すれちがい
身分証と通行証を見せると、警備の兵士たちの間に動揺が走った。しばらく待つように言われたので、サラは部屋の隅に置かれた椅子に座って窓から外を眺めていた。
きっと証明書が本物かどうか確かめているのだ。いちおう青い神官服を着ているのだが、誰にも連絡せずに城まで来てしまったし、中に入れてもらえるのか不安になる。
でも、今日は結界がきちんと張られているか確認するだけで、直接触れて確認する魔道具も一つだけだ。前司祭だって、一人で登城していたと聞いている。いつまでも人に頼るわけにはいかない。
「お待たせしました。確認が取れました」
サラは戻ってきた兵士に笑顔で答える。これでようやく城へ続く橋を渡ることができる。
いつもは城から迎えの馬車が来ていたので、歩いて向かうのは初めてだ。
橋を渡りはじめてすぐに、サラは自分の張った結界を察知する。どうやら正常に作動しているようだ。
あとは近くの魔道具で魔力の残りを確認するだけだ。すでに城の地図は頭に入っているし、コハクがいないから遠回りする必要もない。一時間もあれば作業は終了するだろう。
手をかざすと、小さな石の扉は音もなく閉じた。
思っていたよりも魔道具に残っていた魔力が少なかった。サラは鞄から手帳を取り出して、時間経過と魔力の残量を計算する。今の傾向では、二週間に一度は魔力を補給する必要がありそうだ。
「司祭様」
聞き覚えのある声に振り向くと、軽鎧をつけたセシルが立っていた。
「かわいらしいお嬢さんが、神官の身分証と陛下の発行された通行証を持っていらしたと連絡がありまして、私が確認をさせていただきました」
「余計なお手間をとらせてしまって申し訳ありません」
「いいえ。司祭様は正式な証明書をお持ちでしたが、そのお歳で見習いではない神官というのは珍しいのです。疑うのが警備の仕事ですから、どうかお気を悪くなさらないでください」
セシルは胸に手をあてて一礼した。気を悪くするも何も、サラが神官に見えないことが原因では納得せざるを得ない。
「ご連絡をいただければ、いつでも教会までお迎えにあがります。そうすれば司祭様をお待たせすることなく検問を通過できますからね」
「申し訳ありません。結界を確認するだけでしたから、皆様のお手をわずらわせるほどではないかと…」
「そういうことでしたか。司祭様のことですから、何か事情があると思っていましたよ」
セシルはいつもと同じ、人の良さそうな笑みを浮かべた。次からは事前に連絡した方が迷惑がかからないようだ。
「では、宰相閣下もご存知ないのですか」
胸がきゅっと締め付けられるような感じがした。
「…何をですか?」
「司祭様がいらしていることです」
「いえ、お伝えしておりませんが、必要でしたか?」
サラが答えると、セシルは額に手をあててため息をついた。
気まずさもあったのだが、本当に必要ないと思ったのだ。…もしかして、宰相の許可なく魔道具を触ってはいけなかったのだろうか。
「ごめんなさい。わたし、勝手に…」
「司祭様のことではありません。ただ、宰相閣下がお気の毒で…」
「何かあったのですか?」
「いいえ、こちらの話です」
きっとサラには話せないような事情があるのだろう。あの人はこの国を動かす立場の人だから。
サラは立ち上がり、服の裾に付いた砂を払った。
「結界の確認も終わりましたし、わたしはこれで帰ります」
「宰相閣下にはお会いにならないのですか?」
「お忙しいでしょうし、特にお話しすることもありませんから」
それに用事もないのに気軽に会えるような相手ではない。
サラの気まずそうな様子を察してくれたのか、セシルは穏やかに微笑んで頷いてくれた。
「…承知しました。では、帰りの馬車を手配しますね」
「そんな…、結構です」
しかしセシルは笑顔で首を振る。
「空を見てください。夕立が来ます」
「あ…」
天高く積み上げたような白い雲。北国ではめったに見られない、にわか雨の前兆だ。
「大切な司祭様を雨に濡らしてしまうと、私が宰相閣下にお叱りを受けます。どうかご了承ください」
穏やかな顔立ちのセシルが困った顔をすると、本当に申し訳ない気持ちになる。この城の人は相手に否と言わせない話術を持っているようだ。
「…わかりました。よろしくお願いします」
サラは両手を揃えて一礼した。
廊下の角を曲がると、何やら見覚えのある光景に出くわした。
長い廊下の両側に、兵士や女中、その他さまざまな服装の人々が貼り付くように立っている。これは、もしかして…。
「お嬢さん、早くこっちへおいで」
突然、年配の女性に話しかけられた。サラは言われるがままに女性の隣に立つ。
「奥を見てごらん。すぐに陛下がここを通られるからね。道をあけて礼をするんだよ」
「はい」
廊下の奥からこちらに向かう人影が見える。一人は青い髪で、もう一人は金色の髪…。あれは間違いなく…。
「ほら、頭を下げて」
後頭部を押されたサラは勢いよく下を向く。
聞き覚えのある声が近付いてくる。
「…じゃあ、あとは君に任せるよ」
「それで、この後のご予定ですが…」
心臓が痛いくらいに早鐘を打つ。別に悪いことをしているわけでもないのに、すごく後ろめたい気持ちでいっぱいになる。
「西の使者が…」
声が途切れた。すぐ近く、手を伸ばせば届きそうな距離でコハクが立ち止まったのがわかった。
どうしよう。声をかけられたら何て返せばいいのだろう。
…お願いだから、わたしにかまわないで。
時間にすればほんの数秒の後。
「どうしたの?」
「いいえ、何でもありません」
アレクの声がして、二人の足音は遠ざかっていった。
「もう終わったよ」
背中を叩かれて、ようやくサラは顔を上げる。手のひらが汗で湿って気持ち悪い。
「どうかしたのかい? 顔色が悪いよ」
「こういうことは初めてで、緊張してしまいました」
「お二人とも優しい方だから、多少の粗相は大丈夫よ。それよりも…」
いきなり女性はサラの腕を掴んだ。
「なんだいこの細い腕は」
「えっ?」
「お嬢さん、教会の子だね。勉強で忙しいのはわかるけど、もっと食べないと大きくならないよ」
「えっと、わたしは…」
「ちょっと待っていなさい」
ばたばたと走っていく女性を目で追っていくと、長い廊下の一番奥で立ち止まっているコハクの姿が見えた。
コハクは、年配の男性と話すアレクの後ろに付き添っていた。
…会いたくないわけではないのです。
心の中で語りかけたそのとき、コハクが振り返った。
目が合った…気がした。
無表情なはずの宰相が、憂いを帯びた瞳でこちらを見つめているように見えるのは…、きっとサラの見間違いだ。その口元が緩んだように見えるのも、うっすらと浮かんだ微笑みも、すべてサラの見間違いだ。
そうでなければ困るのだ。そうでなければ…。
「待たせたね」
大きな声が聞こえた。振り向くと先程の女性が大きな紙袋を持って立っていた。
「これを持って行きなさい」
押し付けるように渡された紙袋を、サラは両手で抱きかかえた。
「ありがとうございます」
「厨房に来たらいつでも分けてあげるからね。勉強がんばりなよ」
「は…、はい」
大股で去っていく女性を見送ってから、紙袋を開ける。そこには執務室で見たことがある菓子と同じものが山のように入っていた。
もう一度廊下の奥を見ると、すでにコハクの姿は消えていた。




