微熱1
全6話の短いお話です。
休日の午前中、いつものように街へ買い物に出掛けたときのことだった。
「熱いです」
立ち止まったサラは、困ったような顔で見上げてきた。
夏の終わりとはいえ、まだまだ日差しは強い。サラの白い日傘には温度を下げる魔法がかけてあるのだが、それでも暑さに慣れていない彼女には聖都の夏は暑すぎるのだろう。
「大丈夫ですか? 涼しいところで少し休んでいきましょう」
声をかけるが、サラは首を振る。
「わたしではなく、コハクさまが熱いです」
「どういうことでしょう」
「体調が悪いのではないですか?」
苛立ちを含んだような口調でサラは尋ねる。しかし、コハクに心当たりはない。
「いいえ、特に変化は感じません」
正直に答えたのだが、サラは納得していないようだ。
小さくて冷たい手がコハクの手を掴む。そして強引に人気のない路地裏に連れ込まれた。
サラは周囲に誰もいないことを確認して、背伸びをしてコハクの外套の頭巾を外す。膝を曲げて背を屈めると、サラは額に貼りついた髪を指先で払いのけた。
「失礼します」
小さな手が伸びてきて、額に触れた。
「冷たい」
ひんやりとした感触に、思わず声が出てしまう。
「そんなに高くはないけれど…」
…難しい顔で呟くサラも可愛い。
そんなことを考えていると、サラはもう一度背伸びをした。
こつん。
額と額があたり、コハクはどうしていいかわからずにまばたきを繰り返す。顔に吐息がかかり、なぜか胸が詰まるような不思議な感覚を覚えた。
サラが離れたので、コハクは元のように背を伸ばす。胸のあたりでサラが見上げている。
「お熱があります」
額に手をあてられた時点で予感がしていたが、自覚はない。
「自覚はないのですが、貴女が仰るのなら間違いないでしょう」
「早くお屋敷に行って休まないと、これからもっと具合が悪くなるかもしれません」
「そこまでしなくても大丈夫ですよ」
「でも…」
「今週は忙しかったから、少し疲れたのかもしれませんね」
大きな仕事をひとつ片付けたから、一気に疲れが出たのかもしれない。もちろんそんなことは口に出さないが。
「買い出しはわたしひとりで行ってきます。コハクさまは休んでいてください」
「それはできません。荷物は重いですし、また変な輩に絡まれたら…」
「大丈夫です。わたしだってひとりで買い物くらいできます」
サラは不服そうに頬を膨らませた。
自分が過保護すぎることは自覚している。
聖都は、お使いをする子どもをよく見かける程度に治安は良いのだ。
「…では、お願いできますか?」
「はいっ」
嬉しそうにサラは笑った。
「行ってきます。献立はまかせてくださいね」
その言葉に軽く頷いて、コハクは風通しのよい路地裏の長椅子に腰を掛けた。
サラは手を振って大通りへ向かっていく。
遠ざかるサラの背中を見つめていると、はじめて一緒に出掛けたときのことを思い出した。
彼女は人の多さに怯えて、どこに行きたいのかわからないと泣きそうな顔で言っていた。はぐれないようにと言い訳をして繋いだ手は驚くほど小さくて、戸惑いながら絡めた指は折れそうなくらいに細かった。
あのときの感触を、感情を、今でもはっきりと覚えている。
だから今、寄り添っていられることは奇跡のようなものだ。それは決して忘れてはいけないことで、幸せであることを、当たり前だと思ってはいけない。
…なぜこんなことを考えてしまうのだろう。
小さな背中が曲がり角の向こうに消えた。
そうか。私は、置いていかれて寂しいのだ。
以前は、魔法を使った後など、他人に悟られるほどの体調不良でしか休んだことはなかった。今までも自覚のない風邪や発熱があったのかもしれないが、仕事を優先しすぎるあまり、自分自身のことに無頓着になっていたのは事実だ。
サラには迷惑をかけるが、これからはもっと自分を大切にしなければならないと思う。
「お待たせしました」
そんな他愛もないことを考えていると、大きな袋を抱えたサラが戻ってきた。コハクは立ち上がり、重そうな紙袋を受け取ろうとする。
「でも…」
サラは躊躇したが、強引に引き取る。予想通り、袋はずっしりと重く、彼女が自分のためにどれくらいの距離を歩いたのか考えると、少し胸が痛んだ。
「ありがとうございます」
こめかみにそっと口付ける。
サラはふわりと微笑んだ。
「帰りましょう」
彼女は、その笑顔のまま頷く。
いつものように腕を絡めて寄り添う。少し汗ばんだ手から、暑い中を彼女が歩いていたことが伺える。
「それにしても」
サラは顔を上げた。
「私に熱があることに、よく気が付かれましたね。自分でもわからなかったのに」
「それは…」
「魔法ですか?」
「いいえ。あの…」
一度うつむいてから、サラは顔を上げた。
「いつもより手が熱かったからです」
「その程度のことでおわかりになるのですね」
「はい。コハクさまのこと、何でも知りたいと思いますから…」
恥ずかしそうにサラは呟く。
些細な変化に気が付いてくれる彼女に、ますます愛しさがつのる。帰ったらすぐに抱き締めたいと思った。
「お家に帰ったら、魔法で詳しく調べます。それからお薬を…」
そこまで言って、サラは頬を染めて気まずそうに目線を逸らした。
「ごめんなさい。わたし、コハクさまのお屋敷を自分のお家みたいに…」
今度はコハクの頬が熱くなる番だった。
「あれはすでに私達の家ですよ」
照れ隠しのように額に口付ける。
サラも頬を染めて微笑んだ。その笑顔は本当に可愛らしい…。
…そろそろ、あれを渡す頃合いかもしれない。
自然とそんな気持ちになった。




