秘密
それから三日間、コハクは高熱を出して寝込んでいた。
脇腹の赤い模様が燃えるように熱く、えぐるような痛みが断続的に襲ってくる。その度に寝具を握りしめ、唇を噛んで悲鳴をあげるのを堪え忍ぶ。いずれ痛みが収まるまで、ただ耐えることしかできないのをコハクは知っていた。
「兄様、お加減はどう?」
何度目かの浅い眠りから目覚めると、寝台の脇にヒスイが立っていた。水差しを替えに来たようだ。
「かなり良くなりました」
冷たい水を流し込むと、意識が冴えてくる。
「秘術を解除するほどの魔法を使ったのに、よく城まで一人で帰って来れたわね。陛下も驚いていたわ」
「情けないことに、あまり記憶がないのですよ」
「ちょっと見せてね」
ヒスイはコハクの上着をめくり、脇腹の模様を撫でた。激痛に体が跳ねる。
「あら失礼。でもだいぶ色が薄くなっているわ」
「…わざとでしょう」
そう言って睨み付けるが、ヒスイは気にするそぶりもなくコハクの寝具を整える。
「教会の子を使ってくるとはね」
「どこかで神官服を着たサラが私と歩いているのを見たのでしょう。サラの容姿さえ確認できれば、あとは礼拝でも装って教会に通っているうちに、二人が一緒にいる姿を目にすることができる。ニーナさんは見習いで教会の外に出ることも多い。そこを狙われたのでしょう」
「どうしてサラさんを狙ったのかしら」
「彼女の役職を知ったのなら、結界が張れる司祭は当然邪魔になります。それとも…」
「兄様と一緒にいたからか」
それが一番厄介な理由だった。自分のせいで彼女を危険にさらすことだけは避けたかったのに…。
「いずれにしろ、奴等は彼女の力を過小評価していたようです。あんなに弱い男では脅しにもならないでしょう」
その言葉を聞いて、ヒスイは小さな紙を取り出した。
「あの男の身元がわかったの。名前はタンザ。カーネリア男爵家の下働きよ。家族なし、出自も不明。周囲の話では、いつの間にか男爵家で働いていたとか」
「前の当主が横領の罪で流刑になり、伯爵から格下げになった家ですね」
「よく覚えているわね。さすが天才宰相」
ヒスイの冷やかしを無視したコハクは、目を閉じて記憶をたどる。
「アレク様の即位の混乱に乗じて私腹を肥やそうとしたのです。ただ、父親と違って優秀な息子が当主となり、国家に忠誠を誓うということで格下げに留まりました。もともとは優秀な治癒師を排出する由緒ある家柄でした」
宰相になったコハクは、アレクの治世を乱そうとする貴族達を許さなかった。
国に関わる業務に就く者達を、能力や適性、人格を含めた総合面で評価し、貴族というだけで役職についていた無能な人々を排除した。
一部の貴族の恨みは買ったが、城には家柄に関係なく優れた人材が集まり、荒れていた城内は次第に落ち着きを取り戻していった。
一方、長く城に仕えてきた貴族の中には優秀な人材も多かった。セシルのランサー家のように代々優れた騎士を輩出する家、類い希なる計算能力を受け継ぐ家、高い魔力をもつ魔導師を輩出する家など、国家に忠誠を誓うのであればコハクは今までと同じ特権を認めた。
その結果、アレクが即位してから、貴族の数は以前の半分程度に減っている。
「あの息子はそこまでの…」
急に脇腹が痛みだした。ヒスイがコハクの背中をさする。
「カーネリア家についてはセシルが調べてくれているわ。何かわかったら報告する。兄様はちゃんと休んで」
痛みがひいてきた。コハクはヒスイに押し倒されるように寝台に横になった。
「そろそろサラさんに話したら? そうしたら私じゃなくて大好きな彼女に看病してもらえるわよ」
薄い毛布をかけながらヒスイが言う。
「いずれは話すつもりでいます。ですが、今はまだ…」
サラとの距離は縮まったものの、胸を張って恋人と呼べる関係には至っていない。今、すべての事情を話した上で想いを伝えたら、優しいサラは同情で付き合ってくれるだろう。それだけは嫌だった。
コハクはぼんやりと天井を眺めた。
「ヒスイ」
「何?」
「司祭って何なのでしょうか」
「そうね、聖王国のすべての神官の頂点に立つ者、かな」
「国家の平穏を祈り、繁栄を願い、死者を安らかに送る者。それが司祭の定義です」
「一般にはそう言うわね」
「なぜ彼女が選ばれたのでしょう。確かに彼女の魔力は群を抜いています。ですが、それだけではない何かがあるのでしょう」
カーテンの隙間から夜空が見える。
「星が導くってノキア様が仰っていたわ」
「星…、死者の例えですね」
コハクはずっと気味が悪かった。
今は亡き人達が自分の預かり知らない場所で手を回していて、サラはその遺志に導かれるままに動いていること。それはコハクが隠しておきたかった真実に確実に近づいているということだ。
「死者は心残りがあると安らかに眠れないの。もしかしたら星になったマリア様が、兄様のためにサラさんをお呼びになったのかもね」
ヒスイはカーテンを開けた。夜空には今日も多くの星が輝いている。
「ヒスイにしては夢のあることを言いますね」
「誰かの意思に従うのが不服なら、サラさんを諦めればいいじゃない」
「悔しいですが、それはできません」
コハクが自分からサラを手放すことは決してないだろう。しかし、あの怯えたような瞳が頭から離れない。彼女から去るのなら仕方がないと思っている。
「じゃあ、マリア様のご遺志だと思って従うしかないわ」
「それなら仕方がないですね」
コハクは苦笑する。マリア様の遺志とは良い免罪符だ。
ヒスイはカーテンを閉めた。寝台の縁に座り、ため息をつく。
「そろそろ私にも話してくれるかしら」
「そうですね、ヒスイも彼に話す頃合いでしょうし」
ヒスイは照れくさそうに笑った。
「今回の件ですが、おそらく皇族の生き残りが絡んでいます」
「えっ」
「秘術を使われて確信しました。秘術を使える術者の最後の条件は、皇族であること、なのです」
皇族の中でも特に魔力の強い者、それが秘術を使うための条件だ。
「そうだったの…。知らなかったわ」
「積極的に公表することでもありませんからね」
「そんな危険な能力、私が暗殺者なら最初に狙うもの」
だから秘術の存在は世間に知られていないのだ。
「とにかく、何らかの形で、その者が皇族の生き残りの存在を知ってしまった」
「名前だけならともかく、それなら顔を見ただけでわかるわね」
「ええ。お互いにね」
しかし、コハクには思い当たる節はない。それでずっと確信が持てなかったのだ。
「彼にはどこまで話すつもりですか?」
「そうね…、全部、かな」
「彼なら必ずヒスイの力になってくれますよ」
「…兄様は他人のことになると強気よね」
「お互い様です。それにヒスイは他人ではなくて妹です」
「血の繋がりって、忌々しく思うこともあるけど悪くないわね」
ヒスイは寝台の縁から立ち上がった。
「陛下が詳しい話を聞きたいとおっしゃってるわ。こちらに来ていただく?」
「いえ、明日には業務に復帰します。お話するのはその時で」
「伝えておくわ。おやすみなさい」
扉が閉まり、辺りは静寂に包まれた。
コハクは目を閉じる。不思議なことに、もう脇腹が痛むことはなかった。




