あの日の真実
机の上には水晶を加工した瓶が五つ並んでいる。
「これが聖水です」
ここは教会の応接室。
サラの正面に座ったヒスイは、難しい顔で瓶を凝視していた。
「これをひとつの魔道具につき、ひとつずつかけてください。できれば明後日までにお願いします」
瓶には聖水の劣化を防ぐ紋様が刻まれている。しかし、その効果は永続的なものではない。
「何か気を付けることはあるかしら」
「少しずつゆっくりかけてくだされば」
「一気にかけちゃダメ?」
「あまりこぼれてしまうと、効果が薄れると思います」
サラの言葉を聞いて、考えるそぶりを見せていたヒスイは、わざとらしく手を叩いた。
「私に向いていないことがよくわかったわ。セシルにやらせましょう」
どうやらヒスイは細かい作業があまり好きではないようだ。それとは対照的に、セシルは細かいところまでよく気が利く性格のように思えた。確かに彼の方が適任のようだ。
「その瓶をかざせば祠の扉が開きます。魔道具の本来の色は無色透明です。変化がありましたら、お手数ですがご連絡ください」
サラは、割れないように聖水の瓶をひとつずつ布でくるんだ。
「次はいつ城に来るの?」
聖水を袋にしまいながら、ヒスイが尋ねる。
「二週間後に、結晶の状態を見に行こうと思っています」
「じゃあセシルを迎えにいかせるわ」
「ひとりで大丈夫ですよ」
「んー。そういう訳にはいかないのよ」
ヒスイは口元に指をあて、考え込む仕草を見せた。金色の髪が一房、頬にかかった。
そこにコハクの面影が重なり、胸が痛くなる。
「コルテアの残党の動きが不透明でね。念のためサラさんが行き来する際には護衛をつけることになっているの」
「もしかして、先日の帰り道は…」
セシルはともかく、強引すぎるコハクからの誘いはそのためだったのか。
手を繋いで歩いたことや、街での記憶が甦ってくる。
「兄様、不自然だったでしょ。サラさんに余計な心配をかけたくなかったのね」
「そうですね。道理で…」
やはりコハクは仕事としてサラに付き添ってくれたのだ。
そうでなければ、あんなに素敵な方と街を歩く機会なんてサラに訪れるわけがない。手を繋いだのだって、護衛のためだとわかれば納得できる。
それなのに、自分は何を勘違いして…。
サラの心に暗い影が広がっていく。
気になっていた事の理由がわかったのに、まだ胸のざわつきが収まらない。後悔ばかりが浮かんでくる。
「わたし、護衛のためだとわかっていたら、あんなわがままを言いませんでした」
サラの様子がおかしいことに気が付いたのか、ヒスイは立ち上がってサラの肩に手を置いた。心配そうに見つめる瞳の色は兄と同じ深い青だった。
「何かあったの? 兄様に何かひどいことされた?」
サラは首を振る。
「違います。わたしが調子に乗ってしまったせいで、宰相さまの貴重なお時間を無駄にしてしまいました」
「どういうこと?」
「お忙しいのにわたしのお買い物に…」
「買い物?」
「はい」
「…ちょっと聞いていた話とは違うんだけど。あなたたち、帰り道に何してたの?」
呆れたようなヒスイの声に、サラは顔を上げた。
「ヒスイさまが仰ったように、宰相さまはお城から帰る馬車に付き添ってくださって」
「そうそう、それは正解」
「途中で、宰相さまが若い女性の多い店にお一人で入るのは勇気がいると仰られて、ヒスイさまに頼まれたというお買い物に、ご一緒させていただきました」
「ほぉ。それから?」
「その後、わたしが行きたかったお店に案内してくださって」
「あら、どこに行ったのかしら」
「魔道具街の薬草のお店です。結構時間もかかったのに、はぐれないようにと、恐れ多くも手まで繋いでくださいました」
「手? 手ってこの手?」
ヒスイが両手をひらひらさせるので、サラは軽く頷いた。
「きっと宰相さまのことですから、直接教会に向かわない方がいいと判断されたのですよね。わたしを心配させないような理由を考えて…」
そう考えればすべて合点がいくというものだ。
「…まぁ、最後まで話を聞きましょうか」
「お店を出たところで夕方になりましたので、教会まで送っていただきました」
「おわり?」
「はい」
サラが説明すると、ヒスイは頭を抱えてうなだれた。
やはり、呆れられているのだ。
…泣きたくなってきた。
「サラさん安心して。それは全然わがままじゃないわ。むしろ兄の方がわがままよ」
上から降ってきたヒスイの声に、サラは顔を上げた。
ヒスイはコハクとよく似た穏やかな笑みを浮かべていた。
「どういうことでしょう」
「私が兄にお使いを頼んだのは本当のことよ。でもね、そんなのはサラさんを送った帰りに行けばよかったわけだし、あの人は周囲の目を気にするような性格じゃないわ」
「ですが、宰相さまは街に…」
「あの日、教会に向かってはいけない理由なんかなかったのよ」
「えっ?」
「私はこの国の警備の責任者よ。聖教会の近くで不審者の情報があったらすぐに私の耳に入るから」
「では、どうして…」
サラは頭が真っ白になった。お使いを頼まれたのは真実で、だけど、サラが行く必要はなくて、じゃあ、なぜ…。
「兄があなたと街に行きたかったのよ。あなたはそれに付き合わされただけ。気にすることないわよ」
「どうして、わたしが…」
「それは私が言うことではないわ」
「…ごめんなさい」
「あなたは謝らなくてよろしい。…それにしても本当に兄様って…、はぁ…」
ヒスイは大きなため息をついて立ち上がった。そしてサラの隣に座り直し、顔を覗きこむ。
「サラさん、兄と出掛けたのは嫌じゃなかった?」
「いいえ。とても楽しかったです」
「それはよかったわ。また一緒に出掛けてあげてね」
「そんな、恐れ多いことを…」
「いいからいいから」
恐る恐る頷くと、ヒスイは満足そうに笑った。
「それから、護衛の必要がなくても手を繋いでくれるかしら」
「それは…」
必要がなくても…。
大きくて暖かいコハクの手のひら。
サラは、あんなに安心できる手を他に知らない。
また触れてもいいのかな…。
「…はい」
今度は声に出して返事をする。
ヒスイは再び満足そうに笑って立ち上がった。
「じゃあ、またね」
聖水が入った大きな袋を軽々と担ぎ、ヒスイは笑顔で帰っていった。
一人残された部屋の中で、サラはヒスイの言葉を思い出す。
…兄があなたと街に行きたかったのよ。
「あ…」
それって、まさか…。
一瞬で体が熱を持つ。
わたしは、夢を見てもいいのだろうか…。




