夕暮れの街
コハクは大通りを避け、一本脇の道を通ることにした。
尾行や監視をされている気配は感じないが、周囲を警戒するに越したことはない。
…暗示をかけられた人間か。
あの術を使える呪術師はもう存在しないはずだ。
しかし、サラの前で転んだ子どもとその母親、大きな荷物を持った男、すべてが疑わしく思えてしまった。
いずれは新しい司祭の存在は知られてしまう。このくだらない争いに巻き込まれていく彼女を、コハクは絶対に守らなければならない。
「コハクさま」
小さな声で呼ばれて隣を見ると、サラが怯えたような顔で見上げていた。
「お忙しいのでしたら、遠くまで連れていっていただかなくても、わたしは一人で…」
「そんなことはありませんよ。少し考え事をしていただけです」
そう答えた後、再びヒスイの言葉を思い出す。これからはサラの前では怖い顔とやらにならないよう気を付けなければ。
「妹以外の女性と出掛けるのは初めてなので、緊張しているのですよ」
言い訳じみたコハクの言葉に、サラは大きな目を見開いた。何回かまばたきをした後、目線を外して小さく笑みをもらす。
「本当にお上手ですね」
サラは信じていないようだが、必死で弁解しても無意味なことはわかっている。コハクにできるのは、繋いだ手に想いを乗せて強く握り直すことくらいだ。
二人は半時ほど歩いて街の外れの魔道具街に入った。視察のために通ったことはあるが、ゆっくりと見て歩くのは初めてだ。
枯れ葉しか置いていないように見える店、古びた本をうず高く積んでいる薄暗い店、石や鉱物が乱雑に置かれている店など、大通りの華やかな店とはまるで雰囲気が違う。人通りも少なく、特にサラのような若い娘は一人もいないように見えた。
「すごい。楽しそうなお店がいっぱいです」
そんな中、サラは目を輝かせて周囲を見回している。魔法に関わる者なら何時間でも楽しめる場所だという噂は、真実のようだ。
「気になる店がありましたら、どうぞご自由に行ってきてくださいね」
気を使って声をかけると、サラは笑顔で首を振った。
「今日は外から見るだけにして、次に来たときに入るお店の目星をつけておきます。いっぱいありすぎて日が暮れてしまいそうですから」
サラは、初めてヒスイを武器屋街に連れていったときと同じ事を言った。
気になるものをその場で確認せず後回しにするという感覚はコハクにはない。これがヒスイがよく言う女心というものか。しかし妹は一般的な女子とはかなり異なるはずだが、サラも似たような反応ということは…。
コハクが困惑していると、サラは繋いだ手にもう一方の手を重ねた。
「それに…、手を離すのがもったいないです」
サラは白い頬を薄紅色に染めて呟いた。
やはり自分は間違っていた。妹はこんなに可愛らしいことを絶対に言わないだろう。
「私もです」
コハクはその手を強く握り返す。
このまま目的地に着かなければいいのに…。
目的の店は、魔道具街のはずれにあった。魔導師だけでなく医療関係者なども訪れる、聖都で一番大きな薬草の専門店だ。
「さぁ、私の事は気にせず楽しんできてください」
「はい」
コハクは手を離した。
サラは笑顔で答えて店の奥に向かっていく。コハクもその後を追うことにした。
店内は思っていたよりも整理されていた。独特な香りが広がる室内には、天井にまで続く棚が整然と並び、そのひとつひとつに説明書きを附けられた木箱がぎっしりと収められていた。
サラは興味深そうに店内を見て回り、時折箱を取り出して中身を確認する。その姿は魔導師というより研究者のようだった。
サラが高い棚に手を伸ばした。小柄な体を精一杯伸ばしているが、あと少し届きそうで届かない。コハクは代わりに木箱を取り、手渡した。
「ありがとうございます」
サラは笑顔で受け取り、すぐに真剣な眼差しで中を確認し始めた。コハクも説明書きを覗き見たが、植物名以外、何について書かれているのか少しも理解できなかった。それをサラは心底楽しそうに読んでいる。
コハクはその姿を見て目を細める。
恥ずかしそうに手を繋いでいた姿と、今見ている研究者のような姿はまるで別人だ。その差異が彼女の魅力のひとつであるとコハクは改めて認識した。
他にはどのような姿があるのだろう。
店を出ると街は茜色に染まっていた。そろそろ日が暮れる。
「お待たせしました。すごく楽しかったです」
「喜んでいただけて良かったです」
「はい。ありがとうございます」
サラはコハクを見上げて笑った。最初の店で見せていた暗い顔が嘘のような明るい笑顔だった。ここに来て良かったと、心から思う。
「では、行きましょうか」
手を差し出すと、サラは微笑んでその手を取った。それはあまりにも自然な動作で。
もう少しだけ、側に…。
コハクは押さえきれない衝動にかられて、指先を絡めた。サラが驚いて顔を上げる。
「ご不快でしたら、仰ってください」
断りづらい、卑怯な言い方だ。
しばらく経って、サラは小さく首を振った。コハクはそれを確認してからサラの体を引き寄せる。離れないように強く手を握れば、自然と体の側面が密着する。
一方、サラはコハクを見上げたままの状態で固まっていた。
「やはり駄目、ですか?」
念押しのように尋ねると、もう一度サラは首を振った。夕陽が頬を真っ赤に染めている。
「では、教会までお送りします」
今度は小さく頷いた。二人は寄り添って歩き出した。
教会裏の通用口へ向かう森の小路は、静寂に包まれていた。魔道具街から教会までは、歩いても半時はかからない距離だ。もうすぐ裏門が見えてくるだろう。
「今日はありがとうございました」
サラが呟いた。
「聖都に来てから、こんなに楽しかったのは初めてです」
立ち止まって、見つめ合う。
「宰相さま」
元に戻った呼び方から、コハクは残された時間があとわずかであることを悟る。
もう少しこのままでいたい、とは言えなかった。
サラは手を離し、コハクの正面に立った。茶色の瞳がコハクをまっすぐに見つめている。
「わたし、精一杯努力して、早く宰相さまに認めていただけるような立派な司祭になります。できるだけご迷惑をおかけしないように頑張りますので、よろしくお願い致します」
落ち着いた声で一言ずつ区切るように言ってから、サラは深く頭を下げた。
風が木々を揺らす音が、やけに大きく聞こえた。
伸ばしかけた右手が、行き場をなくして宙を掴む。
コハクは眼鏡を外し、外套の頭巾を取った。
「期待していますよ。ファティマ司祭」
長い一日が終わった。




