甘い氷菓子
「その花束は作るのにすごく時間がかかるの。だから、外でお茶でもして時間を潰してきてください」
明らかなマーニャの嘘に背中を押され、コハクはサラを連れて大通りを歩いていた。
「コハクさま…、あの…」
心配そうな顔でサラが見上げている。絡めていた指先が離れそうになり、コハクはそっと引き戻す。
「どこにいこうか考えていました。気になるものはありますか?」
「わたしはコハクさまとご一緒できるなら、どこでも…」
サラは頬を染めて微笑んだ。あまりのいじらしさに、コハクは今すぐ抱き締めたい衝動を理性で押さえつける。
しかし困ったことになった。どこに行けばいいのか皆目見当もつかない。
「…少し歩きましょうか」
「はい」
とりあえず若者向けの店が集まる辺りに向かうことにした。
控えめな花柄のドレスを着たサラは、どう見ても普通の可愛らしい女の子で、すれ違う男性が目で追ってしまうのは仕方がないと思う。しかし、この白い鞄に、国宝級の価値がある前司祭の研究書と、司祭の石をあしらった杖が入っていることを知っているのはコハクだけだ。
そんな自惚れにも似た感情を持たないと不安になってしまうくらい、コハクには気がかりなことがあった。
それは、マーニャがコハクのことを彼氏と言ったとき、サラが明らかに動揺していたこと。
あの執務室での一件以来、変化したのはお互いの呼び名だけだった。あのとき、口付けも抱擁もサラは受け入れてくれた。確かに気持ちは通じあったと思うのだが、それだけでは恋人という関係にはなっていないようだ。
そもそも、恋人とはどうやってなるものだろうか。
サラにとって自分はどんな存在なのだろう。
ようやく言い訳せずに手を繋げるようになったのに、次から次へとコハクの悩みは尽きない。
それに、あの黒い本の文章は…。
「コハクさま」
サラが不安そうな顔で見上げている。自分はまた怖い顔をしていたようだ。コハクは意識して笑顔を作る。
「どうしましたか?」
「あれは何のお店でしょうか」
サラが指差す先には、涼しげな氷が描かれた看板があった。
「氷菓子の店です。今年も暑くなってきましたからね」
「氷の、お菓子ですか?」
サラは可愛らしく首をかしげる。
「氷を削って、果物を煮詰めて作った蜜や蜂蜜などをかけた夏の食べ物です。ステイシアにはありませんでしたか?」
「はい。あちらは夏でも長袖で過ごせるくらいでしたから、氷を食べるなんて聞いたこともありません」
サラは興味深そうに看板を眺めている。
「では、ひとつ買ってみましょう」
そう言って笑いかけると、サラはコハクを見上げて嬉しそうに頷いた。
店の奥に積まれた果物を見て、サラは目を輝かせた。幸いなことに店内に他の客はおらず、サラは物珍しそうに氷菓子が出来上がる過程を眺めていた。
「これが苺の果実なのですね。実物を見るのは初めてです」
思いがけない言葉に、コハクも驚いたし、店員の女性はもっと驚いたようだった。初めて食べるならと、氷の上に果実の蜜を多めにかけてくれた。
「なんてきれいなの。砕いた水晶みたい…」
サラはうっとりと出来上がった氷菓子を眺めていた。このまま店内で食べることもできるが、せっかくならサラとふたりきりになれる場所に行きたいところだ。
店を出て周囲を見渡すと、近くの木陰に置かれた長椅子が目に入った。あの裏なら道路からは死角になっているし、先程から鬱陶しく飛び回っている雀も易々と近付けないだろう。
コハクは先に長椅子に腰かけた。サラの肩を抱き、道路からの角度を計算しながら木の影で体を寄せる。
頭から外套を外すと、サラが乱れた髪を整えてくれた。そんな些細なことで幸せを感じられるなんて、サラと出会う前の自分には想像もつかなかっただろう。
「いただきます」
サラは行儀よく挨拶をして、氷を一匙口に入れた。
「あっ」
上ずった声を出して、サラは目を丸くした。その顔のままコハクを見上げて、ふわりと微笑む。
「もう溶けてしまいました」
「お味はいかがですか?」
「とても甘くて、とっても美味しいです」
砂糖菓子のように甘い笑顔でサラは答えた。
この笑顔を見られただけで、ここに来て良かったと思える。
氷菓子は、聖都では夏になると家庭でも作られるくらいありふれた食べ物で、この歳でこんなに喜んでいるのはサラくらいだろう。
「早くしないと溶けてしまいますよ」
「はいっ」
にこにこと器を眺めていたサラは、慌てて匙を取って氷を口に運ぶ。幸せそうに氷菓子を食べる姿を見ていると、こちらまで幸せな気持ちになってくるから不思議だ。
突然、サラが「あっ」と声を上げた。
「いけない。わたし、お代を…」
「結構ですよ」
「駄目です。今日はわたしの用事にお付き合いいただいているのですから」
「私は十分すぎる見返りをいただいています」
大切なノキアの研究書を一緒に読ませてもらったこと。心置きなく手を繋いで歩けたこと。幸せそうに氷菓子を食べる姿を見られたこと。
ひとつひとつの出来事がコハクの胸を幸福で満たしていく。
「ですが…」
「では、私にも一口いただけますか?」
サラの顔が明るくなった。
「もちろんです。もうひとつ匙をお借りしてきます」
「いいえ。これがいいです」
「えっ?」
コハクはサラの手に自分の手を添える。
「貴女さえよければ」
サラは真っ赤な顔で首を縦に振った。
震える手で氷菓子を一匙すくい、ゆっくりとコハクに差し出す。
甘酸っぱい苺の味が、口の中で溶けて消えた。
「甘い…ですね」
彼女は小さく頷いた。
「ありがとうございます」
「こちらこそ…」
噛み合わない会話を交わした後、サラは無言で氷菓子を口に運び続けた。小さな耳が赤く染まっている。
愛らしいその姿をずっと眺めていられたら、どんなに幸せだろうか。今度は、サラが食べたことのない菓子を見つけに街を歩くのも悪くないだろう。
「ごちそうさまでした」
空になった器を置いて、サラが言った。
可愛らしく微笑む小さな唇が、苺の蜜で赤く染まっている。
欲しい、と思った。
「サラ」
「はい」
彼女がこちらを向いた瞬間に、コハクはそっと唇を重ねる。
「んっ」
瞬きの合間くらい短い時間の後。
「苺の蜜がついていました」
唇を離すと、サラは呆けたような顔でコハクを見つめていた。
「ありがとう…ございます」
サラが呟く。
「やっぱり甘いですね」
「ええ。とても…」
少し冷えた体を抱き寄せ、冷たい指先を包み込むように握る。サラはうっすらと微笑んで目を閉じた。
これでもまだ恋人とは言えないのか、コハクにはわからない。




