コハクの葛藤
アレクが戻ったという連絡を受けて、コハクは国王の執務室に向かった。どうやら騎士団から呼び出されて席を外していたらしい。アレクが直接出向くほどの用事とは何だろうか。
「あれ、ファティマ司祭はどうしたの? 送っていくはずだったじゃん」
「教会から迎えの方がいらしたので、その方とお帰りになりました」
サラからは怪我をしたことを教会には伝えないように頼まれた。帰りが遅いことを心配して迎えに来てくれた見習いの少女には、自分の手際が悪くて遅くなったと言うそうだ。
「そうか、残念だったね」
「何が残念なのですか」
「もっと一緒にいたかったなー、みたいな」
「そんなことは少しも考えていませんよ」
「なんだ。ずいぶん長い間話し込んでたから、いい感じになったのかなーって思ってさ」
アレクはにやにやと笑いながら言った。
あれだけ自分に怯えていた相手と、どうやったらいい感じとやらになれるのだ。アレクだって自分達のやり取りを至近距離で見ていたというのに。
「怪我の具合を聞いていただけです」
「そうそう、怪我はどうなった?」
「きれいに治っていましたよ。跡も残っていません」
「それは良かった。かわいい顔に傷が残ったらかわいそうだからね」
かわいい顔という言葉に、花を渡したときの嬉しそうな笑顔を思い出した。自然と動悸が激しくなる。
「どうしたの?」
「いいえ、何でもありません」
慌てて取り繕うと、アレクは意地の悪そうな笑みを浮かべていた。いつもすました顔で国民の前に立っているアレクが、ごく一部の人間の前でしか見せない顔だ。
「それはいいとして…」
「次は絶対送っていくんだよ」
「はいはいわかりました。そんなことより…」
コハクは目を閉じて大きく息を吸った。吐く息と共に雑念を追い払う。
頭の中が整理されたような気がする。
「あの連中が動き出しましたね」
コハクの言葉に、アレクの表情が落ち着いたものに変わる。
「間違いない。黒い服に赤い耳飾り、進化しない連中だ」
「あれを目印にして各地に散った仲間を見分けますから、変えることはできないのでしょう」
「皇帝の居場所もわかっているみたいだね」
「ええ。いつまでも隠し通せるわけはありませんから、想定内です」
「司祭が奴等の仲間で、これが罠である可能性は?」
「ないとは言い切れませんが、いずれにしろあの黒曜石が我々に対する宣戦布告であることは確かです」
コハクもその可能性は考えた。しかし、正統な司祭に指名されたサラが奴等の手先であるとは考えにくいし、演技ではあそこまでの怪我はしないだろう。
「さっき僕が出掛けていたのは、城の外壁に貼り付いていた呪具を見てほしいと言われたからなんだ」
「どのような呪具だったのですか」
「紋様を刻まれた犬、…いや、犬の頭。よくわからない言葉をしゃべってた」
「操作系の魔法でしょうか」
「触ったら消えちゃったから、どんな魔法かはわからないよ」
アレクはこの国で唯一の光魔法の使い手だ。呪いの道具などは触れるだけで浄化できるし、軽い攻撃魔法は彼に届く前に霧散する。それが、彼が正統な王族の血を引くことの証明でもある。
「司祭が言っていた、結界に弾かれた虫っていうのも怪しいね」
「普通の虫ならば弾かれないと仰っていました」
「それも奴等の仕業で間違いないか。それで、君はどうする?」
アレクは射るような眼差しでコハクを見た。
試されているのか、対応を聞かれているのか。彼の求める答えはどれだろう。
この国で自分のやるべきことは…。
「私のすべきことは以前と何も変わりません。滅びた国のことなどに興味はありませんから」
コハクの答えに、アレクは満足そうに頷いた。
「まずはヒスイに知らせよう。騎士団を再編成して、警備の強化と情報の収集を。一部の幹部を除いて、本当の理由は伏せておくこと。それから、新しい魔道具はいつ完成する?」
「未定です。材料の水晶が届き次第、作業に移るそうです」
「手配した店に宰相の名前で通達を出して、最優先で動いてもらおう。後の細かい段取りは、君に任せるよ」
「承知いたしました」
アレクは人が変わったようにてきぱきと指示を出す。即位して六年、立派な国王の顔になったとコハクは内心嬉しくなる。
「それで、ファティマ司祭のことだけど…」
「この件は折を見て伝えます」
「それもそうだけど。コハク、君は彼女をどう思う?」
「司祭としての重責をよく理解しておられると思います。判断も的確です。いずれ良い司祭になるでしょう」
あの短時間で国王を守る判断をして、実行する早さもある。方法は正しくないが優先順位は間違っていない。
しかし、アレクは不満そうに唇を尖らせた。
「違う違う。そういうのじゃないんだよ」
「ではどういうことでしょうか」
コハクが問うとアレクは大きくため息をついた。そしてコハクを指差してにやりと笑う。
「好きになっちゃったでしょ」
「はぁ?」
間の抜けた声が出た。この非常時に何を言い出すのだ。
「ヒスイが言ってたよ。コハクが血相を変えて詰所に来たと思ったら、一番腕の良い治癒師を選んで連れていったって」
「あいつ、余計なことを…」
後できつく説教をしなければ…。コハクは拳を握りしめた。
「司祭の話は済んだはずですが…」
「それで、夕方の執務室で長い時間何をしていたのかな」
「ですから、お怪我の具合を聞いていたと申し上げましたよ」
「他には? 絶対何かあったでしょ」
「何かって、紅茶を淹れていただいただけですよ」
「本当にそれだけ? つまんないなー」
「陛下っ」
ふざけはじめたアレクを、コハクは軽く睨む。立派な国王になったと一瞬でも思ってしまったことを後悔した。
「私は、一生を国家と王家に捧げると誓いました。余計な事を考えている暇はありません」
「ありがたいけど、別にいいんじゃないかなぁ」
「それに、私のような人間には、幸せになる資格なんてないのですよ」
ここに至るまでの様々な出来事が頭をよぎる。
あんなに清らかな少女に触れるには、この手は血に汚れすぎているのだ。
「そんなことないって。幸せになれって母さんも言ってたよ」
「マリア様は…」
心配そうに見つめるアレクに亡き王妃の面影を見いだして、コハクは何も言えなくなる。王妃は最期までコハクの身を案じてくれた。何度も繰り返し、幸せになれと言ってくれた…。
「陛下、私は…」
「まぁ、僕が口出しすることでもないか」
ぶっきらぼうに言って、アレクは立ち上がる。憂いを帯びた横顔は亡き王妃と瓜二つだ。
「今度こそ奴らを根絶やしにしよう。そうすればきっと君も先に進めるよ」
アレクはコハクの肩を叩く。どこかで王妃の声が聞こえた気がした。
「…はい」
アレクの自信とは裏腹に、コハクの心は複雑だった。




