夕立のあと
窓の外では激しい雨が降っている。通り雨だとわかっていても、いつ止むのか不安になるような降り方だった。
彼女が城に来たことはセシルからの報告で知っていた。彼女が望むならすぐにでも会うつもりでいたが、彼女が選んだのは会わないという選択肢だった。
「そんなに落ち込まなくても、またすぐに会えるよ」
書類に目を通しながらアレクが言った。
「落ち込んでなどいません。少し…驚いただけです」
署名が済んだ書類を整理しながらコハクは答える。
まさか廊下にサラがいるとは思わなかった。使用人の列の中に青い神官服を見つけたときは幻かと思ったくらいだ。
触れられるほどの距離まで近付いたところで、サラの肩が震えていることに気が付いた。初めて出会った日の事を思い出して、コハクは声をかけることができなかった。
…会いたくないのだとわかった。
「彼女、厨房のおばちゃんに捕まってたね」
「はい。大きな袋を渡されていました」
「きっといつものお菓子だよ」
「そうでしょうね」
コハクは苦笑した。厨房係の女性は大変な世話焼きで、どんな役職であろうと気になった相手に大量の菓子を渡すことで有名だった。おそらく華奢なサラは痩せすぎと判断されたのであろう。
困ったような顔で袋を受け取るサラがかわいらしかった。
遠くから眺めることしかできなかったが、一瞬でも姿を見ることができたのだから、今日はそれでよしとしよう。
コハクは手元の資料に目を落とした。その中に気になる文章を発見し、アレクに声をかける。
「陛下、東の川で身元不明の若い女性の遺体が見つかりました」
アレクが顔を上げた。
「状況は? …って、聞くまでもないか」
「今までと同様です。足首に蛇に噛まれた跡があり、頭部が…」
「無くなっていた…、でしょ?」
「仰るとおりです」
アレクは筆記具を置いて宙を仰ぐ。
聖都ではこの数年間、半年に一度、同じ人物による犯行と思われる女性の遺体が見つかっていた。死因は蛇の毒によるもので、犯人は被害者の頭部を持ち去っていた。
不思議なのは被害者の身元で、行方不明の届けが出されるのは決まって次の被害者が出てからだった。
身体的な特徴から、半年前に発見された遺体に間違いないのだが、親族は最近まで娘は生きていたと言い張る。直接会っていたから間違えるはずがないと言うのだ。しかも、遺体はすでに埋葬されているので、詳しく調べ直すこともできない。
「これからしばらくは、行方不明者の届けに注意してもらおう」
「はい。伝えておきます」
異様な趣味をもった人物による犯行だと、どこかの新聞が書いていたが、どうもしっくりこない。いずれにしろ次の犯行が予測される時期に街の警備を増やすこと、若い女性に注意喚起をすることくらいし対応策がない。おどろくほど手がかりがないのだ。
コハクが歯がゆさを流し込むように紅茶を飲み干したとき、外から扉を叩く音が聞こえた。
「ただいま戻りました」
セシルが帰ってきた。
きっちりと畳んだローブを膝にのせ、セシルは相変わらず穏やかな笑みを浮かべていた。
そういえばコハクは彼が怒った姿を見たことがない。ヒスイがどんなに無理難題を押し付けても、彼はいつも穏やかに笑っていた。
「教会まで司祭様をお送りしてきました」
「…そうですか。お疲れさまです」
セシルは、尾行や不審者は見あたらなかったと型通りの報告をした。コハクは書類を綴じながら労いの声をかける。ところが用件が済んだはずのセシルが立ち上がる気配がない。
「あの…司祭様から宰相閣下に伝言があるのですが…」
手元が狂い、コハクは書類の束を床に落としてしまった。
「…というわけで、魔道具における魔力の消費が激しいので、それを補うための聖水をお作りになられるそうです。週に一度、どなたかに取りに来ていただけると助かるとのことです」
セシルは紙に書いた文章を読み上げた。仕事に関する内容だったことに、少しだけ落胆している自分が腹立たしい。顔には出ていないと思うが、知らず知らずのうちに公私混同をしてしまっているようだ。
自分の立場を忘れるなと、肝に命じる。
「わかりました。ヒスイに行ってもらいましょう」
ヒスイならサラと打ち解けているようだし、自分よりも適任だろう。
「それから…まだ…」
「まだ、何かあるのですか?」
「はい。司祭様のお言葉をそのままお伝えしますから、お気を悪くなさらないでください」
「…わかりました」
こちらの気分を悪くするようなことを、サラが言うとは思えないのだが…。
セシルは背筋を伸ばし、目を閉じた。
「お姿を拝見できて嬉しかったです。次にお会いできる日を楽しみにしております。以上です」
「それだけ、ですか」
「はい。それだけです」
執務室に何とも言えない空気が流れた。
「完全に社交辞令だね」
「社交辞令ですね」
アレクとセシルは顔を見合わせてため息をついた。しかし、コハクの印象は彼らとは違っていた。彼女は思ってもいないことは口にしないはずだ。
それに、今日はコハクに会いたくなかったようだが、それだけで嫌われたとも思えなかった。
遠くからコハクを見つめるサラの瞳は、寂しそうな影をちらつかせていて、とても自分を嫌っているようには見えなかったのだ。彼女は唇を固く結んで、何かに耐えているようにも見えた。
理由はわからないが、その原因を取り除くことができれば、きっと…。
気の毒そうな顔でこちらを見ている二人を無視して、コハクは窓辺に立った。
夕立はいつのまにか過ぎ去っていて、東の空にはきれいな虹がかかっていた。どこかで彼女もこの虹を見ているのだろうか。




