本当の告白
「んっ…」
微かに漏れた声をコハクは聞き逃さなかった。
薄いまぶたがぴくりと動き、サラはうっすらと目を開けた。
「サラ、私がわかりますか」
コハクの呼び掛けに、焦点のあわない瞳が宙を彷徨う。
「コハク…さま」
サラは消え入りそうな声で名前を呼んだ。
コハクは自らの存在が伝わるように、少しだけ強く抱き締める。力を入れすぎたら壊れてしまいそうで怖かった。
「迎えにきました。もう何も心配することはありません」
サラは生気のない顔でコハクの方を見た。
「ほんとうに…、来てくださった…」
弱々しく呟いたサラの瞳から、一筋の涙が流れた。コハクはサラの髪を撫で、額に口付ける。
「神官長から、体力を回復する薬を預かってきました」
コハクは懐から緑色の小瓶を取り出した。サラが弱っていたら飲ませてほしいと神官長に託されたものだ。
蓋を開けてサラの口に薬を含ませる。しかしサラは大きく咳き込んでしまい、薬は口の端からこぼれ落ちた。
そればかりか、咳で体力を消耗したサラは目に見えて弱っていく。虚ろな目で浅い呼吸を繰り返し、とうとうコハクの声にも反応しなくなってしまった。
…このままでは、取り返しのつかないことになる。
コハクは薬を口に含んでから、サラの唇を覆うように口付けた。少量の薬を流し込み、祈るような気持ちで喉元を観察する。
こくん、と小さな喉が動いた。
良かった。まだ間に合う。
コハクは焦る気持ちを抑え、長い時間をかけて少しずつ薬を流し込んだ。
魔法がかけられた薬は効果が出るのが早い。サラがすべて飲み終える頃には、頬には少しだけ赤みが戻っていた。
「もう大丈夫ですよ」
耳元で囁くと、サラはゆっくりと目を開けた。視線が意思をもってコハクを捉えた。憂いを帯びた眼差しが彼女の苦悩を物語っている。
「ごめんなさい」
小声だが、先程よりもしっかりとした口調でサラは言った。薬は効いているようだ。
「何を謝っているのですか?」
「わたし、迷惑をかけてしまいました」
「巻き込んだのはこちらです。貴女が無事ならばそれでいいのです」
諭すように頭を撫でるが、サラは小さく首を振った。
「他にも、謝ることがあります」
「少し休んだ方がいいのでは?」
「今、聞いていただきたいのです」
仕方なくコハクはサラの上半身を起こして背中を支える。
「代々の司祭に伝わる秘術の中に、自分の存在が国家や多くの人々に多大な損害を与えるときに、自ら命を絶つ魔法があります」
サラは瞳を閉じたまま呟いた。
その魔法の存在はコハクも知っていた。そして、それはコハクが想定していた中で最も恐ろしく、かつ、サラがいちばん選びそうな選択肢だった。
「わたしは、その魔法を使おうとしました。わたしを助けるためにコハクさまが皇帝になってはいけないし、それは国家にとっても大きな損害だと思ったからです」
コハクは言葉を失った。
頭では理解できていたのだが、想像していた恐怖が実感となって、指先から体温を奪っていく。
「でも、できませんでした。わたし、本当にコハクさまが大好きだって気付いてしまったのです」
突然の告白に、一瞬息が止まりそうになった。
「もっと一緒にいたくて、離れたくなくて、抱き締めてほしくて…。わたし、司祭なのに、最後まで呪文が言えなかった…」
サラはしゃくりあげるように泣き出した。
「もう大丈夫です。何も言わなくていいですから」
コハクはサラの痩せ細った体を強く抱き締める。
「星になれなくて…、ごめんなさい」
胸元からくぐもった声が聞こえた。
なぜサラは謝っているのだろう。どうしてコハクへの感情に罪悪感をにじませているのだろう。
生きていてくれたこと、大好きだといってくれたことが、自分はこんなにも嬉しいのに、どうして一緒に喜べないのだろう。
「サラ…」
髪を撫でて囁くと、サラはゆっくりと顔を上げた。潤んだ瞳が悲しそうにコハクを見つめている。
