本音と建前1
腕の中のサラは、穏やかな顔で眠っていた。
長い抱擁と口付けの後、目を閉じるのが怖いと怯えるサラを抱き締めて、ようやく眠りにつかせた。薬での回復は応急処置でしかないので、後は栄養をとってゆっくり休むしかない。
肩も腕も腰まわりも細くなって、胸元には鎖骨が浮き上がっている。おそらくサラは連れ去られてから何も口にしていない。その状態で死の呪文を唱えたのだ。途中でやめたところで衰弱しているのは当然だ。
薬を飲ませるのが少しでも遅かったら、コハクはサラを永遠に失っていていただろう。
…本当に、生きていてくれてよかった。
あのままサラを失っていたら、きっとコハクは正気でいられなかったに違いない。
コハクはサラの手首に触れた。血がにじむ痛々しい傷に胸が締め付けられる。
治してあげたいのに、これ以上魔法を使ったら脇腹の紋様が黙っていないだろう。ここで自分まで倒れるわけにはいかないのだ。
肝心なところで役に立たない自分が腹立たしい。
せめて体を暖めようと、ローブを脱いでサラの体を包む。外気にさらされた肩の火傷が、今になって痛み出した。
外はどうなっているのだろう。
あのふたりのことだから心配はいらないと思うのだが…。
それよりも、目を離している間にサラの容態が急変してしまうことが怖い。
…君は、司祭を優先していいんだ。
アレクはマリアとよく似た顔で言っていた。今はその言葉に甘えることにする。
コハクは時間を忘れて、愛しい恋人の寝顔を眺めていた。
「兄様、よろしいですか」
ヒスイの声がした。コハクはサラの体をローブでしっかりと包み直す。
「どうぞ」
扉を開けてヒスイが入ってきた。
「屋敷の制圧が終わりました。予想通り、外の警備以外に生きている人間はひとりもいなかったわ」
「前当主は?」
ヒスイは首を振った。
「地下牢で白骨化した男性の遺体を見つけたの。服装から判断して、あれが前の当主だと思う。手記も見つけたんだけど劣化しすぎてて読めなかったわ」
「専門家に解読を依頼しましょう。操られていた人々の身元確認と、屋敷の片付けは騎士団にお任せします」
「わかりました。午前中のうちに後続部隊が到着するはずよ」
ヒスイは軽く敬礼した後、眠っているサラを覗きこんだ。
「可哀想に、こんなにやつれちゃって…」
「危ないところでしたが、なんとか間に合いました」
「足は毒にやられたのね。こんなときに魔法が使えないのが悔しいわ」
ヒスイは唇を噛んだ。兄妹であってもヒスイは魔法を使えない。その代わりに授かったのが、類い稀なる身体能力だった。
「全部さっきの男にやられたの?」
ヒスイの問いに、コハクは複雑な気持ちで首を振る。怪訝な顔をしたヒスイに、簡単に事情を説明した。
「死の呪文かぁ。辛かったでしょうね」
「思い留まってくれて良かったです。しかし、星になれなくてごめんなさい、と泣かれたのは正直きつかったです」
「兄様のことが好きだからその選択肢を選んだのよ」
「ええ、わかっています」
どれだけ不安だったか。どれだけ大切に思われていたか。それは痛いほどわかっている。
「もし、ヒスイが同じ立場になったら、どうしますか?」
ふと思い付いた疑問を口にすると、ヒスイは唇の端を上げて笑った。
「私はそもそも誘拐されないし、仮に敵に捕まったとしたら自力で脱出して、ついでにその拠点ごと破壊しておくわ」
ヒスイは当然のように答える。この妹ならやりかねない。
「貴女に聞いた私が愚かでした」
「この子も本気になればできると思うけど、私と違って優しいからね。だから兄様が守ってあげなきゃ」
サラの唇が少し動いた。コハクは優しく髪を撫でる。
「兄様って、かわいらしい女の子が好みなのね」
「私が好きになったサラが、たまたま小さくて可愛らしいかったというだけです」
「じゃあちゃんと繋ぎ止めておかないとね」
「どういうことですか」
「うちの騎士団の中にサラさんを狙っている奴がたくさんいるのよ。兄様が思っている以上に、この子人気があるみたい」
胸がざわついた。
「なぜ彼女を知っているのですか?」
「よく詰所の停車場を使っているからね。皆、素性を知らないから、教会のかわいい子って言ってるわ」
次からは場所を変えた方がよさそうだ。
「それでね。兄様より気が利いて優しい男が彼女に近づいてきたらどうする?」
…サラは可愛いから当然ありうることだ。
以前のコハクなら「彼女が幸せになれるのなら」と教科書通りの答えを返していただろう。でも、もう取り繕うのはやめにする。
「絶対に誰にも渡しません。サラは私の恋人です」
「そうそう。素直になって、ちゃんと言葉で伝えなきゃね。女はいつでも言葉が欲しいものよ。ねぇ、サラさん」
「え?」
突拍子もない言葉に、コハクは慌てて腕の中の少女を見る。すると、頬を赤らめたサラが気まずそうにコハクを見つめていた。
「いつから話を…」
「ヒスイさまが誘拐されたら、というあたりから…」
かなり前の方ではないか。コハクは頬が火照ってくるのを感じた。恥ずかしくてサラを直視できない。
「コハクさま」
「な、何でしょうか」
「わたしは他の男性にはまったく興味がありませんし、コハクさまより素敵な男性なんていません。わたしは、あなただけをお慕いしております」
「サラ…」
「ですから、ずっとお側においてくださいね」
かわいらしい上目遣いに、コハクの心臓は鷲掴みにされた。誰が何と言おうと彼女を手放すなんて絶対にありえない。
「もちろんです。貴女が嫌と言ったって離しません」
「嬉しいです。わたし、コハクさまが大好きです」
「私も貴女を愛しています」
コハクはサラの頬に口付ける。あそこまで恥ずかしい話を聞かれたのだ、もう何も隠す必要はない。
「ちょっとそこのふたり、私のこと忘れてない?」
「…まだいたのですか? 後の処理はまかせますから、ふたりきりにさせてもらえますか」
「ひどーい。散々人の意見を聞いといてさー」
「冗談ですよ。ありがとう、ヒスイ」
コハクにとって、一番気兼ねなく話せる相手はヒスイだった。お互いに好きな人ができて、共に過ごす時間が減っていったとしても、ヒスイが大切な妹であることに変わりはない。
これまでも、これからも…。
「兄様は変わったわね。でも、私は今の兄様の方が好きよ」
ヒスイは自分とよく似た顔で笑った。
「宰相閣下、ヒスイ様」
そのとき、馬車の外からセシルの声が聞こえた。
一瞬でヒスイの顔が騎士のものに変わる。このふたりの関係はこれからどうなるのだろうか。




