第5話 前公爵の焦り
ローデン子爵の代官オットーは、私たちを日当たりのよい部屋で迎えた。
橋を禁じた判断については、彼の説明に誤りがない。危険だから通していない。その一点では、こちらも同意している。
問題は修繕費だった。
セシリアが二枚の書類を机に置く。
「村の控えには、橋へ木材を納めたとあります。運送人の控えでは、銀鷺商会の船着き場が届け先です」
オットーは紙を見てから、私を見た。
「資材の保管先を変えたのです。渡し場なら、作業が始まったとき運びやすい」
「その材は桟橋に使われている」
私が言うと、彼は穏やかに答えた。
「似た材はいくらでもあります」
「なら、子爵殿に確かめていただこう」
部屋の空気が変わった。
「それは領内のことです、アルノルト様」
オットーは私の名を知っていた。
「前公爵として名高い方でも、ローデン子爵領の役人に命じることはできません」
正しい。
その言い方が気に障っても、正しいことに変わりはなかった。
私は椅子の肘掛けを握った。役職を失ったあとの、現代日本の廊下が一瞬浮かぶ。私の言葉を聞く前に『もう権限がない』と片づけられた日のことだ。
(あの頃とは違う。今、誰も私を黙らせてはいない)
それでも声を強めそうになったところで、セシリアが書類を引き寄せた。
「では、領主様へ資料を提出します。木材の保管状況も確認いただきたいので」
オットーは微笑んだ。
「ご自由に」
代官所を出ると、ルカが待っていた。
「どうでした」
「子爵に知らせる」
「また待つんですか」
「証拠を揃える」
「村では、もう三年待ってるんです」
私は言い返せなかった。
ルカも、言いすぎたと思ったらしい。だが謝らず、先に歩いていく。
ミラがその背中を見送った。
「今日は追いかけないほうがいいでしょう」
「分かっている」
私は杖を握り直した。焦っているのは、ルカだけではなかった。




