手がかり
サラが消えた。
あの朝、目を覚ましたコハクは、いなくなったサラを探し回り玄関の外で死んでいる蛇を見つけた。蛇の胴体には暗号文字で「皇帝に即位せよ」と書いてあり、サラがコルテアの残党に誘拐されたことがわかった。
コハクは急ぎ城に戻り、アレクに報告した。
「僕を暗殺すると脅すより、司祭を使って揺さぶりをかけたほうが君には効果的だとわかったんだろうね」
「そのようです」
コハクは努めて冷静に振る舞ったが、アレクにはすべて見抜かれていたようだった。
「大丈夫、ファティマ司祭は無事だよ。彼女を殺してしまっては取引にならないからね」
殺す、という言葉に背筋が凍りつくような寒気を覚えたが、冷静に考えればアレクの言うとおりだ。コハクはため息をついた。
「ヒスイとセシルが動いてくれるから、すぐに見つかるはずだよ」
「では私も…」
「君は駄目。そんな顔で冷静な判断ができるとは思えないよ」
返す言葉もなかった。
自分は彼女のことになると冷静ではいられない。それは自覚している。
だからアレクの指示通り、ここで大人しくしているしかないようだ。
それから、三日が過ぎた。
依然としてサラの行方はわからないのに、コハクは待つことしかできない。食事はほとんど喉を通らず、夜は少しでもまどろむだけで最悪の事態を夢見てしまい、何度も自分の悲鳴で目が覚めた。仕方なく夜通し仕事をして朝が来るのを待つ日が続いている。
こんな事態でも日常は動いている。やらなければならない仕事はたくさんある。むしろ、仕事に集中していないと自分が保てない。それくらい自分に余裕がないこともわかっていた。
「…ニーナ・マルシェの行方はわかったの?」
書類を整理していたコハクに、アレクが尋ねた。
コハクは首を振ってそれを否定する。
あの日、教会からはニーナの姿も消えていた。当初、サラと共に誘拐されたのかと思われたが、寮の部屋から自筆の手紙が見つかり、彼女がサラの誘拐に関わっていたことが判明したのだ。
アレクが直接教会に出向き、手紙を鑑定したから内容に嘘はない。王家の光魔法の前では、どんな偽装も意味をなさないからだ。
「神官長も驚いていたよ。孤児だと思っていた少女がカーネリア家の末の娘だったとはね。司祭に神官長、ふたりともこの国では最高位の魔導師なのに、それを欺くとはコルテアの秘術は大したものだ」
「はい。あのとき私が異変に気が付いていれば…」
ニーナにかけられていた暗示は一つではなかった。
九年前、教会前で拾われたカーネリア家の娘は、自分は孤児のニーナだと暗示をかけられていたのだ。
先日コハクが術を解いたとき、同時にこの暗示も解除されて、ニーナは自分の素性を思い出した。記憶を頼りにカーネリア家を訪ねると、そこは謎の集団に牛耳られていて、すでに当主である兄以外は殺されていた。その兄を人質にとられ、サラの誘拐に加担せざるを得なかったと手紙には記されていた。
ニーナに治癒師の適正があったのもカーネリア家の娘なら不思議ではない。しかし、彼女は自らの出自など関係なく献身的にサラに仕えていた。本当に気付いていなかったのだ。
「セシルが城からの使者としてカーネリアの本邸に行ったけど、執事がひとり出て来て、当主は病気だから会えないの一点張り。見舞うと言っても聞き入れなかった。しかもその執事はただ者ではない殺気を放っていたんだって」
「怪しいですね」
ニーナの手紙では当主は生きているはずだが、会わせられない事情があるのだろう。
「以前屋敷に勤めていた使用人によると、現当主が病気と称して部屋から一歩も出てこないのは本当らしい。昔からの使用人はほとんど辞めさせられ、いつの間にか屋敷の中は知らない人間ばかりになっていたそうだよ」
「コルテアの連中の拠点にされたのでしょう。当主も本当に生きているとは思えません」
