隠し事
夜、城に戻ったコハクは自室の寝台に倒れこんだ。
明かりもつけずに、薄暗い部屋の天井をぼんやりと眺める。
たまらなく腹立たしいのは、あまりにもふがいない自分自身への嫌悪感からだろう。
一方的に守られる側だと思っていたサラが、自分の助けなど必要ないと気が付いて、勝手に失望している。
しかも卑怯な言い訳や立場を利用してきた結果、自立していくサラが義務感だけの優しさなど必要ないと言うのは当然だ。彼女には用事がなくても会いに来いと言ったのに、自分は一度も能動的に動いていないのだ。
本当は理由などない。ただ会いたくて、触れたかった。
あのとき、そう言えば良かった。でも…。
マーニャがマリアの話をしようとするのを遮った時、サラは眉ひとつ動かさなかったし、話を聞く気はないと暗に言われて、彼女からこちらに歩み寄ることはないとわかった。
もっと近付きたいのに、すべてを知られるのが怖い。彼女に拒否されるのはもっと怖い。
なんて自分は臆病なのだろう。
机の上の花束が視界に入った。マリアの墓前でサラの話をしようと思い、選んでもらった青い包みだ。
「マリア様、私はどうすればよいのでしょう」
すがるような問いかけは、闇に消える。
「私は少しも立派な人間ではありません」
コハクは完璧な宰相の姿を演じてきた。たとえ彼女と気持ちが通じあったとしても、彼女が愛するのは偽りの自分だ。
それではコハクの心は永遠に満たされない…。
眠気が襲ってきた。コハクは考えることをやめて、瞳を閉じた。
それから、どれくらい眠っていたのか。扉を叩く音でコハクは目を覚ました。
「兄様、まだ起きていらっしゃる?」
時計を見ると日付が変わる直前の時間だった。
「どうしましたか」
明かりをつけて扉を開けると、廊下に普段着のヒスイが立っていた。手に持った盆には小さな白い箱と茶器一式が乗っている。
「寝ていらしたの? 珍しいわね」
「久しぶりの随行で、少し疲れてしまいました」
コハクはヒスイを自室に招き入れた。
ヒスイは入り口横に置かれた花束の前で立ち止まる。
「きれい…。きっとマリア様も喜ばれるわ」
ヒスイは寝台横の丸机に盆を置き、椅子を引き寄せて腰を掛ける。コハクは寝台の縁に座った。
「花屋にはサラさんと行かれたの?」
「ええ。この包み紙を選んでもらいました」
「マーニャは喜んでいたでしょう」
「それはもう、何を勘違いしたのか大騒ぎでしたよ」
ヒスイは白い箱を開ける。中には苺が乗った生菓子が二つ入っていた。
「これ、今日のお土産。兄様が来ないから先にみんなで食べちゃったわ」
「ヒスイも?」
「もちろん食べたわよ。だからこれは二個目」
「こんな夜遅くに食べたら太りますよ」
「明日たくさん訓練するからいいのよ。本当に兄様は無神経ね」
「…痛感しているところです」
コハクが紅茶を淹れ、ヒスイが菓子を皿に乗せる。
「兄様、お茶を淹れるのが上手になったわね」
「司祭の受け売りですよ」
「もしかして、サラさんとうまくいかなかったの?」
「なぜわかるのですか」
「せっかく会えたのに、元気がないから」
「…そうですね」
夜の闇は人を素直にさせると誰かが言っていた。普段なら絶対にヒスイ相手にこんな話をすることはないのに、よっぽど自分は弱っているのだろう。
コハクは紅茶を口に含んだ。
「ずっと会いたいと思っていたのに、実際に会うとうまくいかないものですね」
「会えない時間が長すぎたのよ。だから勝手に想像だけが膨らんでいったの」
「そうかもしれません。最初はうまくいっていたと思うのですが、最後にはもう護衛など必要ないと言われました」
「あら、それは大変。嫌われちゃったかしら」
「私が義務でやっていると思っていたようです」
「本当は護衛なんかじゃないんだよーって、ちゃんと弁解した?」
「いいえ。私は彼女の理想を崩すわけにはいきませんから」
そう、彼女が求めるのは完璧な宰相としてのコハクだ。
「サラさんはどんな様子だったの?」
「いつもと同じです。年相応のかわいらしい姿をのぞかせる一方で、常に冷静で物事を達観視しているような感じでした」
ヒスイはフォークで苺を刺して、ぱくりと口に入れた。
「いつも冷静なんて司祭の職に相応しくていいじゃない」
「そうですね、彼女はとても立派になりました」
「それの何が不満なの?」
苺にクリームを絡めながらヒスイが言う。コハクは紅茶を飲もうとして器が空になっていることに気付く。
「私はずっと彼女に頼られる存在でありたいと思っていました。しかしたった数週間で彼女は司祭としてやっていけるだけの力や技術を身に付けつつあります。私など必要ないくらいに」
「すっごくがんばったのね。それは認めなきゃ」
「わかっています。ですが、彼女に必要とされなくなったら、私はどうすれば彼女の側にいることができるのでしょう」
コハクは空の器を机に置いた。次はどんな言い訳をすればいいのかわからないのだ。
「側にいたいって言えばいいじゃない」
「言えません。私はまだ彼女に多くの事を隠しています」
「隠し事?」
「マリア様のことも、コルテアのことも。彼女は話さなくてもかまわないと言っていました」
「兄様が話したくなったら話せばいいのよ。聞かずにいてくれるなんて親切だわ」
「本当の事を話して嫌われたら、二度と側にはいられません」
ヒスイはコハクの皿から苺を一つ取って口に入れる。
「兄様は秘密が多すぎるのよ。まぁ、私は赤の他人同士なんだから隠し事のひとつやふたつあってもいいと思うけど」
「私は怖いのです。彼女が本当は何を考えているのかわからないから…」
「当たり前じゃない。サラさんは兄様の恋人でも何でもないんだから。何でもない人に本音なんかばらすわけないでしょ。それはお互い様よ」
ヒスイは、コハクの皿を奪い取った。
「見守るなんて格好いいこと言ってたけど、兄様は自分以外の男がサラさんの隣にいることに我慢できるかしら」
「…正直、我慢できないと思います」
いくら綺麗事を重ねても、これは本音だ。
「振られたら慰めてあげるから、まずはちゃんと話して仲直りしてよね」
「…善処します」
ヒスイはコハクの分まで菓子を平らげると、食器を持って出ていった。
次の機会は十日後に訪れる。
はたして、どのような顔で彼女に会えばいいのだろう。




