繋いだ手
「あの蜂は、城内に侵入して無差別に人を襲うように術がかけられていました」
サラは落ち着いた声で言った。もう体は震えていない。
「そんな趣味の悪い術、絶対にコルテアの連中の仕業ね。他の死骸にも同じような紋様があったもの」
「術を読み取った結界が侵入を防いだようですね」
コハクは左手が不自然にならないように注意を払いながら、右手の指で地図をなぞった。サラは困ったような顔で地図を眺めている。
妹が小さい頃、母親を慕って泣く度に、コハクは手を繋いでなだめていた。先程のサラがあまりにも心細そうだったので、つい条件反射のように手を握ってしまったが、これで良かったのだろうか。サラの様子が落ち着いてきたので、嫌がられてはいないようだが…。
「この部分、丘の魔道具の近くに印が集中しています。人目につきにくい森側から狙ったのでしょう」
「兄様に言われてその辺りの警備を強化したけど、特に気になることはなかったわ」
「街にも不穏な動きはありませんでした」
「そうですか。魔道具の結界が修復されたことで、こちら側に力のある魔導師がいることに気付いたのかもしれません。今のうちに新しい結界を張り直しましょう」
コハクはサラの様子を確認した。青ざめていた顔色は、すでに元に戻っている。
小さな手に力が入り、サラは何かを決心するように小さく頷いた。
「新しい魔道具は、陛下のご依頼通りに、操作系の呪術に対する防御を強化してあります」
サラは淀みなく説明をはじめた。
「ですが、作っている途中で、侵入を防げないものがあることに気が付きました」
「そんなものあるの?」
ヒスイは首をかしげる。
「先ほどの雀蜂のように、意思を持たない生き物を操るためには体のどこかに術をかける紋様を刻まなければいけません。魔道具はその紋章を読み取って防ぐことができます。これは、虫や動物、意識のない人間や遺体の場合も同様です」
かわいらしい唇から紡ぎ出される物騒な単語にコハクは驚いたが、サラは顔色ひとつ変えることなく淡々と説明を続ける。
「結界は、人の悪意を読み取ることができますので、直接的な攻撃や、殺意を持った人間なども排除できます」
「そこまでできるのに完璧ではないの?」
「はい。もしも悪意を持たない侵入者がいたら…。これを排除する方法は思い付きませんでした」
「待って。侵入者って普通は悪意があるから入ってくるものよ」
ヒスイが声をあげる。セシルも横で頷いた。当然の反応だ。
さて、どう答えるか。コハクは黙ってサラの様子を伺う。
「ありますよ」
サラは断言した。まっすぐにヒスイの目を見据える。
「魔法で暗示をかけられた人間です」
コハクは繋いだ手を握りしめた。
やはり知っていたか…。
サラはこの情報をどこで入手したのだろう。そして、どこまで知っているのだろう。
「手元の書物に少しだけ載っていたのですが…」
コルテアの秘術。かなり特殊な魔法で、強い暗示をかけることにより、ある条件が揃った場合にのみ本人の意思とは関係なく勝手に発動すると言われている。暗示だから術を紋様にして刻む必要はない。非常に高度な呪術で、使える術者は限られている…。
「というわけで、術者の条件はわかりませんが、可能性は零ではないと思っただけです」
サラは小声で答え、ヒスイは難しい顔で頷いた。
そう、可能性は零ではない。ただ、秘術を使える術者の条件はかなり特殊で、存命する中でそれを満たす人物をコハクは知らなかった。
「それじゃあ城の入り口の警備をより厳重にするくらいしか対処の方法はないわねぇ」
「城内の兵士の配置も増やしましょう」
ヒスイとセシルが本当に納得したかどうかは不明だが、早速二人は先程の地図を指差して何やら相談をはじめた。後は任せれば良いだろう。
さて、次にやることは…。
「宰相さま」
小さな声で我に返る。
隣を見ると、サラが心配そうな顔で見上げていた。考え事をすると怖い顔になるとヒスイに言われたのを思い出した。
「あの呪術のことをご存じだとは思わなくて、少し驚いただけですよ」
精一杯優しく話しかけたつもりだが、どうだろうか。サラは心配そうな顔のまま、声をひそめてコハクに話しかける。
「ノキア様が遺された書物に、コルテアの術についての項目がありました。暗号で書かれているので、まだ全部は解読できていませんが…」
前司祭の書物。それならば秘術について触れられていても不思議ではない。
「わたし、残りの書物の解読をがんばります。術の仕組みがわかれば結界を強くできるかもしれません」
「くれぐれも体調に気をつけて、ご無理はなさらないでくださいね」
「はい。宰相さまも」
サラがふわりと微笑んだ。この少女の気遣いが建前だけのものではないことをコハクは知っている。
ローブの下の指先が熱を持った。今の自分は、もう怖い顔をしていないはずだ。
「兄様、私達は警備の責任者のところに行ってくるわね」
ヒスイとセシルが立ち上がった。コハクは座ったまま頷く。
扉に手をかけたヒスイが、急に振り返った。赤い唇を歪めて、意地の悪い笑みを浮かべる。
「じゃ、いろんな意味でお邪魔しました」
…もしかして気付いていたのだろうか。
コハクは二人が出ていった扉を呆然と見つめていた。




