黒幕
最後の怪我人を治療院の馬車に引き渡し、サラはようやく一息つくことができた。重傷者は出たが、死者が出なかったのは幸いだった。手伝ってくれた魔導師たちに礼を述べ、負傷者の対応はすべて終了した。
土砂降りの雨の中、サラは赤い魔道具を頼りに瓦礫の山となった待合所の周囲を歩く。雨に濡れた神官服が重い。
しばらく歩いていると、瓦礫の隅に転がった馬の死体が目に入った。本当は浄化してあげたいが、残りの魔力が少なくて諦めざるを得ない。サラは目を閉じて祈りだけを捧げた。
ふと、背後に気配を感じる。
「司祭様、宰相閣下がお呼びです。どうぞこちらへ」
振り返ると、一人の女中が立っていた。きれいに編み込まれた黒髪に、口元のほくろ。城内で何回か見かけた女性だ。
「はい。ありがとうございます」
サラは返事をして立ち上がった。
女中の後について忙しく動き回る兵士達の間を抜け、兵士の宿舎の裏までやってきた。皆、事故の処理に駆り出されているのか、周囲に人の気配はない。
…この辺りなら、誰も巻き込まずに済むだろう。
「そろそろ演技はやめませんか」
サラは女中の背中に呼び掛けた。
女中は立ち止まり、振り返る。女は、美しい顔に貼り付いたような笑みを浮かべていた。
「何を仰っているのか分かりかねます」
「わたしは神官だと名乗りましたが、司祭とは申しておりません」
「以前、教会でお見かけしましたから」
「それに、あなたが近づいてきたときに魔道具が反応しました。ごく最近、何かを操る術を使いましたね」
サラは落ち着いて答える。女の顔から笑顔が消えた。
「どこまでも忌々しい女め」
女は吐き捨てるように言って、サラを睨み付けた。
「なんで、あんたみたいな小娘が」
女は懐から黒い棒を取り出すと、サラに向かって振り下ろした。強い風が、辺りの枝や小石を巻き上げながらサラに向かってくる。サラは指先から魔法を放ち、それを打ち消した。
諦めない女は再び魔法を放つ。今度は先程よりも強い風が吹いたが、サラは同じようにそれを打ち消していく。
確かにこの女の魔法は常人より強いようだが、サラの相手ではない。力の差に気付いていないのだろうか。いや、彼女はここで引き下がるわけにはいかないのだろう。
必死で魔法を放つ姿に憐れみさえ感じてしまう。
「あんたさえ来なければ」
黒い髪を振り乱して、女は魔法をかけ続ける。
「あたしの方がずっと前から皇子を見てきたのに」
どんなに強い魔法をかけても、その風はサラには届かない。きりがないと判断したサラは、雨粒で氷の壁を作った。
「どうせ振り向いてくれないなら、誰のものにもならなきゃよかったのに」
「それはあなたが決めることではありません」
サラは女の体に着いた水分を凍らせる。雨に濡れた髪や衣服が凍り、体に張り付いていく。生地の多い女中服は黒い塊のようになって女の動きを阻む。これでもう大きな魔法は使えないだろう。
女は汚いものを見るような目でサラを睨んだ。
「お前が怪しげな魔法で皇子をたぶらかしたんだろう」
「わたしは何もしていません」
「そうでなければ、お前のような小娘に皇子が振り向くわけがない」
女は無茶苦茶に魔法を放ち続けるが、サラに届くことはない。見たところ、ほとんど魔力は残っていないようだ。それでも女は魔法をかけ続ける。
「もうやめましょう」
「うるさい」
そのとき、サラは女の顔が歪んでいることに気が付いた。肌色の膜が剥がれるようにめくり上がり、小さなそばかすのある肌が浮かびあがっていく。黒い髪も雨で溶けるように茶色く変化していた。
「まさか、魔法で皮膚を…」
想定外のことに、一瞬反応が遅れた。鋭い風が鞭のようにサラの頬に当たり、弾けるような痛みを感じた。手の甲で拭うと、少量の血がついている。深い傷ではなさそうだ。
「そこまでして城に入り込むなんて…」
「死んだはずの皇子に似た人間がいると聞いて、いてもたってもいられなかったのよ」
この女はもともと城で働いていた女中の顔を剥がし、それを自らの顔に魔法で定着させ、城に潜り込んだのだ。
おそらくこの容姿の持ち主はすでにこの世にいないだろう。
「まさか本当に本人がいるとは思わなかったわ。そこで、我々は計画を変えたの。国王を暗殺するよりも、私が皇子と結ばれて国を再興すればすべてうまくいくじゃない」
「なんて勝手なことを…」
「ところが皇子は女性には一切興味を示さない。それならせめて皇子の近くにいられれば、いつか振り向いてくれるかもしれないと思っていたのに…」
女はぼろぼろになった皮膚を投げ捨てた。
「突然現れた小娘に皇子が惹かれるなんて思わなかった。だからあんたを殺して、悲しむ皇子をお慰めすることにしたのよ。いい作戦でしょう」
「あなたはなんて寂しいことを…」
「皇子に愛されているあんたには、別人になるしかなかった私の気持ちなんてわかるわけないわよ」
この女は、そこまでしてコハクの近くにいたかったのか。
サラは背中が凍りつくような嫌悪感を覚えた。自分を無くしてまで好きな人の近くにいたいなんて…。
急にこの女が哀れに思えてきた。少し前までサラも似たようなことを考えていたではないか。
サラは首飾りを握りしめた。
「わたしだって…」
同じだと言おうとして、女の目線がサラの後ろに向いていることに気が付いた。女は嬉しいような悲しいような複雑な表情を浮かべた。
「皇子…、なぜここに…」
「サラ、無事でしたか」
女を無視して、コハクはサラに駆け寄った。優しく髪を撫で、すぐに頬の傷に気付く。
「かわいそうに、痛かったでしょう」
長い指が頬を撫でる。ふわりと暖かいものを感じ、コハクが治癒魔法を使ったことがわかった。コハクは穏やかに微笑むと、サラをかばうように胸元に引き寄せた。
「戻ったら貴女の姿が見えないので、心配しましたよ」
「なぜここがお分かりになったのですか?」
「女中の後についていく貴女の姿を見かけた兵士がいたのです」
「あの人が操作術の使い手です」
サラの視線の先をコハクは見つめる。
「どうして、どうして…」
女は下を向いたままぶつぶつと呟いていた。
「どうしてと言われても」
コハクはサラを抱いたまま答える。
「ずっと見ていたのに…、小さい頃からずっと」
「小さい頃、ですか?」
「あたしの方が、ずっと前から…」
女は顔を上げた。茶色の髪が貼り付いた顔でサラを睨み付ける。
「まさか、あなたは…」
「あっ」
女は興奮するあまり、顔が変わったことを忘れていたのだろう。
「見るなぁぁぁっ」
女は悲鳴を上げて両手で顔を覆った。コハクはサラを抱く腕に力を入れる。
女の周りに風が吹き荒れた。周囲の草木や落ち葉を巻き上げて、小さな竜巻のようになる。弾かれた小石が飛んできた。
「危ない」
コハクはローブでサラを覆った。視界は暗くなり、ぱらぱらと何かが当たる音がした。
風の音が止んだとき、そこに女の姿はなかった。




