雷鳴
「あの女の名前はベリル。母親が皇帝の姉で、父親は代々城に使えてきた貴族の長男です。要するに、私とヒスイの従姉にあたります」
国王の執務室ではコハクとセシルの二人が、今日の事件についてアレクに報告をしていた。
「ヒスイ様はあの執事の男には見覚えがなかったと仰っていましたが…」
「私も同様です。おそらく名目上の親子関係でしょう」
「コハクはその女と面識があったの?」
「子どもの頃に何回か会ったことがあります。皇帝の姉は強すぎる魔力を持っていたため、皇帝は暗殺を諦め、家族全員を地方に幽閉したと聞いています。ベリルが生き延びたのはそのためでしょう」
コハクは少し湿っている髪をかきあげた。
窓の外からは叩き付けるような雨音が聞こえる。夕方になって強さを増した雨は、夜には激しい雷雨となっていた。
「司祭の分析では、魔法で顔に別人の皮膚を定着させていたそうです」
「その顔の本当の持ち主は見つかったの」
「調査中ですが、おそらく近年見つかっている頭部のない遺体が…」
窓の外が白く光り、一瞬遅れて雷鳴が轟いた。
「皇族は暗殺を避けるため、城の外に出るときは必ず影武者を用意し、化粧などで顔を変えなければなりません。しかし、他人の顔を使って変装する術は初めて聞きました」
「君の顔を知っているというだけで、城の奥に出入りできる立場だとわかるんだね」
「正確には、顔と名前です。だからベリルは顔を変えたのでしょう」
名前だけなら、あの国ではさほど珍しくもない。しかし金色の髪と青い瞳をもつ皇子がいるということは、後宮に出入りできる人間しか知り得ない情報だった。
「司祭が魔力を消費し、かつ一人になったところを狙ったと思われますが、先に自分の魔力が枯渇したようです」
「昼間に兵士を何人も操作してたんだから、当然だよ」
「なりふり構わず司祭様を襲ったところを見ると、他に仲間はいないようですね」
「もう城に戻ることはできないし、次に狙うのはやっぱり星祭りか…。そういえば司祭は?」
「サラは…」
ベリルが去った後、サラの体は雨に濡れて冷えきっていた。本来ならすぐに帰るべきだが、この雷雨の中を教会に帰すのは危険すぎるということで、サラは城の客間に泊まることになった。今はヒスイの部屋で風呂に入っているはずだ。
「彼女にはヒスイが付き添っています」
「司祭は大丈夫なの?」
「サラは、今回の事件は自分の責任だと思っています」
「そんなことないよ。ベリルとやらが悪いに決まってる」
「私もそう言ったのですが、自分を誘き寄せるために多くの人を巻き込んでしまったと落ち込んでしまっています」
サラの落ち込みようはひどいものだった。だからコハクはサラを教会に帰したくなくて、城での宿泊を提案した。都合良く雷雨になったので、それも理由として付け加えた。
「彼女のお陰で死者も出ずに済んだのにね」
「司祭様はお優しい方ですから」
「今日はもういいから、早く会ってあげなよ」
「お言葉ですが、まだ話が終わっていません」
「…命令したほうがいいかい?」
「…いいえ」
押し出されるような形で執務室を後にして、コハクはヒスイの部屋に向かった。
どのように声をかければいいのか、思い付かないまま部屋の前にたどり着く。
廊下の窓には激しく雨が打ち付けていた。
コハクは意を決して扉を叩く。ほどなくして扉が開き、部屋着姿のヒスイが迎え入れてくれた。
サラは奥の椅子に座って髪を乾かしていた。着ているのは大きすぎるコハクの服だ。ふたりで過ごした夜を思い出して胸が熱くなる。
「今、上がったところよ」
「助かりました」
「兄様ってこういう感じが好きなのね」
ヒスイがにやにやと意地の悪い笑みを浮かべた。図星をつかれたコハクは黙りこむ。
