目覚め
目が覚めて最初に目に飛び込んできたのは、馴染みのない部屋の天井だった。
隣にコハクの姿はない。
時計の針は、昼前の時間を指していて、ずいぶん長い時間眠っていたことに気が付いた。
サラは聖都に来たばかりの頃に、熱を出して寝込んだ時の事を思い出した。
長い眠りから覚めた後、見知らぬ天井に現実を突きつけられたこと。ここで生きていくしかないという諦めにも似た感情。
今では、あれが夢でなくて良かったとさえ思う。
寝台を降り、廊下に出ると甘い匂いが漂ってきた。早足に台所に向かい、サラはようやくコハクの姿を見つけた。
声をかける前に、コハクが振り向いた。そしてサラだけが知っている優しい笑みを浮かべる。
「おはよう、サラ」
「おはようございます」
コハクは手にしていた調理器具を置いて、サラを抱き締めた。
「体調はいかがですか」
「たくさん寝たので大丈夫です」
「顔色は…、だいぶ良くなりましたね」
頬を撫でられ、そのまま口付けられる。
「もうすぐ食事ができます」
「では、着替えてきますね」
「そのままで結構です」
「え?」
「無理にとは言いませんが…」
サラは、今着ているコハクの服を眺めた。
膝を隠すほどの丈があり、肌触りも良い。体を締め付けないから楽に過ごせるだろう。確かに部屋着としては十分すぎるほど良い服だ。
「ありがとうございます。お借りします」
「いや、お礼を言われるようなことではないのですが」
コハクは気まずそうに目を逸らした。
「では、わたしはお祈りをしてきます」
そう言うと、コハクの笑顔に影が差した。きっとあの日の事を思い出したのだろう。サラはコハクの指先を掴んだ。
「今日は居間で行います。礼拝は時間も場所も自由ですから」
「それならいいのですが…」
「コハクさまの目の届くところでしたら、安心していただけますか?」
それに、この服で外に出られる訳がない。
サラは居間に行き、鞄から杖を取り出して祈りを捧げる。目を閉じていつものように平和と安らぎと繁栄を祈り、それからコハクの呪いが解けたことを、星になったマリアやノキア、あのときサラを助けてくれたもうひとりの女性に感謝する。
礼拝が終わって振り返ると、少し驚いたような顔をしたコハクが立っていた。
「終わりました」
そう告げると、コハクは照れ隠しのように笑った。
「貴女が魔法を使う姿は清らかで神々しくて、私のような汚れた人間は触れてはいけないと思ったことがあるのですよ」
「そんなことありません。普通です」
「ですから、今、貴女に触れることができるのは、私にとって奇跡のようなものです」
コハクはサラの肩を引いて胸元に抱き寄せた。少し早い心臓の鼓動が、彼の胸の内を表しているようだった。
「さぁ、これから何をするか、食事をしながら相談しましょう」
コハクの作ってくれたパンケーキには、クリームと小さく刻まれた果物が添えられていた。疲れた体に甘いものが嬉しい。
顔を上げると、コハクは相変わらず美しい所作で食事をしていた。
「私が自由に魔法を使えるようになったことは、今後も隠しておきたいと思います」
「相手はコハクさまが魔法を封じられたことは知っているのでしょうか」
「おそらく知っているでしょう。ですから切り札として秘密にしておきます」
コハクは紅茶をすする。
「敵はもう手段を選ぶ余裕はないでしょう。私と貴女の関係にも気付いているようですし、次は貴女の命を直接狙ってくるかもしれません」
サラは、むしろその可能性の方が高いのではないかと思う。
きっと執事の娘とやらはコハクのことが好きなのだ。コハクが気付いているかはわからないが、あの蜂はまっすぐサラの方に向かってきた。そこにコハクを傷つける意思はないと思われる。
「貴女は私が守ります」
「わたし、今度こそご迷惑をおかけしないように気を付けます」
「…迷惑というのは、少し違いますね」
突然、コハクは厳しい顔になった。
「貴女が傷付くのが嫌なのです。どうか私に貴女を守る役目を担わせてくださいませんか」
そう言ってコハクはサラの手をとった。しかしサラは素直に頷けない。
「わたしは、守られているだけの存在にはなりたくありません。わたしも、コハクさまを守ります」
「貴女が、私をですか?」
「はい。だめですか?」
コハクは眉間にしわを寄せてサラを見つめていたが、しばらくして表情を緩めた。ため息をついてから、優しく微笑む。
「忘れていました。私は貴女の強いところも好きでした」
柔らかく穏やかなこの笑顔が好きだ。
我慢できなくなったサラは、椅子から降りてコハクの隣に立つ。コハクは微笑を浮かべたまま、サラを抱き上げて膝に乗せた。
「今日も、泊まっていってくださいますか」
「よろしいのですか」
「まだ、貴女の寝巻き姿を見ていませんから」
「そんな理由で?」
「半分は本当です。残りの半分は…」
抱き締められて耳元に顔を寄せられる。
「貴女が欲しいから、です」
耳にかかる吐息に、サラの体から力が抜けていく。
その言葉の意味がわからないほど、サラは子どもではない。
「まだその時ではないとおっしゃるのなら、私はいつまでも待ちます。貴女を傷つけるのは、私の本意ではありません」
コハクは真剣な眼差しでサラを見つめる。少し潤んだ瞳に、期待と不安が見え隠れしているような気がした。
「わたしは…」
正直、怖い。
怖いけれど、この人と結ばれたらどんなに幸せだろうか。それを考えただけで体の奥が熱くなってくる。
サラは覚悟を決めた。
指で滑らかな白い頬に触れ、宝石のように青い瞳をまっすぐに見つめる。
「わたしの、心も、体も…」
「サラ…」
「すべてあなたのものです」
コハクが息を飲むのがわかった。
「本当に、よろしいのですか」
「はい」
サラは頷いた。
心臓の鼓動が早くなる。
これで、後には引けなくなった。
「大切にします」
コハクは心底嬉しそうに笑うと、再びサラを抱き締めた。
「さぁ、夜まで何をして過ごしましょうか」
「わたしはコハクさまと一緒に過ごせるのなら、何でもいいです」
「そんなに可愛いことを仰られると、夜まで我慢できなくなりますよ」
コハクはサラの唇に指をあてた。それだけで体が熱くなってくる。
しかし、それでは困る。はじめての夜にはいろいろと準備が必要なのだ。
「では、この辺りの植物を観察したいです」
苦し紛れの一言だった。きっとコハクもそれがわかっていたと思う。彼は苦笑しながら了承してくれた。




