サラの本心
硬い床の上で、サラは意識を取り戻した。
身体中が痛い。両手と両足は固く縛られている。足先を動かすと、蛇に噛まれた辺りが痺れるように痛んだ。
サラは周囲を見渡し、自分のおかれた状況を分析する。狭い部屋には窓がひとつ、とても高いところにある。立ち上がっても外を見ることは不可能だ。着衣に乱れはなく、乱暴はされていないようだ。
コハクはきっと必死でサラを探しているだろう。朝の儀式とはいえ、黙って抜け出さなければ良かったと後悔しても、もう遅い。
どうすればこの状況を打開できるのか。目を閉じて考える。
「サラ様、お目覚めですか」
聞き覚えのある声がしたが、あえて返事はしなかった。
やがて、かちゃかちゃと金属の触れあう音がして、扉が開いた。そして、木の盆にパンを乗せたニーナが入ってくる。ニーナは、立ったまま泣き出しそうな顔でサラを見下ろした。
「やっぱりあなたでしたね」
予想通りの展開に、サラは落ち着いた声で言う。
「ごめんなさいっ」
ニーナはぼろぼろと涙をこぼしながら、床に倒れているサラを抱き起こした。そして、サラの膝にすがって事情を説明した。
コハクに暗示を解かれてすべてを思い出したこと。家族に会いに行ったら屋敷はコルテアの人間に支配されていて、当主の兄以外の家族は全員殺されていたこと。その兄も呪術で操られていてニーナのことすら覚えていなかったこと。殺されたくなければサラの誘拐に手を貸せと脅されたこと…。
「ごめんなさい。あたしが奴等にサラ様の行き先と朝の礼拝について教えたんです」
「いいのよ。仕方のないことです」
そのとき、乱暴に扉が叩かれ、「遅いぞ」と男が怒鳴る声がした。
ニーナは扉を半分開けて、上半身だけを部屋の外に出す。
「仕方がないでしょ。手を縛ってあるんだから。それともほどいていいの? 魔法を使われちゃうわよ」
ニーナは外の男に文句を言うと、乱暴に扉を閉めた。そして、小声でサラに話しかける。
「手がかりを残してきましたから、必ず宰相様達が助けに来てくださいます。それまでご辛抱ください」
「ありがとう、ニーナ」
食事を取る気にはなれなかった。あまり長居をしたら怪しまれてしまうと言って、ニーナには部屋を出ていってもらう。
体を起こしているのが辛くなって、サラは横になった。冷たい床がますます体力を奪っていくような気がした。
自分はどうすればいいのだろう?
コハクは必ず助けに来てくれる。すると敵はサラを盾にコハクを脅すだろう。そうなればコハクは絶対に手を出せない。サラのために取引に応じるかもしれない。
それは絶対に嫌だ。
コハクのためにも聖王国のためにも、コルテアの野望はここで潰えなければならない。サラひとりのために国が不利益を被ることは決してあってはならないし、コハクに辛い過去を思い出させることも嫌だった。
では、先にひとりで脱出するか。サラの魔力をもってすればさほど難しいことではない。
しかし、ニーナはサラを逃がした落ち度を責められて確実に殺されるだろう。
ニーナには非がなくて、サラに人質としての価値がなくなるような方法を考えなければ。
…簡単だ。
サラの存在がすべての歯車を狂わせるのならば、存在自体を抹消すればよいのだ。
サラがいなければコハクは心置きなくコルテアの残党を攻撃できる。ニーナも混乱に乗じて脱出できて、すぐにコハクたちに保護されるだろう。サラがいなければすべてがうまくいく。
それは、幼いコハクが導きだしたものと同じ結論だった。あのとき彼は失敗したがサラはもう大人だ。確実な方法を知っている。
司祭には、万が一のための秘術が伝わっている。自分の存在が国家に損害をもたらす場合などに使う方法だと、最後にノキアから教えてもらったものだ。司祭は人々のために祈るのが役目であって、決して人々の害となってはいけないのだから、と。
絶対に使ってはいけないけれど、必ず伝える決まりになっているのよ、とノキアは付け足した。
今がそのときだ。
わたしは大切な人の枷にはなりたくない。
サラは大きく息を吸った。意識を集中させ、言葉に魔力を乗せる準備をする。そして、頭の中で呪文を反芻し、一言ずつ声に出していく。
「静かなる月」
あの夜、初めて気持ちが通じあった日。月明かりの下で優しく抱かれた腕の感触を思い出す。
「大いなる太陽」
初めて手を繋いだのは明るい太陽の日差しのもと、街へ出掛けたときだった。恥ずかしかったけれど大きな手が暖かくて、いつまでも繋いでいたいと願った。
「わたしの命を星へ」
これからは、夜空から大好きなあの人をずっと見守っていく。
体から力が抜け、視界が灰色になった。急激に魔力と生命力が失われていくのがわかる。
もう少しで呪文が完成する。そのとき、ろうそくの火が消えるようにサラの命も星に還るのだ。
「還し…」
…還したらどうなるのだろう。
突如、そんな疑問が脳裏に浮かび上がった。
もう会えない。声が聞けない。触れない。抱き締めてもらえない…。
…嫌だ。嫌だ嫌だ嫌だ。
逢いたい。もっと一緒にいたい。声が聞きたい。手を繋ぎたい。
頬に触れて、好きだと囁いて、唇を重ねて、抱き締めて、ひとつに重なりたい。
止まらない欲求が涙となってあふれだした。
ああ、わたしはこんなにも彼のことが好きだったのか…。
わたしはまだ死にたくない。
この想いを伝えるまでは死ねない。
サラは魔法を中断した。
しかし、魔力には余力があるが、体力が底を尽きかけていた。顔を動かす力すら残っていない。このままでは衰弱していずれ死んでしまうだろう。
魔法を止めるのが遅すぎたのだ。
悲しくて目を閉じると再び涙がこぼれた。
そのときだった。
サラは柔らかくて暖かいものに包まれた気がした。
「あなたは大丈夫よ。もうすぐ迎えがくるから、それまでがんばって」
知らない女性の声が聞こえる。
「どうかあの子のことをよろしくね」
また、別の女性の声が聞こえた。
「私達の分まで愛してあげて」
ふたりの声が重なりあって、優しく響く。
この人たちは、もしかして…。
改めて問いかける必要はない。自分はこの人たちを知っている。自分は助かるという根拠のない自信も湧いてきた。
サラは薄れゆく意識の中で願う。
わたしはもう自分に嘘はつきません。
だからお願いします。どうか次に目を覚ますときには、愛しい人の腕の中でありますように…。




