狙われたのは3
教会の裏口に向かって森の中を早足で歩く。
あの丘を降りてからは一言も会話をしていない。コハクは時々振り返ってはサラの様子を確認する。
サラはその度に無理して笑顔を作っていた。
「いろいろと不安な思いをさせてしまって申し訳ありません」
前を向いて歩きながら、コハクが呟いた。
コハクにはサラの心配などお見通しなのだろう。
「ですが、貴女のことを大切に思っていることだけは信じてください」
繋いだ手に力が入った。この関係を持て余しているのはコハクも同じようだ。
いっそ離れてしまえば楽になるのでは?
そんな考えが頭をよぎり、サラはそれを振り払うようにコハクの腕にしがみついた。
「見てください」
コハクが声を上げた。遠くの茂みの下に、白いものが見える。
近づくとそれは人の腕だった。サラが茂みをかき分け、コハクが腕を引くと、白い神官服を着た見覚えのある少女が現れた。
「ニーナ」
サラは悲鳴に近い声をあげ、呼吸と脈を確認する。
どちらも平常通り動いているようだ。魔法をかけて異常がないか調べてみるが、体内の異変や魔法をかけられた痕跡は見当たらなかった。
「大丈夫です。気を失っているだけのようです」
「教会まで運びましょう。先に行って神官長に話をしてくださいますか」
「わかりました」
走って教会に戻り神官長に事情を説明すると、サラの自室近くにある来客用の部屋を用意してくれることになった。そこならば普通の神官や見習いは通らない。サラは人払いを済ませた裏口で、神官長とともにコハクの到着を迎えた。
「うちの子達がご迷惑をおかけしたみたいですね」
ニーナを寝台に寝かせたコハクに、神官長が声をかけた。
コハクは神官長に向き直り、姿勢を正す。
「大切なお嬢様達を巻き込むような形になってしまい、申し訳ありません」
右手を左胸にあて、コハクは頭を下げた。
「事情はある程度お聞きしております。お気になさらないでください」
神官長は穏やかな笑みをたたえている。
「ニーナは見習いでお役に立てそうにありませんが、司祭の力が必要ならいつでも仰ってください」
「お気遣いに感謝いたします」
「それに司祭…、いいえ、サラが個人的にお世話になっているようですし」
「神官長さまっ」
サラが制するが神官長はころころと笑っている。コハクは再び頭を下げた。
「我々には彼女の力が必要です。どうかお許しください」
また、胸がざわついた。
息が苦しいのは教会まで全力で走ったからに違いない。
神官長が部屋を出ていった。
サラは改めてニーナに魔法をかけて異常がないか確認する。しかし、何の異常もない。ではなぜあんなところで倒れていたのだろう。サラが首をひねっていると、コハクが前に進み出た。
「私がやりましょう」
コハクはニーナの額に手をかざす。目を閉じてしばらくすると、風が吹いたように金色の髪が舞い上がった。金と黒がいびつに絡み合った光がコハクの体を包み、波打っている。
なぜこの人が魔法を使っているの?
あれほど近くにいたのに、コハクの体からは人並み以上の魔力の流れを感じることはなかった。しかし、今流れている魔力からは、高位の神官かそれ以上の力を感じる。しかも見たことがない異様な色の光を放ちながら。
突然、ニーナが起き上がった。サラは声をかけようとしてその異常な様子に気が付く。ニーナは目を閉じたまま、口をぱくぱくと動かしていた。
「私はニーナ、ニーナ・マルシェ」
「あなたが言われた言葉を答えなさい」
コハクが問う。
「宰相が、教会から女の子を、連れていくのを、見たら、森に行きなさい」
下手な役者の台詞のように、ニーナはたどたどしく話す。
「森のはずれで、男が待っている」
金の髪が揺れている。魔法でニーナにかけられた暗示をたどっているようだ。
「行き先を、教えること」
そこまで言って、ニーナは口を閉ざした。
コハクが指を鳴らす。ニーナはばたりと音をたてて寝台に崩れ落ちた。
「暗示は解きました。今後彼女が同じ術にかかることはないでしょう」
額に汗を浮かべてコハクが言った。
魔法の痕跡のない暗示。これがコルテアの秘術。
コハクはサラにも見抜けなかった術を察知して、解除まで行ってみせた。
「コハクさまも魔法をお使いになるのですね」
「貴女に比べれば微々たるものです。隠すつもりはありませんでしたが、使う機会もありませんでしたから」
張り付いたような笑顔でコハクが言う。
嘘だ、とすぐにわかった。
術の解除は、術に対する深い知識と相手を上回る魔力を持っていないと不可能だ。彼はこの知識をどこで得たのだろう。
しかもこの部屋に漂う魔力の痕跡から感じるのは,凄まじい悪意や憎悪といった負の感情で…。
この魔力に触れてはいけない。
本能が警告を鳴らしている。
サラは思わず後ずさった。コハクの冷めた瞳が怯んだように揺らいだ。
「んっ…」
その時、ニーナの声が聞こえ、サラは寝台に駆け寄る。
「大丈夫ですか?」
「どうしたんですか? そんな泣きそうな顔して」
「あなたは森の中で倒れていたのよ。一体何があったのですか?」
「うーん、サラ様をお見送りしたところまでは覚えてるんだけど、その後は…」
やはり記憶はない…か。
「きっと疲れていたのね。今日はこのまま休んでください」
「すいません。そうさせてもらいます」
ニーナは顔色もよく、操られていたときのことは一切覚えていないようだ。それなら本当のことは言わないでおこう。
安心したサラは、まだコハクにお礼を言っていないことに気が付いた。
どんな手段であれ、ニーナを助けてもらったのは事実だ。
しかし、振り向くとすでにコハクの姿は部屋から消えていた。
追いかけるほどの気力も体力も、もう残っていない。
諦めて自室に戻り、サラは鞄から二つの鉱石を取り出した。今度は柘榴石の方だけが真っ黒に変色していた。