「私は嬉しいです。私への想いが貴女の命を繋いだのですね。これ以上の愛の告白はありません」
「わたし、そんなつもりでは…」
頬を染めて横を向こうとしたサラの顎に手を添えて、強引に上を向かせる。
「私を選んでくださって、生きていてくださって、ありがとうございます」
「コハクさま…」
好きと言ってくれた彼女に、返す言葉はひとつだけだ。
「貴女を愛しています」
サラの瞳に涙があふれた。細い腕が震えながらコハクの首に回されて、乾いた唇がたどたどしく重ねられた。
「んっ」
サラから唇を求められたのは初めてだった。
震えるほどの喜びの中、コハクは離れないようにサラの後頭部を抑え、背中を撫でる。
「コハクさま、大好きです」
長い口付けを交わした後、サラは呟いた。
「大好きだから怖かったのです」
「ええ、知っています」
「もう、ひとりには戻れないくらい、好きになってしまいました」
「大丈夫。私はずっと側にいます」
ついばむように唇を重ね、コハクも囁いた。
「みんなが言うとおり、あなたは本当に素敵な人で、自信のないわたしはいつも惨めで苦しかった」
「…私は皆が思っているような聖人君子ではありませんよ」
それはコハク自身が作り上げてきた虚像。それを崩してもいいと思える唯一の相手がサラだった。
「私は貴女に恋するただの男です。一人前に嫉妬もしますし、寂しい夜に貴女を汚すような想像をして自分を慰めることもあるのですよ」
「コハクさまが?」
「ええ、私はずっと貴女が欲しくてたまらないのです。私にこんな感情を抱かせるのは貴女だけです。…失望しましたか?」
「いいえ、嬉しいです…」
サラは頬を染めて顔を逸らした。恥ずかしいが、これが真実だ。
「でも…、わたしは迷惑をかけるばかりで、マリアさまのようにあなたを癒すことができません。あなたが苦しいときに差しのべる手を、わたしは持っていないのです」
横を向いてサラは呟く。伏せたまつげが揺れる。
コハクは、ようやくサラの不安の一部がわかったような気がした。
サラはコハクの中にあるマリアの存在を恐れている。傷ついたコハクを癒して、立ち直らせたマリアの存在が。
そして、コハクを想うあまり、決して手の届かない存在になったマリアの代わりを務めようとしているのではないだろうか。
それは、ひどく寂しくて悲しいことだった。サラは誰の代わりでもないというのに…。
「サラ…」
コハクはサラの頬に触れた。血のにじむ擦り傷を指でなぞり、治癒魔法をかける。脇腹にちくりとした痛みを感じた。
「私はね、もう子どもではないのですよ」
頬にこびりついていた血を指先で払う。
「私はあのときマリア様に癒していただいた心と体で、今度は貴女を守りたいのです。それが、あの方への恩返しになると私は思っています」
「わたしは…」
「貴女は誰の代わりでもない。私にとってただひとりの特別な存在です」
「コハクさま…」
「ええ。その証拠に私は貴女にだけは、ずいぶん情けない姿を晒していると思います。以前お話ししましたが、貴女の前では私は完璧な宰相を演じられないのです。貴女の前だからこそ、もっと格好つけたいのですが、これが限界のようです」
完全に傷が消えたことを確認して、コハクは頬に口付ける。
「貴女の前では、私は私でいられるのです。それがどれだけ心安らげることか…。どうか私をひとりにしないでください」
「…わたしは、本当にあなたの側にいてもいいのですか」
「それが貴女にとっての幸せだと仰ってくださるのなら」
切なく揺れる視線が、コハクを捉える。
「大好きな人に求められて、こんなに幸せなことはありません」
サラは柔らかい微笑みを浮かべた。
「サラ…、愛してる」
これまでの告白はただの自己満足だったと、今ならわかる。
本当の気持ちが通じあった喜びを伝えるように、コハクはサラを強く抱き締めた。




