初めてのお出かけ
聖王国の城下町は、サラの住んでいたステイシアの首都よりもはるかに栄えていた。大通りは人であふれていて、コハクに手を引いてもらっていなければ、すぐにはぐれていただろう。
これで平日の昼間だというのだから、週末はどうなってしまうのだろう。
大通りをしばらく歩き、目的の店に到着した。薄い黄色の外壁に、白いレースのような模様が描かれている。若い女の子に人気があるという焼菓子の店だ。白い木の扉をコハクが開けて、サラを通してくれる。魔法関係以外の店に入るのは何ヵ月ぶりだろうか。
店の中は外観よりももっと可愛らしく、子どもの頃にあこがれたおもちゃの町のお店やさんのようだった。
「ほら、男が一人で入る店ではないでしょう」
コハクが苦笑するのも納得できる。店内にいるのは若い女性か、恋人同士とおぼしき男女の組み合わせばかりだった。
「すぐに終わらせますね」
コハクは取り出した手帳を見て、目的のものを探している。サラは店内を見て、終わるのを待つことにした。
可愛い服や髪飾りなどで着飾った女の子たちが、楽しそうに商品を眺めている。サラと同年代らしき女の子はうっすらと化粧をして、恋人と腕を絡めていた。
これが、聖王国の首都の日常か…。
気が付くと、やけに冷めた目で少女たちを眺めている自分がいた。
自分にはあのような経験はない。生活に必要なもの以外を買うなんて発想はサラにはなかったし、式典以外の外出で着飾ることもなかった。
「さ…、コハクさま」
小さく呼ぶ声は店内の喧騒に掻き消されてしまう。仕方なくサラはコハクの袖を引いて振り向かせた。
「少し疲れたので外の椅子で休憩しています」
「お一人で大丈夫ですか?」
「はい。コハクさまはゆっくりお買い物をなさってください」
できるだけの笑顔で答え、サラは手を離した。
嘘をついてしまったことに少し胸が痛む。
「…わかりました」
コハクの返事を聞き終わると、すぐにサラは店の外に出た。店の前に置かれた椅子に座り、ため息をつく。
あの空間では、自分はあまりにも場違いだった。水色の飾り気のないドレスは、きっと彼女たちの寝巻きよりも質素だろう。
もちろん、着飾ることよりも司祭の仕事の方が大切なのは十分わかっている。それでも、最近は自分の地味さを思い知らされることが多すぎた。
サラはもう一度ため息をついた。
そのとき、サラの目の前で小さな男の子が転倒した。どうやら足元の段差に躓いたようだ。男の子はすぐに起き上がると、母親らしき女性にしがみついて大声で泣き出した。よく見ると、膝と手のひらから血が出ている。
「大丈夫ですか」
サラは立ち上がり、声をかけた。
サラは警戒する女性を刺激しないように、あえて離れた場所から男の子の怪我に魔法をかけることにした。手のひらから魔力を送れば、すぐに傷は消えていった。
男の子は傷のあった部分を見つめて呆然としている。
「治癒師の方だったのですね。ありがとうございます」
男の子を抱っこしたまま、女性は何度も頭を下げて立ち去った。
少し離れたところで、男の子がサラに手を振ってくれたので、サラも小さく手を振り返す。孤児院の弟たちを思い出して、少しだけ北の国が恋しくなった。
この街は華やかすぎる。この街にサラの居場所は見つかるのだろうか…。
「サラさん」
急に呼ばれて、サラは飛び上がるほど驚いた。
振り向くとコハクが立っていた。眼鏡と外套で表情はよくわからないが、口元には笑みが浮かんでいるように見える。
そのとき、サラは初めて名前で呼ばれたことに気が付いた。自然と胸の鼓動が早くなる。
「お待たせしました」
先程と同様に、コハクは手を差し出した。
その手を取ろうとして、サラは思い止まる。今、この手を重ねたら、胸の鼓動の早さに気付かれてしまうのではないか。それは、とても恥ずかしいことのように思えた。
伸ばしかけた手は、どうすれば良いのだろう。
「あっ」
ふいにその手を引かれて、サラはコハクの胸元に引き寄せられた。何が起きたか理解できず、頭が真っ白になる。
しばらくそのままの姿勢でいると、すぐ横を大きな荷物を抱えた男性が通りすぎていった。あのまま立っていたら、おそらくぶつかっていただろう。
「ありがとうございます」
小柄なサラの身長は、コハクの肩よりも低い。ほぼ真上を見てお礼を言うと、コハクは眼鏡の奥の目を細めた。繋いでいない方の手で、乱れたサラの髪を整える。
「次は貴女が行きたい場所にご案内します。どこがいいですか」
優しく囁きながら、コハクはサラの手を握り直した。頭の奥がしびれるような不思議な気分になってきた。
行きたい場所か…。
サラは聖都に来る道中でニーナから聞いた説明を思い出そうとする。しかしいくら考えても何も思い付かなかった。
「申し訳ありません。街に来るのは初めてで、どこに何があるのかよくわからないのです」
「いいえ、謝らないでください。女性が喜んでくださるような場所を存じ上げない私の方こそ、申し訳なく思います」
コハクは表情を変えずに言った。
これほど美しい人ならば、あえて女性が喜ぶ場所へ行く必要はないのだろう。だって何もしなくても女性の方から寄ってくるのだから。
「では、貴女が見たいものはありますか」
コハクは質問を変えた。何もない、と答えるわけにはいかないだろう。それに、こんなに素敵な人と行くべき場所ではないが、サラにはどうしても気になる店があったことを思い出した。
「わたし、薬草のお店に行ってみたいです」
「薬草、ですか」
コハクは唇に手をあて、考え込んでいる。やっぱり引かれてしまったか。
こういうとき普通の女の子が何と答えるのかサラにはわからないが、「薬草の店」が正解でないことだけはわかる。
「ごめんなさい。変なことを申し上げました」
「そんなことはありません。有名な店があるのですが少し遠いので、道順を考えていました。サラさんは長い距離を歩けますか?」
「はい、大丈夫です」
「では、疲れたらいつでも仰ってくださいね」
小さい子どもに話しかけるように、コハクの口調は優しい。
繋いだ手から感じる早すぎる鼓動は、本当に自分のものなのだろうか。




