司祭の日常
朝の祈りを終えたサラは、教会の裏手にある井戸で水を汲んでいた。汲んだ水は浄化の魔法をかけた後、薬や聖水に加工する。サラは水を入れて重くなった桶を抱えて、一人来た道を戻る。
心地よい風が吹いた。木々が揺れる。
サラは目を閉じて、森のざわめきに耳を澄ませた。
城下町に行ってから三日が経った。
司祭といっても、朝の祈りを捧げた後の仕事は、特別な儀式や王家からの依頼がなければ他の神官とさほど変わらない。ただ、サラには神官と違って固定の仕事はなく、人手が少ない所やサラの力を必要とする所から依頼されて手伝うことが多い。
昨日は、大怪我をして治療院に運び込まれた人の処置に駆り出された。偶然だが、買ったばかりの薬草が役に立った。
「宰相さま…」
あの日の事を思い出すと複雑な気持ちになる。
繋いだ手から伝わってきたコハクの体温が気持ちよくて、身の程をわきまえないで、わがままを言いそうになった。しかし、華やかな世界で思い知った自分の惨めさが、サラを引き留めた。
どうしてこんなに優しくしてくれるのだろう。
初めて出会ったときから、ずっと彼は優しかった。
それはサラがこの国に必要な人材であるからだと思っていた。でも、それだけで手を繋いで街を歩いたりするのだろうか。
そういえば、副団長は馬車を乗り降りするとき、手を取って支えてくれた。お城の人たちが女性を案内するときの作法のようなものだろうか。
サラは訳がわからなくなってきた。
しかし、一つだけ明確なことは、立場をわきまえずに本気になると辛い目に遭うということ。だから自分の方から夢のような時間を終わらせたのだ。
夢の終わりは必ずしも幸福だとは限らない。
「サラ様ー」
遠くでニーナが呼んでいる。
サラは零れそうになる涙を拭うと、桶を抱えて歩き出した。
今日はニーナに魔法の基礎を教える予定だ。そして空き時間ができたら、書物の解読を進めるつもりでいる。暗号鍵はわかっているのだが、その手順が複雑すぎてサラはかなり苦戦していた。コルテアの件もあるので、できるだけ早く終わらせたいのだが。
「魔法は、大きく分けて二種類に分かれるのはご存じですね」
自室にて、サラはニーナに魔法の基礎を説明する。
聖王国には国立の魔法学校は存在するが、魔力を持つ者だからといって強制的に入学させられるわけではない。人々は就きたい職業によって進路を選ぶ。育成機関がある職業もあれば、師弟制度をとっている職業もある。教会は神官の素質がある人々を受け入れて養成する機能を兼ね備えていた。
ニーナは教会の前で拾われた孤児だったが、治癒魔法に優れた才を見いだされ、司祭の身の回りの世話をしながら直接魔法を教わるという機会を与えられていた。
「一つは、効果がその場限りで終わるものです」
サラは水の入った容器をニーナに手渡した。指先から魔力を送り込む。しばらくして、中の水はすべて氷へと変化した。サラが得意な水の魔法だ。
「冷たい」
「怪我の治療なども同じです。魔力を送って物の状態を変化させます。魔力を止めると、物体の変化は自然の摂理に従います。氷は時間がたてば水に戻りますし、怪我は緩やかに治っていきます」
一般的な魔法といえばこちらを指す。もって生まれた素質によって使える種類には制限があり、サラが使用するのは水に関係する魔法だ。サラの場合、治癒魔法は体内の血液や水分を利用して効果を発揮させている。他に、植物でも空気でも、水分さえあればある程度は思い通りに変化させることができる。これらはすべて自分で編み出した方法だ。
「大切なのは、自分の資質を理解して、どう使えば思い通りの効果を発揮できるか想像することです。その想像を魔力に乗せて対象に送り込めばいいのです」
「いっぱい練習しないと、ですね」
「それに、治癒魔法を使うためには人体の構造を知らなければなりません。知識も蓄えてくださいね」
「はぁ…、がんばります」
そう、ひたすら勉強して訓練するしかない。せっかく持って生まれた能力を活かせるかは自分の努力にかかっているのだ。
ニーナは怯んでいるが、サラはもう一つの魔法について説明を始める。
「もう一つは、術者がいなくても継続的に効果を発揮するものです。物体に刻んだ紋様に魔力を送り込んでおくことで、魔力が無くなるまで効果が続きます」
「サラ様が修理していたお城の魔道具はこっちですか」
「はい。水晶に紋様を刻んであります。だから魔力が無くなる前に補給します」
だから明後日には城に行かなければならない。考えただけで気が重い。
ニーナはふむふむと声を出して頷いていた。そして、学生のように手を挙げて質問をする。
「どうして水晶なんですか? 他の鉱物ではだめなんですか?」
「他の物でも可能ですが、水晶は他の鉱物より魔力の持ちが良いのと、透明だから変化が分かりやすいのでよく使われます」
サラは机の引き出しから親指の先くらいの水晶を取り出すと、簡単な紋様を思い浮かべ、水晶に刻み込んだ。
「これを床に落としてみてください。衝撃が加わると色が変わるようにしてあります」
ニーナは言われた通りに水晶を床に落とした。床に当たった瞬間、透明だった水晶は赤く変化した。
「すっごーい」
ニーナは歓声をあげて水晶を拾い上げ、興味深そうに観察している。
「あ、小さい模様がある」
「効果ごとに紋様の形は決まっています。これをいかに組み合わせるかが大切です。いちおう辞書もありますが、覚えておいた方が便利です」
机の上に愛用の辞書を置くと、ニーナが悲鳴をあげた。
「これ、サラ様は全部覚えてるんですか?」
「完璧にとは言えませんが、まぁ大体は…」
「そんなのあたしには無理ですぅ」
ニーナは悲鳴をあげた。
魔法学校の同級生たちも同じ事を言っていた。サラは新しい紋様の組み合わせを考えたり、考えた紋様が目的通りに発動するのを見るのが好きだった。読書代わりに辞書を読むこともあり、自然と内容を覚えていた。…やはり変わっているのだろうか。
「使えなくても知識があれば、いざというときに役に立つかもしれません」
サラは無意識に魔法学校の先生と同じ事を言っていた。
「それに、残された紋様を魔力を使って読み取ることで、術者の意図や状態を読み取ることができます」
サラの脳裏に、赤い目の雀蜂の姿が浮かんだ。
「ですが、この術は高度な上に危険を伴いますので初めのうちはやらない方がいいと思います」
「言われなくてもできませんよぉ」
「日々新しい紋様は研究されていますし、世の中にはわたしの知らない魔法もたくさんあります。一緒に勉強していきましょう」
「はいー。できるだけがんばりますぅ」
慰めるつもりで言ったのだが、ニーナは情けない声をあげて机に伏せてしまった。
教えるのって本当に難しい。
サラは魔法学校の先生たちの偉大さを再認識した。




