潜入と奪還1
一晩中休みなく馬を走らせ、国境付近の屋敷にたどり着いた。
時刻は夜が明ける少し前。屋敷はひっそりと静まり返っていた。
「ヒスイ様、これを」
セシルが薄紫色の紐を拾い上げた。
「ここに、サラさんがいるのね」
「ええ、間違いないですね」
離れた森の中に馬を留めて、コハクはローブの中に仕込んだ暗器を確認する。ヒスイは短めの槍を、セシルは細身の剣を携え、闇に紛れて裏門へ向かう。
見張りは一人。セシルが足元の石を投げて注意を引く。その瞬間にヒスイが槍の先を男の喉元に突き付ける。怯んだ隙にセシルが背後に回り両手を締め上げた。
「連れてこられた女性はどこにいるの?」
男は答えない。ヒスイが目で合図を送ると、男が呻き声をあげた。セシルの指が首に食い込んでいる。
「どこにいるか聞いてるの」
それでも男は答えない。コハクはヒスイの前に出る。
「答えていただけませんか。それでは仕方がありませんね」
ローブがひるがえった。男の右耳が裂け、悲鳴が上がる。コハクは指先に仕込んだ金属の爪を、男の顔面に突きつけた。
「次は左です」
殺気を込めて男を睨み付けると、男は怯えた様子で口を開いた。
「二日前、地下の倉庫に大きな荷物が運びこまれた。中身は知らない」
「もう一人若い女性がいますね。その方はどちらへ」
「廊下で食事を運んでいるのを見た」
ヒスイがセシルの方を見る。セシルは軽く頷いて男の首筋に手刀を打ち込んだ。二人は倒れた男を手早く縛り上げ、柱の影に押し込む。
「兄様のあれ、久しぶりに見たけどこっちが怖くなっちゃうわ」
ぱんぱんと手を払いながらヒスイが言う。
「汚れ仕事は我々がやりますから、宰相閣下は司祭様をお探しください」
「そうよ。悪党の血にまみれた手で、愛しい彼女を抱き締めるつもり?」
「…わかりました」
ヒスイが軽口をたたく理由はわかっている。それほど自分は余裕のない顔をしているのだろう。
この状況におかれたサラが選ぶ選択肢をコハクは知っている。急がなければ取り返しのつかないことになってしまうのだ。
コハクは二人と別行動を取り、地下への入り口を探して屋敷内を捜索することにした。長い廊下には下に向かう階段は見当たらないため、手当たり次第に室内を調べる他なさそうだ。
気配を消していくつかの部屋を調べているうちに、あることに気が付いた。
これほどの大きさの屋敷なのに人の気配がまったくしないのだ。
夜明け前とはいえ、いくらなんでも不自然だ。しかし、その割には、廊下も、置かれた調度品もきれいに掃除されていた。
連中がすでに屋敷を去ったとも考えたが、それなら見張りを置く必要はない。
「まさか、ここにいるのは…」
突然、背後から大きな音が聞こえた。この距離まで近付かれるなんて、コハクにとってはありえないことだ。
暗器を構えて振り向くと、そこには虚ろな目をした男が立っていた。
少しも気配を感じさせなかった男は、ぎこちない動きで手にした剣を振り上げた。コハクはそれを軽々とかわして背中から蹴りを入れる。声もなく倒れた男の首筋に赤い紋様が見えた。
サラの言葉を思い出した。紋様で操るのは意思のない虫や動物、意識のない人間か、または…。
コハクは男の脈を確認しようとして、反射的に手を引いた。男の体は驚くほど冷たかった。
おそらくこの屋敷にいるのは、大多数が魔法によって操られた人間だ。いや人間だったものだ。それならば全く気配を感じないのも納得できる。
そのとき、背後から床のきしむ小さな音がした。
今度は間違いなく生身の人間の気配がする。コハクは振り向いてナイフを投げようとして、寸前で構えを解く。
柱の影で少女が震えていた。薄汚れた白い神官服に焦げ茶色の髪、神官見習いのニーナだった。
