甘い熱
城から帰った翌日の朝に、喉に違和感を覚えた。同時に空咳も出始め、明らかに風邪を引いたことがわかった。それからは薬を飲んで休んでいたのだが、翌日になって高熱が出て、週末の外出は断念せざるを得なかった。
サラは寝台の上で仰向けになり、ぼんやりと天井を見つめていた。
昨夜に比べて熱は下がったが、まだ体がだるい。完治するまでには、あと一日二日はかかるだろう。
司祭が倒れたと知ったら、あの女の人が何をするかわからない。そのため、サラが寝込んでいることはニーナと神官長のみが知っている。それ以外の教会の人々は、サラは自室で研究をしていると思っているはずだ。
コハクには神官長が連絡してくれた。ヒスイとの約束は次週に持ち越しとなり、ふたりの名前でお見舞いの果物が送られてきた。
冷えた水を一口飲んで、サラは再び横になった。
それにしても自分のひ弱さに辟易する。たかだか雨に打たれたくらいで風邪を引くなんて情けない。
これは罰かもしれないな、と思う。
自分のせいでたくさんの人が怪我をしたのに、自分だけが幸せな時間を過ごしていいのだろうかという後ろめたさがあった。気にするなと言われても、事故の原因から自分の存在を排除することは不可能だ。
実は、熱が出て安心したと言ったらコハクは悲しむだろう…。
本当に別れた方がいいのかな…。
考えただけで悲しくなって、閉じた目の縁から涙がこぼれ落ちる。
ただ、ふたりでいることが罪だなんて…。
流れる涙を拭うこともせず、そのままサラは浅い眠りについた。
…ああ、おでこが冷たくて気持ちがいい。
ニーナが手巾を替えてくれたのだろう。
「ありがとう、ございます」
目を閉じたまま呟く。
「どういたしまして」
返ってきたのは想定外に低い声。
驚いたサラは反射的に目を開く。
潤んだ視界に飛び込んできたのは、柔らかく光を反射する金色の髪と、絵に描いたような白くて美しい顔だった。
「コハクさま…、どうしてここに?」
呆然として呟くと、コハクはふわりと優しい笑みを浮かべた。
「どうしても貴女に会いたくなって、来てしまいました」
額の手巾を取り替えながら、コハクが囁く。ひんやりした指先が頬を滑り、首筋に触れた。
火照った耳の下が冷えていく。
「気持ちいいです」
「それは良かった」
サラの熱が伝わって、温かくなった指が離れていく。
「泣いていたのですね」
否定しようかと思ったが、嘘をつく必要はなかった。
「はい」
「まだご自分を責めていらっしゃるのですか?」
「少し違います」
「では、なぜ…」
心配そうに見つめる瞳はどこまでも優しい。サラは素直に話をすることにした。
「コハクさまと別れることを考えたら、悲しくなってしまいました」
青い瞳が見開かれた。
「あの話はもう終わったのでは?」
「どうしても思い出してしまうのです」
「私が余計なことを言ったからですね」
形のいい眉を寄せて、彼の方がより悲しそうに微笑む。
「これからも、私からは決して別れることなどないとお約束しましょう」
髪を撫でて、コハクは囁いた。
決して別れないなんて、それはこの先もずっと一緒にいるということで。
それは言い換えると…。
淡い期待が胸に広がっていくが、その真意を尋ねる勇気はなかった。もし否定されたら、これ以上恥ずかしいことはない。
サラはその気持ちに気付かないふりをして、笑顔を作った。
「あの…、ごめんなさい」
「何がですか?」
「今週、お約束していたのに…」
気まずくて顔を直視できなくなり、サラは目を閉じてから呟いた。
「そんなこと…、具合が悪いのですから仕方がないでしょう」
「でも、わたしがもっと丈夫だったら」
「貴女は体力と引き換えに魔力を授かったのです。これが逆でしたら、司祭には選ばれていなかったかもしれません。私と出会うこともなかったでしょう」
「そうですね」
「何も心配することはありませんから、安心して甘えてください」
諭すように言って、コハクは額の手巾を取り替えた。
「どうして…」
冷たい指が再び首筋に触れる。
「どうしてそんなに優しくしてくださるのですか?」
その指がぴくりと動いた。
「それはね、貴女の気持ちが離れていかないように、必死だからですよ」
指は顎を伝い、下唇をなぞる。
「…そんなこと、あるわけないです」
「それでも、不安ですよ」
「わたしのことを信用してくださらないのですか?」
「そうではなくて…」
柔らかい感触を確かめるように、指が唇を撫でる。熱は下がりはじめているはずなのに、体が火照ってきた。
「貴女はあまり自分のことが好きではないでしょう」
「…はい」
「それなら私が、貴女自身より貴女のことを好きになれば、義理堅い貴女は私のもとを離れにくくなる…」
「あっ…」
コハクは寝台の縁に腰かけた。そして、ゆっくりと這うような動きでサラの上半身に覆い被さった。
「そんな下心です」
流れるような金色の髪をかきあげて、コハクは妖艶な笑みを浮かべる。
色素の薄い唇がきれいな弧を描き、サラは思わず見とれてしまう。
「ねぇ、サラ」
甘えるような口調を可愛らしいと思ってしまうなんて、年上の彼には失礼だろうか。
「口付けしてもいいですか?」
宝石のような青い瞳は、熱に浮かされたように潤んでいる。
「風邪が…移ってしまいます」
本当は断る気などない。
「貴女に移された風邪なら、ずっと引いていたいくらいです」
「でも…」
期待で心臓が早鐘を打つ。
「私だって我慢するつもりだったのです。ですが、あまりにも貴女が可愛らしいから…」
「そんなこと…、あっ…」
それ以上の言葉は続けられなかった。熱い唇が重なり、何も考えられなくなる。
「愛しています。私のサラ」
ついばむような彼の唇が、砂糖菓子のように甘い言葉を紡ぎだして…。
「だめ…」
形ばかりの抵抗は、吐息ごと飲み込まれていく。
熱を出すのも悪くないのかな、と思った。
解熱薬を飲んだはずなのに、サラの体はますます熱くなっていった。




