潜入と奪還2
「よくも兄様に怪我をさせてくれたわね。この黒男」
ヒスイは槍を男に向ける。馬車の横ではセシルが十数人の男を相手に剣を構えていた。
「ということは貴方はヒスイ姫ですね。ずいぶんお転婆におなりになって」
「その呼び方、気持ち悪くて虫酸が走るわ」
槍を構え直し、ヒスイが吐き捨てた。
ヒスイは舞うように槍を操って男に攻撃をしかける。しかし、男は槍の切っ先をぎりぎりのところでかわしていく。
「なかなかやるわね。これはどうかしら」
今度は槍の柄の部分で男を突く。不意打ちをくらった男は一歩だけ後ずさる。コハクは隙を見て暗器を投げた。
「皇子、国にお戻りください」
男は剣で暗器を払いのけ、コハクに向けて火を放った。
「あんた、私を無視する気?」
ヒスイがすばやく槍を突き出す。しかし、男はコハクの方を見たまま、それを避けていく。…この男は一体何者だ。
「伴侶が必要なら私の娘を差し上げましょう。娘は皇子をとても気に入っています。尊いコルテア王家の血を絶やしてはなりませんよ」
「貴方の娘など必要ありません。私には心に決めた女性がいます」
男はコハクとヒスイ、二人の攻撃を受け流しながら話を続ける。コハクは手負いだが、ヒスイの槍をかわし続けるとは、やはりこの男はかなり強い。
コハクが状況を打開する策を考え始めたとき、ヒスイがぶつぶつと文句を言いだした。
「気に入らないわ」
「ヒスイ?」
「どいつもこいつも、私を無視して話を進めるんだから」
ヒスイは槍を高く掲げた。
「これは、もういらないわ」
そう言って槍を思い切り地面に突き立てる。武器を捨ててどうするつもりなのか。
「兄様、剣を貸して。どうせどこかに仕込んでるでしょ」
「あ、はい」
コハクがローブの下から取り出した剣を片手で受け取って、ヒスイが舞う。先程より何倍も速く、隙のない動きで男に斬りかかる。金色の髪が朝日に照らされて美しく輝いた。
男はヒスイの圧倒的な速さについていけず、ついに壁際まで追い詰められた。
「実は私、槍より剣の方が得意なのよね」
ヒスイの赤い唇が美しい弧を描く。コハクは呆然とその姿を眺めていた。
こんなところに切り札を隠していたなんて、なんて恐ろしい妹だ。
「さぁ、言い残すことはないかしら」
男は憎々しげにヒスイを睨んだ。
視界の隅ではセシルが馬車の周りの男達を次々に斬り捨てている。あちらはもうすぐ制圧できるだろう。
コハクは頭の中で状況を整理する。
この男はコハクの顔を知らなかった。そして、サラを別のところに連れていって暗示をかけようとしていた。つまり、ここに秘術を使える人間はいない。
コハクはヒスイを制して男の前に立った。
「まだ仲間がいますね。それも皇族に近い血筋の人間が」
男は目を見開いた。図星のようだ。
「命が惜しければ答えなさい」
使い古された脅し文句を言って、ヒスイは剣を男の喉元に突きつける。
「ここまでか…」
男は襟元から黒い紐のような物を取り出した。
「あとは任せます」
そう呟いて紐のような物を首にあてる。それはしなやかに動いて男の首に絡み付いた。紐のように見えたものは小さな蛇だった。
「ヒスイ、やめさせてください」
コハクは叫んだが遅かった。
蛇の牙が男の首に食い込む。すぐに男の体は痙攣を始め、やがて泡を吹いて仰向けに倒れた。
「コルテア、我が祖国…」
そう言い残して男は息絶える。
「あんな国でも祖国と呼ぶのね」
ヒスイが剣を拭いながら言った。コハクは返事をせず、馬車へと走る。ちょうど最後の男を斬り捨てたセシルが、コハクに一礼する。
「ありがとうございます。助かりました」
「付近に敵の気配はありません。私はヒスイ様と屋敷内に残った敵を殲滅します」
セシルはいつもと変わらない、人の良さそうな笑顔を浮かべて走っていった。
その足音が遠ざかっていくのを確認して、コハクは馬車の扉を開けた。そして、中の光景に息を飲む。
サラは手と足を縛られた状態で、床に倒れていた。長いまつげで縁取られた瞳は固く閉ざされ、あの日、コハクが口づけた薄紅色の頬と桜色の小さな唇は、血の気が引いて真っ白になっていた。
コハクの心臓が苦しいほどに早鐘を打った。
サラの唇に手をあてて呼気を確認しようとするが、手が震えてうまくいかない。コハクは抱き締めるようにサラの上半身を起こして、口元に耳を近づける。すきま風のような音が微かに聞こえて、コハクは胸を撫で下ろした。震えの治まった手を首筋にあてると、弱々しいが脈も感じとることができた。
かなり衰弱しているが、最悪の状況だけは避けられたようだ。
「よかった…」
コハクはサラを横たえると、その場に座り込みたいのを我慢してナイフを取り出した。
最初に手を縛っていた縄を切る。細い手首には痛々しい縄の痕と血痕がついていた。
コハクの胸が締め付けられるように痛む。
空色のドレスからのぞく足首は紫色に腫れあがって、縄が食い込んでいた。コハクはこれ以上肌を傷つけないように慎重に縄を切る。
なんてひどいことを…。死んだ男に対するやり場のない怒りがこみ上げてきた。
コハクはサラを抱き起こして、頬の擦り傷に指を這わせる。血の気のない唇はひび割れて血がにじんでいた。
「サラ」
軽く肩を揺さぶったが、反応はない。サラは腕の中でぐったりとしていて微動だにしなかった。
「起きてください」
やはり反応はない。それでも諦めずに呼びかける。
「サラ、迎えにきましたよ」
このまま目を覚まさないのでは…。悪い予感が心を侵食していく。
「お願いですから、起きてください」
コハクは悲鳴のような声をあげて、サラの小さな体を抱き締めた。