「申し訳ありませんっ」
ニーナは飛び出すようにしてコハクの前に平伏すと、額を床に擦り付けた。
「宰相様、サラ様を助けてください」
涙を流しながらニーナは懇願する。
「サラの居場所をご存知なのですか?」
「さっき執事の男が来て、地下からサラ様を連れていきました。ここから移動させて術をかけると言っていました」
「彼女は無事なのですか?」
コハクの問いにニーナの顔が歪む。嫌な予感がしてコハクは両手を握りしめた。取り乱してはいけない、と自分に言い聞かせる。
「お昼頃にお会いしたときには、お疲れのようでしたがお話はできました。ですが、先程拝見したときにはぐったりとして、意識があるようには見えませんでした」
ニーナは両手で顔を覆って泣き出した。コハクは強引にニーナを立ち上がらせる。
時間がない。少しでも早くサラを見つけ出さなければ。
「サラが連れていかれたと思われる場所に案内してください」
「はい。馬車の置いてあるところだと思います」
ニーナは涙をぬぐって走り出した。コハクもその後を追う。
遠くの方で何かが爆発する音が聞こえた。きっとヒスイ達が暴れているのだろう。あの二人なら心配ないと決めつけて先を急ぐ。
ようやく広い屋敷の玄関にたどり着き、内側から扉を開ける。
外に出ると東の空が赤く染まっていた。
玄関から続く階段を降りようとしたコハクは、ただならぬ気配を感じて立ち止まる。
階段を降りた先に、黒ずくめの男がひとり立っていた。どうやらこの男を倒さないと先には進めないようだ。
コハクは音もなく男に飛びかかると、ナイフで切りかかった。男は素早く身をかわして、どこからか取り出した長剣でナイフを受ける。金属が擦れ合う耳障りな音が辺りに響いた。
この男は只者ではない。コハクは間合いをとってナイフを構え直した。
すると、男は黒い山高帽を取って、うやうやしく一礼した。
「おやおや、その金色の髪はもしかして皇子様ですか?」
「私を知っているのですね」
「いいえ。話に聞いているだけですよ」
この男は違う。本当の顔を知っている人間は他にいる。
「サラはどこですか」
コハクはナイフを持っていない方の手を振り下ろした。男の外套が切り裂かれる。耳元で血のように赤い耳飾りが揺れた。
「あちらの馬車の中ですよ」
指差された方向に視線を走らせると、小さな馬車とそれを取り囲む複数の男が見えた。
「サラは無事なのですか」
「さぁ? 放っておいたら勝手に死にかけていましてね。せっかくの強い魔力の持ち主ですから、意識が戻る前に秘術をかけて操るつもりですが、街までもたないかもしれませんねぇ」
血の気が引いた。
やはりサラはコハクが想像した通りの結論に達していたのだ。まだ最悪の状況にはなっていないようだが、一刻を争う事態であることに変わりはない。
「サラを返してもらいます」
「それは我々の要求を飲むということですね」
「お断りします」
「では、あの小娘には死んでもらいましょう」
合図を受けた男が、御者台から降りて客車に向かう。手には大きな斧を持っている。
コハクは素早くナイフを投げた。ナイフは客車に手をかけた男の首に命中する。
「お見事。ですが余所見をしていて良いのですか」
黒ずくめの男がコハクに向かって跳んだ。コハクは男の剣を別のナイフで払いながら馬車を確認する。別の男が馬車に乗り込もうとしている。コハクは仕込んでいた暗器を立て続けに投げ、そのうちの一本が男の後頭部に刺さった。
安堵したその時、コハクの肩を焼けつくような痛みが襲った。黒ずくめの男が火の魔法を放ったのだ。やはり離れた馬車を守りながら戦うのは難しい。
どうすればいい?
コハクが唇を噛み締めたときだった。
「兄様、大丈夫ですか」
ヒスイの声が聞こえた。




