宴の夜1
コハクと最後に会ってから一週間、サラは司祭の仕事以外の時間のほとんどを、ノキアの遺した書物の解読に充てていた。
コルテアの一部の人間にしか使えない秘術と、血を媒体とした魔力の増幅方法。それに、前司祭が解除できなかった呪い。いずれもサラが初めて触れる魔法で、不謹慎だが興味深く研究に没頭していた。
その日も、書物の解読に夢中になっているうちに、気が付いたら夕方になっていた。
聖都の初夏は北国出身のサラにとっては暑すぎて、あまり食事をとれない日々が続いている。でも、食事を残すとニーナに叱られる。心配されているのはわかっているが、とても憂鬱だった。
サラは机の上に放置していた黒い柘榴石を手に取った。食欲がないのは暑さのせいだけではないこともわかっている。
おそらく自分の推理は間違っていない。ただ、それを確かめる良い方法が思いつかなかった。彼にとって不可侵の領域に踏み込む権利など自分には与えられていないのだ。
そろそろニーナが食事の時間を告げに来る。サラは散らかった机の上を片付けることにした。
城から使者が来たという知らせは、ニーナが食事の準備を始めようとしたときに舞い込んだ。
「急にお邪魔して申し訳ありません。城の内部にある結界が不調でして、至急、司祭様に見ていただきたいのです」
馬を飛ばして来たというセシルは、本当に申し訳なさそうに言った。食事が終わるまで待つと言うセシルの申し出を断って、サラはすぐに支度を始めた。どうせ食欲はないのだから、急いだ方が良いだろう。
支度を済ませて正門に向かうと、後から到着したという馬車が控えていた。客車に乗り込み、セシルから事情を聞く。
「本日、城では他国からの留学生を歓迎する交流会が開かれております。留学生と申しましても、ほとんどが王族や貴族の子女です。このような場合、万が一に備えて騎士団に所属する魔導師が結界を張るのですが、得意な者が急に体調を崩してしまい、代わりの者が結界を張ったところ、それがどうにも調子が悪くて…」
「わかりました。おまかせください」
「司祭様のお手を煩わせてしまい、申し訳ありません」
その程度ならすぐに終わるだろう。済まなそうに目を伏せるセシルに、サラは笑顔で答えた。
大広間の隅に置かれた結界用の鉱石は、一部の式が間違っていただけで、すぐに修復することができた。
「ありがとうございます。今、団長を呼びますのでこちらでお待ち下さい」
壁際の椅子に座り、サラは広間の様子を観察することにした。立食形式の歓迎会の出席者は、ほとんどが華やかに着飾った若い男女で、青い神官服の自分がひどく場違いな存在に感じてしまう。
仕事で来たのだから仕方がないが、できることなら早く帰りたい。きっとヒスイも忙しいだろうし、誰かに伝言を頼んで退出しようか…。
そんなことを考えていると、すぐ近くにいる女の子たちの会話が耳に入ってきた。
「陛下も素敵だけど、やっぱり宰相閣下が一番素敵ね」
胸がきゅっと締め付けられるような感覚がした。他国の王族を歓迎する場に彼が出席しているのは至極当然のことだ。しかし、まだ顔を合わせたくないと思うほど、前回の別れ方を引きずっている。
「ねぇ知ってる? この前噂になっていたノエル侯爵家との縁談。宰相閣下の方からお断りされたそうよ」
帰り支度を始めようとした手が止まる。
「信じられないわ。家柄も器量も申し分ない、あんなに素敵な女性は、なかなかいないわよ」
「じゃあ、どんな方だったら宰相閣下のお眼鏡にかなうのかしら」
「あなたはどう? お父様にお願いしてみたら?」
「私は無理よ。あんなに美しい方の隣に並ぶ勇気がないわ」
「はじめから相手にされないから安心なさい」
「それもそうね」
サラと同世代の女の子たちが楽しそうに笑っている。
彼女たちの艶のある肌に、豊かな胸元、きれいに手入れされた指先…。そのどれをとってもサラより何十倍も美しかった。それなのに隣に並ぶ勇気がないなんて…。
目の前が薄暗くなり、足元が闇に包まれたような感覚になる。
なぜ自分ごときがコハクの隣を歩けると思ってしまったのだろう。雲の上の人だと、最初からわかっていたではないか。それなのに、一瞬でも夢を見てしまった自分が情けなくて、苦しくて…。
サラはよろよろと立ち上がった。目眩がひどい。それでも一刻も早くこの場からいなくなりたい。
重い足を引きずるようにして出口に向かっていると、強い力で腕を掴まれた。
顔を上げると、視界に飛び込んできたのは流れるような金色の髪。
「サラさん、大丈夫?」
「ヒスイさま」
「顔色が悪いわ。何かあったの?」
「…少し人混みに酔ってしまいました」
「じゃあ、外に出ましょう」
ヒスイに支えられて大広間の外のバルコニーに出る。ひんやりとした外気に触れ、ようやく気持ちが落ち着いてきた。
「ありがとうございます。あのような場は初めてで驚きました」
「私もあんまり得意ではないわ」
硝子の器に入った水を手渡しながら、ヒスイが笑った。
「今日は急に呼び出してごめんなさいね。うちの魔導師達はもっと勉強しないといけないわね」
「いいえ、わたしでお役に立てることでしたら、いつでもお声がけください」
サラは水を口に含んで、想像していた味との違いに驚く。
「甘い…お水?」
「果実水は初めてかしら」
「はい。とてもおいしいです」
「…失礼な言い方かもしれないけど、サラさんって本当に世間ずれしていないのね」
「世間知らずで恥ずかしいです…」
「いい意味で言ってるのよ」
ヒスイはコハクとよく似た顔で笑った。




