やきもち
誘拐事件が解決してから十日後、サラは馬車に乗って城に向かっていた。今日は青い生地に刺繍の入った高位の神官服を着て、足首には白い包帯を巻いている。何日も毒が入っていた足首は、毒を抜いた後も麻痺が残っていた。毎日薬を塗っていればそのうち治るだろう。
あの後、眠っていたサラを教会に送り届けたコハクは、神官長にすべての事情を説明し、サラを巻き込んでしまったことを謝罪した。
実は、神官長はコルテアとエンジュ兄妹の関係をノキアから聞いていたのだが、あえて知らないふりをしていたという。しかし、ニーナの出自については本当に知らなかったので、彼女をサラの世話係にしたのは偶然だったらしい。
ニーナは騎士団で事情聴取を受けて、三日後に教会に戻ってきた。神官長やサラに相談せず独断で行動したことをたっぷりとお説教され、罰として薬草畑の雑草取りを命じられた。もちろんサラの世話係を外されることはなかった。
サラは四日後に目を覚ましたが、限界まで消費した体力はすぐには戻らない。しかし、ニーナの献身的な看護のおかげで、ようやく普通の生活が送れるくらいまで回復することができた。
コハクからは毎日のように果物や果実水が届けられた。しかし本人が教会を訪れることはなかった。事後処理のため、あの屋敷に滞在して調査をしていたらしい。一度、かわいらしい花束と見舞いに行けない旨を詫びる手紙が送られてきた。
今日は、国王に呼ばれて司祭として登城する。コルテアの件について各々が調査したことを報告するという名目だ。サラは鞄に入れた手帳を確認して、アレクに説明する内容を確認した。
「司祭様、到着しましたよ」
御者台にいるセシルから声がかかった。カーテンの隙間から外を伺うと、そこはいつもの騎士団の詰所ではなく、城の正面入口だった。今日は国王の召集だから扱いが違うようだ。
「ファティマ司祭、お待ちしておりました」
外から声をかけた人物に気が付き、サラは自分の頬が緩むのを抑えられなかった。ずっと会いたいと思っていた人がそこにいる。
「宰相さま…」
扉を開けたコハクは軽く笑みを浮かべ、サラに手を差し出した。今すぐその胸に飛び込みたいのに、周囲には兵士や女中の姿がある。サラは意識して表情を引き締めると、ゆっくりと手を重ねた。もどかしい気持ちでいっぱいになる。
ずっと座っていたため、足首は思っていたよりも力が入らなくなっていた。サラは馬車から降りようとして右足から崩れ落ちる。転びかけたところを寸前でコハクの腕が支えた。
遠くで女性の悲鳴が聞こえたような気がする。
コハクはサラを抱えるようにして地面に下ろした。
「ありがとうございます」
「その包帯は?」
「少し麻痺が残っていて…。申し訳ありません」
コハクは一瞬悲しそうな目でサラを見たが、すぐに宰相の顔に戻る。
「おひとりで歩けますか?」
「あまり早くは歩けませんが、大丈夫です」
サラの答えにコハクはしばらく考え込む。
「…わかりました」
顔を上げたコハクは、何の前触れもなくサラを抱きかかえた。
「さ、宰相さま、何を…」
「ランサー副団長」
「はい」
「司祭の荷物を陛下の執務室に運んでおいてください。私は司祭の怪我を手当てしてから参ります」
「承知いたしました」
敬礼したセシルは、明らかに笑いをこらえていた。コハクは何食わぬ顔でそれを見ている。周囲の刺さるような視線が痛い。
「下ろしてください」
「嫌です」
ぽつりと呟いたコハクの顔は相変わらず無表情で。
「早く貴女とふたりきりになりたい」
サラにだけ聞こえる甘い囁きが、こんなに固い表情の人から発せられたとは誰も思わないだろう。
「…わかりました」
観念して呟くと、コハクは前を見据えたまま歩き出した。サラは目をつぶって周囲の視線に耐えることにした。
今、どの辺を歩いているのだろう。
しばらくして目を開けたとき、サラは遠くに見覚えのある女中を見つけた。サラが聖都に来たばかりのころに出会った口元の黒子が印象的な美人だ。
あの人を見て、サラは初めて自分の外見や司祭らしさについて考えた。あの頃に比べて、今は少しだけ自分を好きになれたと思う。
前を通りすぎようとしたとき、一瞬だけ目が合った。
…睨まれたように感じたのは気のせいだろうか。
サラがまばたきをすると、女中は下を向いた。
「どうかなさいましたか」
「いいえ」
コハクに抱かれているサラが気に入らなかったのかもしれない。美しい宰相さまは絶大な人気があるのだから。
ようやく執務室の前に到着した。コハクはサラを下ろすと、鍵を開けてサラを中に通す。
きれいに片付いている机と、奥には大きなソファー。ここで初めて口付けたときのことを思い出して胸が熱くなる。
鍵をかける小さな音が聞こえた。
「サラ」
振り向こうとしたときには、すでに後ろから抱き締められていた。たくましい腕がサラを包み込み、大きな手のひらが両肩を撫でる。
「逢いたかった…」
耳元で囁かれ、サラはようやく恋人に抱き締められていることを実感した。
「わたしも…」
首だけを動かしてコハクを見上げると、すぐに唇が重ねられた。体が宙に浮き、口付けをしたまま部屋の奥に運ばれる。やがて唇が離れ、サラの体はソファーに下ろされた。
「ここは痛みますか?」
コハクはサラの前に跪いて、包帯を巻いた足首を撫でる。
「いいえ。少し歩きづらいだけです」
「そうですか」
だから自分で歩けたのに、と言いたかったが、コハクの優しい眼差しに見つめられて言葉にならない。
「お体の具合はいかがでしょうか」
「まだ疲れやすいのですが、だいぶ良くなりました」
「それは良かった。見舞いに行けず申し訳ありません」
「コハクさまからはたくさんの贈り物をいただきました。お忙しいのにありがとうございます」
「私は手配をしただけです。私がどれほど貴女に逢いたかったか…」
コハクはサラの足首を掴み、包帯越しに口付けた。その姿が妙に艶かしくて、サラは目を離せなくなる。
「馬車から貴女が降りてきたときの周囲の視線に気が付いていましたか? 貴女のことが気になっている兵士がたくさんいると聞いていましたが、どうやら本当らしい…」
ふくらはぎを撫でられた。同時に、何かに背筋をなぞられたような感じがして、サラは身をよじった。
「わざとですよ」
「えっ?」
コハクはサラの膝に口付ける。
「貴女を抱きかかえたのは、周囲に見せつけるためです」
「そんな…」
「大丈夫です。あれでは私が一方的に貴女に好意を寄せているようにしか見えませんから」
「わたし、そんなに嫌そうな顔をしていましたか?」
「ええ。とっても」
「あれは恥ずかしかったからで、本当は…」
「知っています」
コハクはサラの頬に触れた。怒っているようにも見えたが、その目はとても優しい。
「私は自分で思っている以上に独占欲が強いようです」
「わたしのことが信じられませんか?」
「いいえ、そうではないのです」
ゆっくりと顔が近付いてきて、唇を重ねられた。
サラにも少しだけコハクの気持ちが理解できる。一方的に寄せられる好意をコハクが防ぐ術などないとわかっていても、複雑な気持ちになる。理性で感情を抑えることができたら、こんなに苦しむことはないのだ。
だから先程の女中の目、あれはサラへの羨望と…。
「ただの嫉妬です」
コハクが呟いた。




