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宰相閣下の宝物  作者: 半崎ゆま
本編
79/107

彼女の自立

 城と外部を繋ぐ橋の向こう、乗り合い馬車の待合所は見るも無惨な状態になっていた。木造の建物は半壊し、多くの兵士が瓦礫の山から下敷きになった人を救出しようと集まっていた。


「何があったのですか」

「目撃者の話だと、大型の乗り合い馬車が暴走して待合所に突っ込んだらしいの」


 よく見ると、建物の隅に大きな木製の車輪が転がっている。茶色の大きな物体は馬のようだ。


「怪我人はどれくらいですか」

「正確な数はまだわからないけど、馬車の乗客が二十人くらい、待合所には十人くらいの人がいたと聞いてるわ」


 助け出された人は兵士の検問所の近くに並んで座っていた。軽傷者と重傷者が混在している。そして、その近くを城の魔導師が慌ただしく走り回っている。どうやら次から次へと運び込まれる怪我人に対応しきれなくなっているようだ。

 サラが一歩前へ出た。


「わたしもお手伝いさせてください」

「そのつもりで呼んだのよ。怪我人の対応の指揮を取ってくれるかしら」

「はい」


 ヒスイの声に頷いたサラは、雨避けの外套を脱いでコハクに手渡した。青地に刺繍の入った高位の神官服が、雨に濡れて紺に染まっていく。サラは杖を握りしめた。


 ヒスイは魔導師の一人に声をかける。魔導師はヒスイに敬礼をして走っていく。すぐに魔導師や兵士が集まってきた。

 周囲を見渡してからヒスイが険しい顔でサラを指し示す。


「この方は聖教会の神官よ。これから、この方の指示は私の指示だと思って従うこと」


 魔導師達が揃って敬礼する。


「わたしは聖教会の治癒師です。みなさん、よろしくお願い致します」


 サラはコハクが聞いたことのない大きな声を出した。凛とした立ち姿は、年齢よりも大人びて見える。


「この中で一番医術の心得のある方はどなたですか」


 茶色のローブを着た男が手を上げた。


「あなたは、怪我をされた方を振り分けてください。命に関わる重傷者、命に関わらない程度の重傷者、軽症ですが治癒魔法が必要な人、魔法を使わない処置で済む人。この四種類です」


 男はうなずいて敬礼した。


「今の方の補佐をする治癒師が四名ほど。その他のみなさんは、治癒魔法の得意な方から順に怪我の程度に合わせて対応してください。わたしが一番重傷の方を診ます。軽傷の方でも容態が急変した場合はすぐに連絡してください」


 サラは一気に説明すると、「お願いします」と頭を下げた。それを合図にヒスイが場所を指示し、魔導師達が持ち場に走る。魔導師たちは明確な指示を与えられ、先程よりも統制が取れた動きをしている。


 戦争の記憶が薄れ始めた今の時代、多くの怪我人の対応に騎士団は慣れていない。大きな事故があったときに駆けつけるのは聖教会の治癒師達だ。しかし、すぐに現場に治癒師が来られるわけではない。今後は騎士団もこのような事態を想定した訓練をしておくべきだろう。

 コハクが紙を取り出して現状を記録しようとしたときだった。


「宰相閣下、こちらへお越し下さい」


 後ろから声をかけてきたのはセシルだった。サラの様子が気になるが、ヒスイがいるのなら大丈夫だろう。


 コハクはセシルに案内されて瓦礫の山に向かった。

 その一角に大きな馬が横倒しになっている。すでに息絶えているのは明らかだ。

 セシルはその鼻のあたりを指差した。よく見ると右の鼻先が大きく腫れていた。


「これが暴走の原因だと思われます」


 セシルは懐から取り出した布を開いた。中から大きな雀蜂の死骸が現れる。予想通り、赤黒く膨らんだ目には紋様が刻まれていた。


「間違いないですね。後で司祭に読み取ってもらいましょう」


 コハクは布ごと蜂を受け取り、ローブの奥にしまいこんだ。


「しかし、敵の狙いが司祭様なら、なぜこんなことをするのでしょうか」


 セシルの疑問はもっともだ。サラは乗り合い馬車に乗ることはないし、待合所にいることもない。もし自分がサラを脅すなら、馬車を教会に突っ込ませて、サラの知人を狙うだろう。

 相手は自由に城に出入りできるが、教会の辺りはうろつけないようだ。ニーナに顔を見られているからかもしれない。


 しかし、城に来たときはサラの近くには必ずコハクやヒスイがいる。二対一では勝ち目はないだろう。

 と、いうことは…。


「戻りましょう。相手の狙いはサラを一人にすることです」


 セシルの返事を待たずにコハクは走り出した。

 怪我人は道を挟んだ反対側に運ばれている。そのあたりにサラはいるはずだ。たいした距離ではないが、人が多く見通しが悪い。


「サラ…、いや、神官の女性はどちらですか」


 すれ違った兵士に尋ねると、奥の木の辺りを指差された。開けた場所の向こう側に、雨に濡れながら怪我人の治療をするサラの姿が見えた。

 そのとき、一人の兵士がサラの背後に迫っていることに気が付いた。兵士の足取りはおぼつかず、なぜか手に剣を持っている。


 あれは、明らかに操られている。


 コハクは走りながら暗器を放つ準備をするが、距離が遠い。間に合うかは微妙だ。魔法を使うしかないのか。しかしこれは…。

 迷っている間に兵士はサラの真後ろまでたどり着いていた。

 だめだ、魔法も間に合わない。

 サラは下を向いたままだ。


「危ない…」


 兵士が剣をふりあげた瞬間、サラは振り向いて杖を振った。


 ぱしん、と乾いた音がして兵士の体が吹き飛んだ。セシルが駆けつけ、倒れた兵士を素早く縛り上げる。


「大丈夫ですか」


 何事もなかったのように治療にあたっているサラに、コハクが声をかける。


「はい。襲ってきたのはその方で三人目です」


 サラの視線の先には年齢の異なる二人の兵士が転がっていた。


「わたしなら平気です」


 そう言って微笑むサラは、左手で首飾りを握りしめていた。その手は微かに震えている。やはり怖かったのだ。


「ヒスイは?」

「暴れている兵士がいるということで、そちらに向かわれました」


 それもヒスイを遠ざけることが目的だろう。


「敵の狙いは貴女をひとりにすることです」

「…そう…ですか」


 サラが責任を感じてしまわないか心配だが、身を守る方が大切だ。案の定、サラは唇を噛んでうつむいた。それでも治癒魔法をかける手は緩めないから流石だと思う。


「わたしは、ひとりで大丈夫です」

「ですが…」

「宰相さまは、宰相さまのお仕事をなさってください」


 顔を伝う雨水を拭いもせずに、サラは笑った。


「…わかりました」


 すぐにでも抱きしめたい気持ちを抑え、コハクは宰相の顔を取り戻す。

 コハクは、外套を脱ぎ、立ち上がった。

 金色の髪が揺れ、宰相の存在に周囲の人々が気付く。


「怪我人の救出を最優先に。搬出が終わったら、原因の調査を始めます」


 原因はほぼ確定しているが、その他の可能性もある。もうすぐ兵士に変装したアレクが現れるはずだ。それまでにある程度、現場を把握しておこう。

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