいですね」
苦笑いを浮かべるサラを、コハクは抱きかかえて膝に乗せた。
「貴女が私のために考えてくださったことが、何よりも嬉しいです」
小さな体を強く抱きしめてコハクは囁く。
サラの手が背中に回された。
「…わたしのためにご無理をなさらないでくださいね」
すぐに、星祭りのことを言っているのだとわかった。
「わたしは自分の身は自分で守りますから、コハクさまはあの女の人を捕まえてください」
「サラ、何を…」
「星祭りの日、きっとあの人はわたしを襲います。屋根のない馬車に乗っているわたしは、格好の獲物になるでしょう」
「別の手段があれば良かったのですが、結果として貴女を囮にするような形になってしまいました」
「存じ上げております。わたしは喜んで囮になりますから、お気になさらないでください」
穏やかに話すサラの姿に、コハクの胸が締め付けられる。
「私は…」
勢いで口に出してしまうと、もう止められなかった。
「私は、本当は貴女の存在を人に知られたくないのです。司祭の任命式など行かなくていいとさえ思っています。大切に大切に私の手元で慈しんで、私だけのサラでいてほしいのです」
サラは何も言わなかった。ただ、瞳を潤ませてコハクを見つめていた。
「ですが、そんな姿は貴女らしくない。貴女を危険にさらしてしまうことがわかっているのに、私はどうしても…」
「わたしなら大丈夫です。コハクさまが思っておられるよりずっと強いのですよ」
サラは胸に手をあてて言った。それはコハクもわかっている。でも心配で仕方がない。サラに何かあったらと想像しただけで、おかしくなってしまいそうなのだ。
「ヒスイさまたちが守ってくださいます。コハクさまもお側にいてくださるのですよね」
「はい、すぐ近くに控えております」
サラはコハクの頬に触れた。冷たい指が火照った頬の熱を奪っていく。
「わたしのお衣装、すごく素敵なものを作っていただいたのですよ」
「サラ…」
「一番近くで見ていてくださいね」
「…ええ。楽しみにしています」
コハクはそう告げるだけで精一杯だった。サラを抱き締め、唇を重ねる。温かくて柔らかいサラの唇は、甘い果実のような味がする。
「コハクさま、もっと…」
同じくらい甘い囁きが、コハクの理性を蕩けさせた。




