呪術
執務室にやってきたヒスイとセシルは、大量の焼菓子が入った籠の底から、布に包まれた五個の塊を取り出した。
「厨房のおばちゃんに、みんなでお茶するからお菓子がほしいって言ったら、こんなにたくさんくれたのよ。折角だし、食べながら相談しましょ」
ヒスイの提案にセシルが立ち上がる。湯茶の準備をするならとサラも立ち上がったが、ヒスイに制された。
「サラさんは、この部屋に結界を張ってくれる?」
「はい」
ヒスイの意図するところを理解して、サラは鞄から杖を取り出した。部屋の四隅で杖を振り、簡単な結界を完成させる。こちらの音を外部に漏らさず、外部からの盗聴を防ぐ結界だ。
「杖の先についているのが、司祭の石?」
「はい」
「きれいな紫色がよく似合っているわ。ねぇ、兄様」
「そうですね」
コハクは美しい笑みを浮かべる。
笑っているようで笑っていない。何を考えているのかわからない。これが彼の宰相としての顔なのだろう。
先程、嬉しいと微笑んでくれたのはサラの見た幻ではないかと思ってしまうくらい、コハクは別人のような顔でサラの隣に座っていた。
「今日は陛下はいらっしゃらないの?」
「陛下は昨日から旧ウィンディア領に視察に行かれています。こちらのことは我々に任せるとのことです」
全員の前に紅茶の入った器を置いて、セシルが席に着いた。
「では、ここ数日で新しく得た情報を報告しましょう」
コハクは手帳を取り出し、国王からの指示、街と旧コルテア領に放っている諜報員からの報告などを説明し始めた。
あまりにも日常からかけ離れた話題や、慣れない国の耳慣れない地名に、サラは理解することを諦め、内容を覚えることに専念する。
ヒスイが何か質問し、コハクが答える。それをセシルが手帳に記録をしていく。おそらくいつもの会議風景なのだろう。
サラは三人のやり取りを眺めながら、ニーナが言っていた「雲の上の人たち」という言葉を思い出した。そして、自分がとても場違いな人間であると、改めて実感する。
「というわけで、残念ながら特に大きな収穫はありませんでした」
「次は私ね。セシル、あれを出して」
「はい」
セシルは机の上に大きな紙を広げた。どうやら、城とその周辺の地図らしい。赤や青の印が何ヵ所かについている。
「赤い印がついているのが動物、青い印が虫の死骸があった場所よ」
印は城の外壁に沿って点々と散らばっている。その線がちょうど結界の境目であることは、誰の目にも明らかだ。
次に、セシルは白い紙に包まれた物体を地図の上に置いた。
「司祭様に見ていただきたいものですが、あまり気分の良いものではありません。よろしいでしょうか」
「はい」
ぼんやりと地図を眺めていたサラは慌てて返事をした。これが何であろうと、断るわけにはいかない。
「では…」
セシルがゆっくりと紙を開くと、そこにあったのは黄色と黒の縞模様が特徴的な、大きな雀蜂の死骸だった。確かに世間では恐怖の対象だが、雀蜂は薬の材料にすることも多いのでさほど驚くような物ではない。
サラはもう少し観察しようと紙に手を伸ばした。セシルが気を効かせて紙を傾ける。
その勢いで、紙の上で雀蜂が転がった。
死骸の目がこちらを向く。
「ひっ…」
サラはとっさに口に手をあて、悲鳴をあげるのを堪えた。
黒いはずの雀蜂の目が深紅に染まり、通常の二倍ほどの大きさに膨れ上がっている。
病気だろうか。こんなものは初めて見た。
「サラさん、大丈夫?」
「大丈夫です」
サラは呼吸を整えてから、改めて雀蜂を観察する。
脚にも腹にも、特に異変は見られない。異常なほど赤い目にだけ、充血しているように黒い紋様がびっしりと浮かび上がっていた。
サラは恐る恐るその紋様に触れた。死んでいるとわかっていても、突然動き出すのではないかと思って躊躇してしまう。それでも指先から少しずつ魔力を送り、込められた術を読み取っていく。
初めて見る術だが、組み合わされた紋様の形を分析すると、脳を侵食し虫を操る呪術だと推測された。
「なんて禍々しい術なの…」
サラは思わず呟いた。
綿密に計算された紋様からは、術者の強い憎しみの感情や執念深さをうかがい知ることができた。この蜂は、城の敷地に入り込み、通りかかった人間を無差別に襲うような術をかけられていた。
サラは底知れぬ恐怖を感じた。体が小刻みに震え出した。これ以上踏み込んでは危険だと本能が警告している。でも、もう少し魔力を送れば、より多くの情報が得られるかもしれない。
額の汗を拭って、再び指先を雀蜂に向ける。蜂の目が、こちらを向いたような気がした。その目は次第に大きくなり、サラの視界を赤く染めて…。
「もう十分です」
急にコハクの声が響いて、目の前が白一色になった。意識が現実に戻り、サラは恐怖に飲まれそうになっていたことに気が付く。
見上げると、コハクがサラの上半身に覆い被さるようにしてローブを広げていた。視界を遮られたことで、集中が途切れたようだ。
目が合うとコハクは優しく微笑み、サラにだけ聞こえる大きさの声で、「よくがんばりましたね」と囁いてくれた。
体の震えが収まった。
「片付けました」
セシルの声がして、サラの視界も元に戻る。
「本当に大丈夫?」
ヒスイの問いに、サラは小さく頷いた。
隣に座り直したコハクは、また無表情な宰相の顔に戻っていたが、そのようなことはもう気にならない。
…右手が暖かい。
二人の間に乱雑に置かれたローブの下で、コハクがサラの手を握りしめていた。




