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宰相閣下の宝物  作者: 半崎ゆま
本編
64/107

本音と建前1

 腕の中のサラは、穏やかな顔で眠っていた。

 長い抱擁と口付けの後、目を閉じるのが怖いと怯えるサラを抱き締めて、ようやく眠りにつかせた。薬での回復は応急処置でしかないので、後は栄養をとってゆっくり休むしかない。

 肩も腕も腰まわりも細くなって、胸元には鎖骨が浮き上がっている。おそらくサラは連れ去られてから何も口にしていない。その状態で死の呪文を唱えたのだ。途中でやめたところで衰弱しているのは当然だ。

 薬を飲ませるのが少しでも遅かったら、コハクはサラを永遠に失っていていただろう。

 …本当に、生きていてくれてよかった。

 あのままサラを失っていたら、きっとコハクは正気でいられなかったに違いない。


 コハクはサラの手首に触れた。血がにじむ痛々しい傷に胸が締め付けられる。

 治してあげたいのに、これ以上魔法を使ったら脇腹の紋様が黙っていないだろう。ここで自分まで倒れるわけにはいかないのだ。

 肝心なところで役に立たない自分が腹立たしい。

 せめて体を暖めようと、ローブを脱いでサラの体を包む。外気にさらされた肩の火傷が、今になって痛み出した。


 外はどうなっているのだろう。

 あのふたりのことだから心配はいらないと思うのだが…。

 それよりも、目を離している間にサラの容態が急変してしまうことが怖い。


 …君は、司祭を優先していいんだ。


 アレクはマリアとよく似た顔で言っていた。今はその言葉に甘えることにする。

 コハクは時間を忘れて、愛しい恋人の寝顔を眺めていた。



「兄様、よろしいですか」


 ヒスイの声がした。コハクはサラの体をローブでしっかりと包み直す。


「どうぞ」


 扉を開けてヒスイが入ってきた。


「屋敷の制圧が終わりました。予想通り、外の警備以外に生きている人間はひとりもいなかったわ」

「前当主は?」


 ヒスイは首を振った。


「地下牢で白骨化した男性の遺体を見つけたの。服装から判断して、あれが前の当主だと思う。手記も見つけたんだけど劣化しすぎてて読めなかったわ」

「専門家に解読を依頼しましょう。操られていた人々の身元確認と、屋敷の片付けは騎士団にお任せします」

「わかりました。午前中のうちに後続部隊が到着するはずよ」


 ヒスイは軽く敬礼した後、眠っているサラを覗きこんだ。


「可哀想に、こんなにやつれちゃって…」

「危ないところでしたが、なんとか間に合いました」

「足は毒にやられたのね。こんなときに魔法が使えないのが悔しいわ」


 ヒスイは唇を噛んだ。兄妹であってもヒスイは魔法を使えない。その代わりに授かったのが、類い稀なる身体能力だった。


「全部さっきの男にやられたの?」


 ヒスイの問いに、コハクは複雑な気持ちで首を振る。怪訝な顔をしたヒスイに、簡単に事情を説明した。


「死の呪文かぁ。辛かったでしょうね」

「思い留まってくれて良かったです。しかし、星になれなくてごめんなさい、と泣かれたのは正直きつかったです」

「兄様のことが好きだからその選択肢を選んだのよ」

「ええ、わかっています」


 どれだけ不安だったか。どれだけ大切に思われていたか。それは痛いほどわかっている。


「もし、ヒスイが同じ立場になったら、どうしますか?」


 ふと思い付いた疑問を口にすると、ヒスイは唇の端を上げて笑った。


「私はそもそも誘拐されないし、仮に敵に捕まったとしたら自力で脱出して、ついでにその拠点ごと破壊しておくわ」


 ヒスイは当然のように答える。この妹ならやりかねない。


「貴女に聞いた私が愚かでした」

「この子も本気になればできると思うけど、私と違って優しいからね。だから兄様が守ってあげなきゃ」


 サラの唇が少し動いた。コハクは優しく髪を撫でる。


「兄様って、かわいらしい女の子が好みなのね」

「私が好きになったサラが、たまたま小さくて可愛らしいかったというだけです」

「じゃあちゃんと繋ぎ止めておかないとね」

「どういうことですか」

「うちの騎士団の中にサラさんを狙っている奴がたくさんいるのよ。兄様が思っている以上に、この子人気があるみたい」


 胸がざわついた。


「なぜ彼女を知っているのですか?」

「よく詰所の停車場を使っているからね。皆、素性を知らないから、教会のかわいい子って言ってるわ」


 次からは場所を変えた方がよさそうだ。


「それでね。兄様より気が利いて優しい男が彼女に近づいてきたらどうする?」


 …サラは可愛いから当然ありうることだ。

 以前のコハクなら「彼女が幸せになれるのなら」と教科書通りの答えを返していただろう。でも、もう取り繕うのはやめにする。


「絶対に誰にも渡しません。サラは私の恋人です」

「そうそう。素直になって、ちゃんと言葉で伝えなきゃね。女はいつでも言葉が欲しいものよ。ねぇ、サラさん」

「え?」


 突拍子もない言葉に、コハクは慌てて腕の中の少女を見る。すると、頬を赤らめたサラが気まずそうにコハクを見つめていた。


「いつから話を…」

「ヒスイさまが誘拐されたら、というあたりから…」


 かなり前の方ではないか。コハクは頬が火照ってくるのを感じた。恥ずかしくてサラを直視できない。


「コハクさま」

「な、何でしょうか」

「わたしは他の男性にはまったく興味がありませんし、コハクさまより素敵な男性なんていません。わたしは、あなただけをお慕いしております」

「サラ…」

「ですから、ずっとお側においてくださいね」


 かわいらしい上目遣いに、コハクの心臓は鷲掴みにされた。誰が何と言おうと彼女を手放すなんて絶対にありえない。


「もちろんです。貴女が嫌と言ったって離しません」

「嬉しいです。わたし、コハクさまが大好きです」

「私も貴女を愛しています」


 コハクはサラの頬に口付ける。あそこまで恥ずかしい話を聞かれたのだ、もう何も隠す必要はない。


「ちょっとそこのふたり、私のこと忘れてない?」

「…まだいたのですか? 後の処理はまかせますから、ふたりきりにさせてもらえますか」

「ひどーい。散々人の意見を聞いといてさー」

「冗談ですよ。ありがとう、ヒスイ」


 コハクにとって、一番気兼ねなく話せる相手はヒスイだった。お互いに好きな人ができて、共に過ごす時間が減っていったとしても、ヒスイが大切な妹であることに変わりはない。

 これまでも、これからも…。


「兄様は変わったわね。でも、私は今の兄様の方が好きよ」


 ヒスイは自分とよく似た顔で笑った。


「宰相閣下、ヒスイ様」


 そのとき、馬車の外からセシルの声が聞こえた。

 一瞬でヒスイの顔が騎士のものに変わる。このふたりの関係はこれからどうなるのだろうか。

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