最初の贈り物
執務室に戻るとアレクは席を外していた。自室に戻ろうかとも思ったが、サラの悲しそうな顔を思い出してしまい、どうしても足が向かなかった。
今日の自分はどうかしている。
あまりにも自分を省みないサラに対して、苛立ちを覚えたのは事実だ。それでも、あのような言い方をする必要はなかった。
今まで、アレクさえ傷つかなければ他の人間はどうなっても構わないと思っていた。それなのに、青白い顔で横たわるサラの姿を見るのは心苦しく、また腹立たしかった。
年端もいかない少女が傷ついたからか、それともただの同情か、理由はわからない。いずれにしろ、苛立ちをぶつける相手がサラではないことは確かだった。
少し頭を冷やす必要がある。コハクは城の裏へ向かった。
小高い丘の上では、いつもと同じように薄紅色の花びらが風に揺れていた。
この小さい花を「強い花」だとサラは言っていた。コハクは思い立って、足下の花を一本引き抜いてみた。想像していたよりも太くて長い根が現れる。
思わず笑みがこぼれた。
外見に引かれて寄ってくる女性が苦手だと思っていたのに、自分も目に見える範囲でしか物事を考えていなかった。まさかこんな小さな花に思い知らされるとは…。
コハクは、周囲の花から色が鮮やかなものを何本か選んで引き抜いた。まとめて懐紙に包むと、そっと胸元に潜ませる。
部屋に戻ってサラに渡そう。そしてきちんと話をしよう。そうすれば、またあの柔らかい微笑みを見せてくれるかもしれない。
そこまで考えて、ふと我に返る。
「…私は、何て無駄なことを考えているのでしょう」
思考が脱線しかけたので、コハクは声に出して自分を諌めた。
自分は国家と王家に忠誠を誓った身だ。余計なことを考えている場合ではない。
そう自分に言い聞かせるが、なぜか虚しくてたまらなかった。
コハクは執務室に戻り、奥の応接間に向かった。
ローブにくるまって横になっていたサラは、コハクに気が付くと体を起こしてソファーに座り直した。
涙で濡れた瞳が赤い。あれからずっと泣いていたようだ。
コハクはずり落ちたローブをサラの肩にかけた。それだけでサラは体を強ばらせる。
これ以上怯えさせるわけにはいかない。
コハクはサラの正面の床に片膝をついて、目線の高さを合わせることにした。
「先程は、貴女のご厚意を否定するような事を言ってしまい、申し訳ありませんでした」
サラは一瞬驚いた顔をしたが、すぐにうつむいて首を振った。
「事実ですから」
ぽつりと呟く横顔に、やはり傷ついているのだと感じた。
「今日のあれは仕方がないと思います。あのような事態は誰も予想できません」
「わたしがもう少し気を付けていればよかったのです。もう少しで陛下や宰相さまに怪我をさせてしまうところでした」
「我々は平気だと申し上げたでしょう。私は貴女が我々のためにご自身を省みなかったことに憤りを感じています」
思わずコハクはサラの手を取った。その手から、傷が跡形もなく消えていることに安堵する。
サラは怯えた表情のまま、固まっていた。
「もっと自分を大切にしてください」
コハクの言葉にサラは目を見開く。しかしすぐに視線は下を向いてしまった。
「それは、わたしがこの国に必要な司祭だからですか」
白くて細い指先は冷えきっていた。
自分を否定するのは、自信のなさの表れだろうか。
その通りだと答えても良いのだが、それだけが本心でないことは明らかだった。
コハクは冷たい指先を暖めるように握りしめた。
「それもあるのですが…、私が嫌なのです」
それ以上は声に出せなかった。
サラは潤んだ瞳でコハクを見つめた。長いまつげが涙で濡れて束になっている。
「宰相さまは、お上手ですね」
「そういうつもりでは…」
しばらく見つめ合った後、サラの表情が緩んだ。
「ありがとうございます」
ようやく戻ってきた微笑みに、コハクは胸を撫で下ろす。サラの指がわずかに動いて、コハクは慌てて手を離した。
「失礼しました」
「いいえ」
サラは恥ずかしそうに目を逸らした。
コハクは緩みそうになる頬を見られたくなくて、急いで立ち上がる。
「お茶を淹れますね」
部屋の隅で準備をしていると、サラがソファーから降りてこちらに向かってきた。隣に立ち、コハクを見上げる。
「お手伝いさせてください」
「もう体調はよろしいのですか」
「だいぶ良くなりました」
「…お願いします。正直あまり得意ではないのです」
コハクが言うと、サラは嬉しそうに微笑んで茶器を手に取った。慣れた手つきで湯を捨てて、茶葉を入れる。もう一度湯を注ぎ、用意されていた布で覆うと、砂時計を返した。
…いつも茶器と一緒に置かれていたあの布は、布巾ではなかったのか。
サラは流れるような動作で紅茶を淹れる。知らない工程もあり、いつも適当だったコハクは興味深くその姿を眺めていた。
「そんなにご覧にならないでください」
頬を染めてうつむくサラは、年相応の少女のようだった。しっかりした受け答えをするから、つい忘れてしまいそうになる。
サラが淹れてくれた紅茶はきれいな色をしていて、口に含むと甘い香りが広がった。
「美味しい」
コハクが感嘆の声をあげると、サラは大きく息を吐いた。
「同じ茶葉で淹れたとは思えません。いい香りですね」
「紅茶と薬草を混ぜることもありますので、少し勉強しました」
「なるほど、貴女は勉強家なのですね」
コハクが言うと、サラは恥ずかしそうにうつむいた。
「いいえ、わたしは司祭としても人としてもまだまだ未熟です。もっと努力しないと」
「無理をしてはいけません。私でよければ力になりますから」
「…お気遣いありがとうございます」
先日の物言いと違いすぎて社交辞令と受け取られてしまったかもしれない。
コハクは無意識に胸に手をあてて、そこにある包みの存在を思い出した。
「忘れるところでした。これをお持ちください」
コハクは懐紙に包まれた物を手渡した。
それをサラは不思議そうな顔で受けとると、紙を開いて「あっ」と声を上げた。花のような笑顔がコハクを見上げる。
「こんなにいっぱい…。よろしいのですか」
「ええ、問題ありません」
「嬉しいです。ありがとうございます」
サラは心底嬉しそうに包みを抱きしめた。そのかわいらしい笑顔に、コハクはなぜか胸が苦しくなった。




