黒曜石
軽い流血描写があります。
「これは何だと思う?」
アレクは、大人の手のひらほどの大きさの黒い石を指差した。
「黒曜石でしょうか」
消え入りそうな声でサラが答える。
約束通りの時間に城に来たサラは、アレクの指示で国王の執務室に通された。初日ほどではないが、かわいそうなくらいに緊張しているのは変わらない。
コハクは、初日と同じように来客用のソファーで小さくなっているサラを、横目で見ながら紅茶を淹れる。湯気の立つ器をアレクの前に置き、次いでサラの前に置く。
その際、会釈をしたサラと目が合って、軽く微笑まれた。今日は怯えられてはいないようだ。
「これを分析してほしいんだけど、できるかな」
「魔法がかけられたものでしたら」
サラに手渡された黒い石は、城の外堀の近く、結界が攻撃されたと思われる場所に落ちていたものだ。不審に思った巡回の兵士が回収し、騎士団の魔導師が調べようとしたが、強い防御の魔法に阻まれて分析は不可能だった。
サラは魔道具を浄化するときと同じように黒い石を観察する。鞄から筆記具を取り出して記録を取るのも同じだ。
「防御の魔法の奥に、別の魔法がかけられています」
「解除できそう?」
「はい」
サラは目を閉じた。薄茶色の髪が揺れ、青白い光がサラを包む。青白い光は水のようにサラの回りを流れて、黒い石に吸い込まれていく。
思わず見とれてしまうような、清らかな魔法だった。
「きれいな魔法だね」
アレクが耳打ちする。コハクも同じ事を思っていたのだが、なぜか素直に頷けなかった。
そのとき、黒い石がまばゆい光を放った。コハクがアレクを庇おうと立ち上がる前に光は消えて、サラは目を開ける。
「防御の魔法は解除しました」
「そのまま続けて分析して」
「はい」
アレクの指示でサラは再び石に魔力を送りはじめた。少し息があがっているようだが、続けても大丈夫だろうか。
「黒い服を着た人たちが見えます」
目を閉じたまま、サラは呟いた。
アレクと共に石を覗きこむが、特段変化があるようには見えなかった。どういうことだろう。アレクが怪訝な顔でコハクを見る。
「詳しく説明してください」
「顔がはっきり見えないので男女の区別はつきませんが、全員赤い耳飾りをしています」
「赤い耳飾り…、まさか」
コハクは身を乗り出した。
黒い服に赤い耳飾り。思い当たる節は一つしかない。しかし、サラがあの事を知っているはずはない。つまり、石から読み取った情報であることは間違いないだろう。
「祖国、再建…」
サラは小声で続ける。
その言葉だけでコハクの推測は確信へと変わる。背中を冷たい汗が流れた。
「他に何か聞こえますか」
「真の皇帝を迎える、と言って…」
コハクの問いにサラが答えようとした瞬間、ぱんっという乾いた音とともに石が砕け散った。
「きゃっ」
小さな悲鳴が聞こえた。
コハクは条件反射でローブを広げ、アレクを守った。ローブの向こう側で、アレクは眉ひとつ動かさずに正面を見据えている。
しかし、砕けた石はひとかけらも飛んでこなかった。
「陛下、お怪我はありませんか」
「僕は平気だよ。それより司祭が」
アレクに促されたコハクは振り返って愕然とした。
サラは何も乗っていない手のひらを呆然と見つめていた。その白い手や腕、頬には何本もの赤い筋ができている。黒曜石の鋭利な欠片が切り裂いたのだろう。見た目よりもかなり傷は深そうだ。瞬く間に青い神官服が紫黒に染まっていく。
「大丈夫ですか」
声をかけると、サラは虚ろな瞳でコハクを見上げた。
「お二人ともお怪我はありませんか」
これだけの傷を負ったというのに、サラは妙に落ち着いている。
コハクはアレクの状態を目で確認してから頷いた。
「よかった…」
弱々しく微笑んだサラの頬から、血液が流れて首筋を伝う。
「映像を見せた後に砕けるようになっていました。気が付かなくて申し訳ありません」
流れる血を拭いもせずに、サラは頭を下げた。
ぽたり、ぽたりと床に血が落ちる音が響く。
「それよりも早く手当てをしましょう」
「これくらい平気です。早く片付けを…」
サラは差し出されたコハクの手を取ることなく、立ち上がりかけてその場に崩れ落ちた。抱き起こすと、サラは気を失っていた。
「僕達をかばったのか、術者だけを攻撃するように仕込まれていたのか」
大きな欠片を手に取り、アレクが言った。古に刃物として使われていた黒曜石を使ったのは、攻撃力を増すためだろう。
「前者でしょう。これは余りにも不自然です」
こちら側に飛んできた欠片は、何かに弾かれるように跳ね返ってから落下していた。
アレクはその欠片を机の上に置いた。
「僕の執務室でこんなことが起きたことを知られるのはまずいから、司祭を君の部屋に運んでくれるかな。そこに騎士団の治癒師を呼ぶといい」
「承知いたしました」
コハクはローブでサラを包むと、そっと抱き上げた。華奢な体は思っていたよりもずっと軽くて、この少女が自分達の代わりに怪我をしたと思うと胸が傷んだ。
アレクの執務室と同じ並びにある自分の執務室に向かい、コハクはサラをソファーに横たえる。短い移動だったが途中で誰ともすれ違わなかったのは幸運だった。
どんなに優れた魔導師でも、自分で自分の傷を治すことはできない。自然に治るのを待つか、治癒魔法が使える他の魔導師に依頼するしかないのだ。
城を攻撃していたのは、間違いなくあの国の関係者だ。
彼らは何をしようとしているのだろうか。皇帝だけ戻ったところで滅びた国を復活させることなど不可能だというのに、相変わらず愚かな連中だ。挙げ句、無関係の少女まで巻き込んで…。いや、無関係だから意味があるのか。
コハクはサラの額に貼りついた髪をよけた。頬の傷には赤黒い血がこびりついている。
きっと痛かっただろう。それでも気丈にふるまっていたサラの姿が頭から離れない。何に対してかわからない怒りが胸に広がっていく。
そのとき、サラの目じりから一筋の涙が流れた。
それを優しく拭ってから、コハクは治癒師を手配するために部屋を後にした。




