夢の終わり2
「私はコルテア国の皇帝である父と、他国から拉致された母の間に生まれました」
サラの指に包帯を巻きながらコハクは切り出した。
「母は遠くの国の下級貴族の娘でした。母の美貌を伝え聞いた父は部下に命じて母を拉致し、後宮に納めました。後宮には多くの女性とその子どもがいましたが、皇位継承権を与えられるかどうかは父の機嫌ひとつで決まります。私は、母譲りの外見を父に気に入られ、三番目の皇位継承権と、帝王学を学ぶ許可を与えられました」
包帯を巻き終わった指に軽く口づけをして、コハクは続ける。
「ある時父は気まぐれに、子ども達を競わせて皇位継承権など関係なく一番優秀な子どもを次の皇帝にすると宣言しました。私は母親の身分が低いことや外見を父に気に入られていることを理由に、真っ先に他の兄弟やその母親から命を狙われることになりました。その直後に、ヒスイが生まれました」
コハクは紅茶の器に口をつけた。酒の成分が喉を刺激する。
「コルテアでは、女性に皇位継承権はありません。皇女であっても、せいぜい外戚を増やすために利用されるだけです。しかし、父は幼いヒスイの容姿をいたく気に入り、異常なほどに可愛がりました」
今思えば、父は精神に異常をきたしていた。皇帝になるということは、あの環境で多くの兄弟の屍を踏み越えて生き延びたということだ。狂気に支配されていたとしてもおかしくない。
しかし、父が実の娘を成長したら後宮に入れると言っていたと母親に伝えたのは自分だ。そこから、すべてが崩れていく。
「その異常さを恐れた母は、ある晩、私とヒスイを連れて城から抜け出そうとしたのです。すぐに警備の兵士に見つかり、父の前に引きずりだされた母は、その場で切り捨てられました」
今でも鮮明に覚えている。床に広がった金色の海のような髪を踏みにじり、父がコハクに剣を向けたことを。
サラは何も言わず、コハクの手を強く握りしめた。
「父は母の血にまみれた剣で、私の体に魔法を刻みました。二度と裏切れないように魔法を封じる。もし禁を破って魔法を使ったら激痛が体を苛むことになる。しかも私の血を使って半永久的に効果が続くような工夫までしてくれました」
「それが、この紋様ですね」
「これが簡単に解除できないことは、おわかりですよね」
「はい」
「母の死後、私は命がけで勉強に取り組みました。自分の身に何かがあれば、ヒスイがどうなるか想像できたからです。送られた刺客を殺したこともあります。兄弟がお互いに命を狙いあい、父は不要と判断した子どもや后を平気で殺す、そんな生活が続きました」
食事には毒をもられ、常に暗殺者に狙われる。心の休まる時間は一秒たりともなかった。自分でもよく生き延びることができたものだと感心する。
「九歳になったある日、私は聖王国に送られることになります。父は私の兄弟を使ってウィンディア国の国王一家を暗殺し、領地を強奪しましたが、なぜか隣の聖王国には進軍しませんでした。そして人質として私とヒスイを差し出したのです」
妙に喉が渇いて、もう一度紅茶を口に含む。
「表向きは留学という名目でしたが、私は国王一家を暗殺するという密命を受けていました。変装して髪を染め、偽名を使い、常に国王一家の隙を狙っていました。ところが、絶対に私の目的に気付いていたはずの国王陛下とマリア様は、私達をご子息のアレク様と同じくらいに可愛がってくださいました」
「マリア様は、陛下のお母様だったのですね」
サラの言葉にコハクは頷いた。
「毎日怯えて暮らしていたのが嘘のように、幸せな日々でした。しかし、国からついてきた監視役の侍女が、仕事をしないのならヒスイを殺すと脅してきたのです。そして、私はこの一家を殺すくらいなら、自ら命を絶った方が良いと考えるようになりました」
サラの手が震えていることに気が付き、コハクはサラを抱き寄せた。
「ヒスイを殺そうとした侍女を手にかけた後、私はあの丘の上で何回も自分の首を切りつけようとしました」
腕の中のサラがぴくりと動く。
「しかし、できませんでした。ここでの生活が幸せすぎて、もっと長く生きたいと思ってしまったのです。心配して探しに来てくださった国王陛下とマリア様に、私はすべてを話して赦しを請いました。お二人は私が泣き止むまでずっと抱きしめてくださいました」
目を閉じるとあの日の光景が浮かんでくる。薄紅色の花畑の中で、自分を包む大きな腕と頭を撫でる柔らかい手の感触。それをコハクは一生忘れることはないだろう。
「国王陛下は、私達は事故で死んだと通達を出しました。一方で、私達は変装を解いて元の姿に戻りました。そして母方のエンジュという姓を名乗り、マリア様の遠縁の子どもとして城で暮らすことになったのです」
サラは泣き出しそうな顔をしていた。コハクは安心させるように髪を撫でた。
「それから数日が経った日の夜、隣で眠っていたヒスイが、突然私の胸にナイフを突き刺しました。ヒスイには、私が裏切ったら殺害するように秘術がかけられてたのです。傷は深くなかったので、私は禁じられていた魔法を使ってヒスイの術を解除しました」
「あれを解除なんて、すごく高度な魔法なのに…」
「使うことはできませんが、知識だけはありましたからね。高度な魔法の代償は、貴女もご存知の通りです。紋様のもたらす激痛に耐えかねた私は、無意識のうちに自らナイフで腹部をえぐっていたそうです。我に返ったヒスイの悲鳴で周囲の人々が気付き、私は教会の治療院に運ばれました。そこでノキア様に命を救っていただいたのです」
「そのようなことが…」
突然、サラがすがりついてきた。コハクの胸に顔をうずめ、肩を震わせる。
「気分の悪い話でしたね。申し訳ありません」
事実とはいえ、血生臭い話ばかりしてしまった。
コハクはサラの小さな体を抱き締めて頬擦りをする。しかしサラは子どものように首を振った。
「違います。こんなに大切なお話をしてくださって、不謹慎ですが嬉しいとさえ思っています」
「では、どうなさったのですか」
サラは顔を上げた。大きな瞳からぽろぽろと涙がこぼれている。
「もし、今のお話のどこかでコハクさまが命を落とされていたら、わたしはコハクさまに出会うことができなかったと思ったらすごく怖くなって…」
震えながらサラは呟く。愛しくさがこみ上げてきて、コハクは両手でその小さな体を包み込んだ。
しばらく抱き合った後、サラは胸から離れた。
「ごめんなさい。お話の途中で取り乱してしまいました」
小さな手がコハクの服を握りしめる。
「貴女にそこまで想っていただけて、私は嬉しいです」
コハクはサラの前髪を指でかき分け、額にそっと口づけた。
サラは顔をほころばせる。小さな花が開くような、この笑顔がコハクは好きだ。
「サラ」
名前を呼ぶと、サラは首をかしげてこちらを見た。
「好きです」
驚くほどすんなりと言葉が出てきた。恥ずかしいなどとは、少しも思わなかった。
「わたしも…お慕いしております」
すぐに返ってきた言葉に、本当に恋人と呼べる関係になったのだと実感する。同じ言葉で返してくれないのは、お互いの感情に温度差があることがわかっているからだろう。
今はそれでもかまわないが、いずれは…。
「ですから、わたしは必ずあなたにかけられた呪いを解きます」
サラはコハクの脇腹に手をあてた。この少女ならば可能かもしれない。根拠はないが、そんな気がした。
「ところで、貴女はなぜそこに紋様があるとわかったのですか」
「ああ、それは…」
サラは恥ずかしそうにうつむいた。




