雨の執務室
今日は朝から弱い雨が降り続いていた。暑くて湿った空気が国王の執務室に充満している。
「暑い暑い暑い」
アレクはいつも以上に集中力を欠いていて、書類の進みはすこぶる遅い。
「冷風機をつけても良いのですが、暑さに慣れないと体が弱ってしまいますよ」
「だよねー」
アレクは書類で顔を扇いだ。
確かに今日は蒸し暑い。本格的な夏はまだ先だというのに、きっと湿気のせいだろう。
コハクは首にまとわりつく髪を高めの位置で結び直した。
「カーネリア家の処理が終了しました。土地と建物は競売にかけます。その金額をふくめた財産は、慣例に従って八割を国庫に、残りを遺族であるニーナ・マルシェに分与しようとしましたが、受け取りを拒否されました」
「ニーナ以外に親族は?」
「受け取る資格がある親族はいませんでした。本人からは全額教会に寄付してほしいという申し出がありましたが、未成年ということもあり、神官長と、サラ…ではなく、司祭と相談いたしまして…」
「ぷっ。無理しなくていいのに、真面目だなぁ」
こちらは真剣に報告しているのに、アレクは面白くてたまらないといった様子で笑っている。
「午後が待ち遠しいねぇ」
軽口をたたくアレクを軽く睨み付け、コハクは報告を続ける。
「とにかく、本人には内密に一部を貯金しておき、残りを匿名の寄付として教会が受け取るのはどうかと提案されました」
「わかった。書類には司祭の署名をもらっておいて」
「承知しました」
コハクはアレクの印が押された書類を別の束に綴じ込んだ。
「司祭とは、先週末も会ったんだよね」
アレクが紅茶をすすりながら尋ねた。
「はい」
「教会の方は何か異変がなかったか聞いてる?」
「いいえ。教会に張った結界に変化はないそうです。警備の兵からも何も聞いていません」
城での警告以降、敵は何も仕掛けてこなかった。サラが作った赤い魔道具も、一度も反応することはなかったという。
「僕は、相手の狙いは司祭だと思ってる」
「ええ。もはや故国の再興は諦めたのでしょう。完全にサラへの私怨で動いています」
「つまり君の所為ってわけだ」
ふざけているのか真剣なのかわからないが、アレクは挑むような目つきでコハクを見た。
「…そういうことになりますね」
「もてる男はつらいねぇ」
「誰も頼んではいないのですが、迷惑です」
コハクは冷静に答えながらも苛立ちを隠せなかった。本人が気付いているかはわからないが、先日の蜂は明らかにサラを狙っていた。
彼女が何をしたというのだ。コハクと付き合うことがそんなにいけないことか。彼女が亡き者にされたとしても、決して自分の心は変わることはないのに…。
「休みの日に森の家で過ごすのは、敵を警戒してのことかな。週末はどうしても警備の手が足りないから」
「それもありますが、単に私が二人きりになりたいからです」
「…今日はずいぶん正直だね」
呪術を解除してもらった次の週末は街へは出掛けず、ずっと屋敷の中で過ごした。コハクは持ち帰った仕事をして、サラは難しそうな魔道書を読んでいた。二人で家事をこなし、夜はコハクしか知らないサラの愛らしい姿を、心ゆくまで堪能した。
次の週末も二人で過ごしたいと言ったら、サラは頬を染めて頷いてくれた。もう、警備のためなんて野暮な言い訳はしない。
「星祭りまでには片をつけたいのですが、それも難しいでしょう。敵は確実に司祭のお披露目を狙ってきますから、それを返り討ちにするしか方法はありません」
「司祭を囮にするの?」
「不本意ですが、結果そうなるのでしょうね」
「君がそれで良いのなら、僕は口を挟まないよ」
「良いわけないです。ですが…」
サラは謁見の間で国王から司祭に任命された後、屋根のない馬車で街の大通りを抜けて教会へと向かう。騎士団が護衛につくが、どれくらいの人出になるのかはわからない。マーニャによると前回のお披露目では、新しい司祭を一目見ようと、沿道だけでなく建物の窓や屋上にもたくさんの人がいたという。
せめて馬車を屋根付きに変えないかという提案は却下され、では自分が隣で付き添うと申し出たが、司祭より目立つとヒスイに一蹴された。
今頃、サラはヒスイ達と警備の打ち合わせをしているはずだ。後で話の内容を聞かなければならない。
「何があっても、私がサラを守ります」
コハクが言うと、アレクは唇の端を上げた。
「ちょっと前まで、国家に忠誠を誓ったから女性には興味がないとか言ってたのに、人は変わるものだね」
「国家と王家に尽くすという気持ちは変わっていませんよ。サラを愛することと両立できるとわかりましたから」
「コハクが幸せになるのなら、きっと母さんも喜んでるよ」
サラと出会う前は自分が女性を好きになるなんて想像すらしていなかった。国家と王家の繁栄こそ自分の幸せだと信じて疑わなかったのに、コハクは別の幸せを見つけてしまった。
本当にマリアがサラと引き合わせてくれたのかもしれない。今なら素直にそう思える。
そのとき、扉を叩く音がした。コハクは振り返って返事をする。
「星祭りの警備の打ち合わせが予定より早く終わりました」
扉の向こうからセシルの声がした。コハクはアレクの方を見て、退出の許可を得ようとする。しかし、コハクより先にアレクが口を開いた。
「行ってきなよ。早いけど僕も昼食にするね」
そう言ってアレクは手を振った。コハクは一礼して、扉に向かった。
雨はまだ止む気配はない。




