夢の終わり1
城の周りに広がる青の森。その深い森の一角に小さな屋敷が建っている。
週末の昼下がり、めったに人が訪れることのないその屋敷の前に一台の馬車が停まった。玄関の前でそれを待っていたコハクは、御者に声をかけてから客室の扉を開ける。
「お待ちしておりました」
そう言って手を伸ばすと、その上にほっそりとした白い手が重ねられた。
「お招きいただき、ありがとうございます」
空色のドレスを着たサラは、御者に気を使ったのかどことなく他人行儀な挨拶をした。コハクはサラの大きめの鞄を預り、御者に合図をする。
馬車が森の奥に消えていった。
「中へどうぞ」
扉を開けてサラを中へ案内する。
玄関から入ってすぐの広間でサラが振り返った。空色のドレスがふわりと広がる。
「素敵なお屋敷ですね」
「代々の宰相が使っていた屋敷を移転して、規模を小さくしました」
「ヒスイさまとお住まいになられているのですか」
「普段は二人とも城に寝泊まりしていますから、ここにくるのは一人になりたいときか、二人で飲むときくらいですね」
「仲がよろしいのですね」
「ふたりだけの兄妹ですし、ここでは周りに気兼ねなく話ができますから」
サラが「あっ」と小さな声をあげた。ここに呼ばれた理由を察したようだ。
「ここに、妹以外の女性が来るのは初めてです」
コハクはサラの髪に触れた。薄茶色の柔らかい髪を指先に絡め、口付ける。
「貴女に聞いていただきたい事があります」
「…はい」
サラは潤んだ瞳でコハクを見つめ、頷いた。
サラの肩を抱いて居間に入る。
暖炉の前にあるソファーにサラを座らせて、自分は奥にある台所に向かい、飲み物の準備をする。大きな屋敷ならば厨房を別に作り、料理人を雇ったりするのだろうが、コハクはこの小さな屋敷ですべてを自分で賄うのが好きだった。
コハクは紅茶を二杯淹れ、自分用には少しだけ酒を垂らした。
「お待たせしました」
ソファーの前の机に器と小さな焼菓子を置いて、コハクはサラの隣に座る。控えめに肩が触れあった。
それからしばらくは他愛もない話をして過ごした。
ヒスイにサラと仲直りしたことを伝えたら、大泣きされた後に何でもいいから高い菓子を買ってくるように要求されたこと。適当に選んだ菓子が高い割には美味しくなくて、別の物を買ってくるように言われたこと。
本当はこんな話をするはずではなかったのに、なかなか本題を切り出すことができない。
「すいません。くだらない話ばかりしてしまって…」
「コハクさまのお話を聞くことができて、わたしは嬉しいです」
サラはうっすらと笑みを浮かべた。前回会ったときよりも顔色は良いが、まだ本調子ではなさそうだ。
突然、目の前のサラがひどく儚い存在に思えてきて、コハクは吸い寄せられるように手を伸ばした。サラは紅茶の器を置いて、両手でコハクの手を包み込むと、柔らかく微笑んだ。
サラが自分だけを見てくれている。その安心感がコハクを後押しする。
…ようやく、決心がついた。
「東方風の名前からお分かりかもしれませんが、私は元々この国の人間ではありません。私の本当の名前はコハク・ローゼ・コルテア。コルテアの第三位皇位継承者でした」
彼女が息を飲むのがわかった。
独裁国家コルテア。
特異な能力を持つ皇族と一部の特権階級が絶大な権力を持ち、逆らうものは容赦なく粛清される。大きな戦争を仕掛けることはないが、他国の権力者を暗殺、脅迫することで領土や利益を得、国民を傭兵や暗殺者として他国に派遣することでも国庫を潤している国。ある書物にはこのように書かれていた。
この世界で最も凶悪な犯罪国家。
それがコハクの生まれた国だった。
「黙っていて、申し訳ありません」
サラは下を向いたまま返事をしない。
心臓の音がやけにうるさく聞こえた。
今回、コルテアの残党はコハクを皇帝として即位させ、国家を再興しようとしている。コハクを追い詰めるため、奴等は城を攻撃し、墓地ではサラを巻き込んで襲いかかってきた。
逆に自分さえいなければ、奴等の野望は潰えるし、ニーナは操られることもなく、サラが黒曜石で大怪我をすることもなかったのだ。やはりあのとき命を絶っていればよかったと、戻れもしない過去を思い出し、胸に暗い気持ちが広がっていく。
「…わたしは」
ようやく口を開いたサラは、コハクの手を握り睨み付けるような瞳でコハクを見つめた。
「そんなこと、どうでもいいです」
思いがけない言葉に、コハクは呆然とした。
「わたしは孤児だから、自分の生まれも親のことも人づてにしか知りません。たとえ、その人たちが悪い人だったとしてもわたしには関係のないことです。コハクさまだって同じです」
サラは今までにないくらい強い口調で言い放った。
「コルテアのことは本で読んだ程度の知識しか持ち合わせていませんが、遠くの物騒な国くらいにしか思っていません。でも、コハクさまがそのお体に流れる血で苦しんでおられるのは存じ上げております」
サラは手を離し、コハクの前の床に膝立ちになった。躊躇することなく手を伸ばし、服の上からコハクの右脇腹に触れる。
サラの指先は、少しのずれもなく紋様の真上に置かれていた。
「ここに、何かありますね」
…やはりサラはすべてを見通していた。
返事の代わりに、コハクは上着をめくって赤い模様を見せる。
サラは何も言わず、真剣な顔で模様を観察し始めた。白く細い指が脇腹を撫で、次第に熱を持ちはじめる。サラが指先から魔力を送り込んでいるのだとわかった。
「だめです。魔法を使っては…」
コハクの制止は間に合わず、ぱちんと音がするのと同時にサラの指先から赤い飛沫があがった。
「大丈夫ですか」
その言葉に返事をすることなく、サラは血の流れる指先を口に含んで考えてこんでいる。
「大した傷ではありません。外的な魔力を察知すると同じ量の魔力で反撃してくるのですね。この術をかけた人はすごく魔法に精通しています。そして、すごく性格が悪いと思います」
ふてくされたような顔でサラは言った。その表情がとても可愛らしくて、コハクは思わず吹き出してしまう。
「その術をかけたのは私の父親です。貴女の言うとおり、性格はすこぶる悪かったですね」
コハクは苦笑した。サラは気まずそうに目を逸らした。




