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宰相閣下の宝物  作者: 半崎ゆま
本編
65/107

本音と建前2

「ニーナ・マルシェが司祭様にお会いしたいと申し出ているのですが、いかがいたしましょう」


 外から聞こえるセシルの声に、サラは小さく頷いた。


「お会いになるのですね」

「はい」

「絶対に無理をしてはいけませんよ」


 コハクはサラを隣に座らせて、肩にローブをかけた。サラは乱れた着衣を整えて、背筋を伸ばす。


「お待たせしました。ニーナを通してください」


 サラは、はっきりとした口調で告げる。先程の弱っていた姿とは別人のようだ。


「サラ様っ、ご無事で良かったです」

「止まりなさい」


 転がるように駆け込んできたニーナを、ヒスイが軽く制する。

 ニーナは縄で縛られた両手を床について平伏した。


 サラが身を乗り出した。コハクはローブの下で腰を支える。


「わたしなら大丈夫です。あなたは怪我などはしていませんか」

「はい」


 ニーナは涙目で答えた。


「さて、司祭様にどのような用事かしら」


 ヒスイが冷たく言い放つ。今のニーナは国の重要人物の誘拐に加担した被疑者の一人だ。騎士団長としては毅然とした態度で接する必要がある。


「サラ様は手と足に怪我をされています。ここに治療ができる魔導師はいないと聞きました。あたしに治癒魔法を使わせてください」


 魔導師の話はセシルが伝えたのだろう。よく見ると両手を縛っている縄は、すぐにでもほどけそうなくらいに緩い。

 どこまでも気が利く男だと感心する。


「司祭様に変な魔法をかけられたらたまらないわ。宰相閣下、どうなさいますか」


 ヒスイがうやうやしく尋ねる。コハクはサラに小さく目配せをした。


「ここはファティマ司祭にご判断いただきましょう」

「はい」


 サラはローブを肩から下ろして座席を降りた。床に膝をつくと、伏せたままのニーナの肩に手を置いてヒスイの方を見る。


「事情はすべて聞いておりますし、わたしはニーナを信用しています。騎士団長さま、この縄をほどいていただけますか」

「承知いたしました」


 ヒスイはニーナの縄をほどいた。


「サラ様っ」


 その瞬間、勢いよく抱きつかれてサラの体がよろめいた。コハクはサラが倒れないように背中を支える。


「あなたに治癒魔法を教えたのはわたしです。勉強の成果を見せていただけますか」

「はいっ」


 ニーナは泣き笑いのような顔でサラの手を取ると、祈るように目を閉じた。まぶしい白い光がサラの手首を包む。

 やがて光が消えた後、手首の傷は跡形もなく消えていた。


「とても上手にできましたね」


 サラは優しく微笑む。


「次は、こちらをお願いします」


 サラは足を崩した。ドレスの裾を引き上げると、蛇に噛まれた右足首があらわになる。

 紫色に腫れ上がった足首を見て、ヒスイが眉をひそめた。


「解毒の魔法はまだでしたね。今ここで教えますからやってみてください」

「…はい」


 ニーナの手が傷口にかざされる。


「この傷口から体内の異物を吸い取るように意識して、魔力を送ります」

「はい」


 小さな傷口に白い光が集まった。

 ぶつっと何かが切れるような音がして、塞がっていた傷口から黄色い液体が溢れだした。


「くっ」


 サラの顔が苦痛に歪む。

 毒を抜くときは麻酔の魔法をかけてから傷口を開くはずだが、初心者のニーナには不可能だと判断したのだろう。


「サラ様、大丈夫ですか」

「わたしのことは気にしないで、このまま続けてください」


 サラは唇を噛んで苦痛に耐える。

 堪えきれなくなったコハクは、サラの肩にローブをかけ直すと、その下で手を握った。ニーナは手先に集中しているから気が付かないだろう。

 サラはコハクを見上げて嬉しそうに微笑んだ。


 やがて、傷口から溢れる液体に赤いものが混じりだした。


「もう少しです」


 サラは努めて冷静に話すが、ローブの下の手はコハクの手を強く握りしめて小刻みに震えていた。手の甲に爪が食い込んで、皮膚が削られているのがわかる。


 溢れだす液体がすべて赤いものへと変わった。


「後は普通の怪我と同じです」

「はい」


 程なくして足首の治療は終わった。コハクはサラから離れ、傷ついた手を隠す。


「どうでしょうか…」

「はじめてにしてはとても上手にできました。教会に戻ったら麻酔をかけながら解毒する方法を教えますね」

「…あたしには、もうサラ様から魔法を教えていただく資格はありません」


 ニーナは唇を震わせてうつむいた。


「それは困ります。あなたがいないと、わたしはひとりで畑から薬草や水を運ばなければなりませんし、食事もひとりで取るのはさみしいです。それに、美味しいお店を教えてくれるという約束を破るつもりですか」


 サラはニーナの肩に手を置き、諭すように語りかける。それはまるで、子どもを優しく包み込む母親のような姿だった。


「…サラ様、ありがとうございます」


 ニーナはその場に泣き崩れた。サラは穏やかに微笑んでいたが、細かく震える指先からコハクは彼女の体力が限界であることに気が付いていた。ヒスイに目で合図を送る。


「あなたの身柄は騎士団が引き受けます。こちらで詳しい話を聞かせてください」

「はい」


 ヒスイはニーナを促して退出した。


 コハクは扉が完全に閉まったことを確認する。


「もう大丈夫ですよ」


 振り返って告げると、サラの上半身が傾いた。急いで伸ばした手が、小さな体を受け止める。

 サラは苦しそうに肩で息をしながらコハクの胸に体を預けた。


「よくがんばりましたね。立派でしたよ」

「…ニーナは、どうなるのですか」

「内容が極秘扱いのものですから、ヒスイ達が事情聴取をします。それから城に戻って陛下の判断を仰ぎますが、おそらく大きな罪に問われることはないでしょう」

「よかった…」


 微笑んだサラの視線が止まる。何かに気が付いたサラは、コハクの肩に手を伸ばした。コハクは隠そうとしたが、すでにサラの手はむき出しになった肩の火傷に触れていた。


「わたしのためにお怪我をなさったのですね」


 サラは悲しそうに言うと、コハクの服をずらして手をかざす。止めようとその手を掴むと、サラはふてくされたような顔でコハクを睨んだ。


「わたしに治させてください。それくらいの魔力は残っています」

「ですが…」

「コハクさまのお体に他の人が触れるのは嫌です」


 再び心が掴まれた。

 こんなに可愛いことを言われたらもう断れない。

 コハクは黙ってサラの魔法を受け入れる。刹那、全身が暖かいもので包まれた。


「まだ痛むところはありますか?」

「もう終わったのですか?」

「ええ」


 サラは疲れの残る顔で言った。

 コハクは肩に触れて驚いた。魔法をかけられたのはほんの一瞬だったのに、かなりの重症だった火傷が跡形もなく消えている。

 やはりサラは優れた魔導師だ。


「ありがとうございます」


 コハクは伸ばしかけた手の甲を見て、爪の痕まで消えていることに気が付いた。なぜか無性に寂しくなった。


「…サラ、おいで」


 コハクが腕を広げると、サラは花が咲くような笑みを浮かべて身を寄せる。その華奢な体を、コハクは優しく強く抱き締めた。

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