兄妹のやりとりに気が付いたサラが、振り向いて少し疲れた顔で微笑んだ。
「遅くなりました。部屋までお送りします」
「あの…、コハクさまにお願いがあるのですが…」
「何でしょう」
「お部屋をご用意いただいたのに恐縮ですが、わたし、コハクさまのお部屋に行ってはいけませんか?」
…それはさすがにまずいのではないか。
しかし、可愛い恋人に袖を掴まれ、上目遣いに見つめられると、コハクには断る術がない。どうしたものかとヒスイを見る。
「私がそうした方がいいって言ったの。万が一襲われても兄様がいれば安心だわ」
「しかし…」
「別にいいじゃない。恋人なんでしょ?」
サラは不安そうに見つめている。
掃除等の依頼をしたとき以外、コハクの部屋に他人は立ち入らない。確かにサラを客間で一人にするよりも安全だろう。
「そうですね。せっかく同じ屋根の下で過ごせるのですから、離れていてはもったいないですね」
そう言ってサラを抱き上げる。暖かい小さな体からは石鹸の匂いがした。
「わがまま言ってごめんなさい」
「こんなに可愛いわがままなら、いつでも歓迎しますよ」
穏やかな笑みを浮かべて、サラはコハクの胸にもたれかかった。
「そうそう兄様、サラさんは疲れているんだから手を出しちゃだめよ」
「失礼な。それくらいの自制心は持っています」
「朝まで我慢できるといいわね」
そんなことを言われたら余計意識してしまうではないか。
コハクはサラをローブで包み、ヒスイの部屋を後にした。人気のない廊下には、雨音だけが響いている。
「貴女のせいではありませんよ」
先手をとられる前に言っておく。
「はい」
サラは目を閉じた。服を掴む手に力が入る。
「貴女のお陰で、たくさんの人が助かりました」
「ですが、わたしさえいなければこんな事件も起きなかったと思うと、申し訳なくて」
すぐに自分を否定するサラに、コハクは少しの苛立ちを覚えた。
それはサラに向けたものというより、またサラを傷つけてしまったという自分自身の不甲斐なさに対してだ。
しかし、これ以上は彼女が耐えられないというのなら…。
「では、私達は別れた方がよいのでしょうか」
「えっ?」
もちろんそんなことは少しも思っていない。サラが何を選ぶか確認したかったのだ。
「相手のお望み通り、我々が関係を解消すれば同じような事件は起きないのでは?」
「わたしは…、わたしは…」
サラの瞳に大粒の涙が溜まる。
「いや…です」
しがみついて首を振るサラの頭を撫でながら、コハクは心の中で賭けに勝ったことに安堵する。
「私も嫌です。貴女のいない生活なんてもう考えられません」
そのとき、真昼のような閃光が廊下を照らし、続いてひときわ大きな雷鳴が響き渡った。
驚くことに、腕の中のサラは全く動じていない。
「雷は怖くないのですか」
「外にいるときは怖いですが、建物の中でしたら安全です。ただの気象現象ですから」
こんなとき多くの女性が悲鳴をあげるのを、コハクはいつも不思議な気持ちで見ていた。だから予想通りの冷静なサラの姿が妙に嬉しい。
「それに、雷より人間の方がよっぽど怖いです」
「…そうですね」
「でも、コハクさまがいてくださるから、もう怖くないです」
「ええ。私が貴女を守ります。安心して休んでください」
自室に戻ったコハクは、寝台にサラを横たえた。額にそっと口付けると、サラは嬉しそうに微笑んだ。
「準備をして戻ってきます。先に寝ていてください」
サラは小さく頷いて目を閉じた。伏せられた長いまつげに、コハクはもう一度唇で触れる。
「おやすみ、私のサラ」
「おやすみなさい」
コハクが身支度を済ませて戻ってくると、サラは小さな寝息を立てて眠っていた。