「そうだね。秘術とやらを使われた可能性もあるけど」
「いつものように極秘裏に制圧しますか」
「それは駄目。君が取引に応じないとわかった瞬間に彼女は殺される」
「それでも、私は国の…」
「司祭の身の安全を確保するほうが先だよ」
アレクはきっぱりと言い放った。
通常、反乱分子の拠点は見つかり次第制圧している。こちらが気付いたことが知られると、奴等は他人を巻き込んで暴走することが多いからだ。
宰相としての判断は国益を優先しなければならない。でも…。
「君は彼女のことを優先していいんだから」
そんなコハクの葛藤を見透かしたかのようにアレクは言う。
「…お気遣いありがとうございます」
「それに、優秀な司祭がいなくなるのは国益を損ねることにもなる。そう考えてみたらどうかな」
「はい…」
「ヒスイとセシルがカーネリア家の関係先をひとつずつあたっている。見つかるのは時間の問題だから、ね」
司祭が誘拐されたと世間に知られるわけにはいかない。サラの捜索は極秘で行われている。
「もう、三日も経つのです…」
サラが膨大な魔力を持っているのは、生きるために必要な体力の大部分が魔力に置き換わっているからで、そのためにとても体が弱いらしい。北の国にはそのような体質の子どもが生まれやすい地域があるらしく、サラはそこの出身ではないかと神官長は言っていた。
とにかく、早く助け出さなければいつか手遅れになってしまう。何もできない自分がもどかしかった。
「ただいまー」
昼過ぎになって、ヒスイとセシルが戻ってきた。鎧ではなく私服姿なのは目立つことを避けるためだ。道に迷った恋人同士を演じているらしい。
ヒスイは外套も脱がず、コハクに向かって右手を突き出した。
「兄様、この紐を見てくれる?」
手渡されたのは見覚えのある薄紫色の平紐だった。
「…これは、彼女が私にくれた物と同じ紐です」
気付かないわけがない。サラが贈ってくれた茶葉の包装紙と、それを結んでいた紐を、コハクはずっと捨てられずにとってあるのだ。
それを聞いたセシルは、取り出した紙片を読み上げた。
「一昨日の深夜、カーネリアの別荘から一台の馬車が出発するのを夜勤明けの兵士が見ていました。翌朝、この紐が馬車が通りすぎた後の道に点々と落ちていたそうです。近所の子どもが拾い集めていました」
紐は指の長さほどに切られていた。客車の隙間からこれを落としていくことは難しいことではない。風に舞った紐に御者が気付くことはないだろう。
しかしサラは自由には動けないはずだ。
「まさか、ニーナが」
「私もそう思う。ニーナが印を残したのよ。兄様ならこの紐の意味がわかるでしょう」
「ええ」
コハクは紐を握りしめた。ようやく見つかった手がかりに安堵するのと同時に、焦る気持ちを抑えきれなくなった。
「それで、馬車はどこへ」
「北の国境付近、前当主が送られた別荘方面よ」
コハクは立ち上がった。
「すぐに向かいます。馬の用意をお願いします」
「僕も行こうか?」
「今回は私とヒスイで方を付けようと思います」
「わかった。気を付けてね」
「私もお手伝いします」
セシルの申し出に、ヒスイは複雑な顔でコハクを見上げた。彼を巻き込んでいいものか迷っているようだ。
もう、事情は話してあるようだし…。
「お願いします。妹を助けてあげてください」
「はい」
ヒスイは皇族だが、女性に皇位継承権はない。よって、相手はコハクを殺すことはできないが、ヒスイを殺すことには躊躇しない。それならばセシルに護衛をしてもらえるのは好都合だ。
それに、ヒスイはどう思っているのかわからないが、セシルは妹に好意を寄せている。危険な場所に向かう彼女から離れたくないという思いは、今のコハクには痛いくらいに理解できた。




